肥前肥後筑後 落穂拾い三ヶ国遠征

令和4年1月7日〜10日



勢福寺城の堀切をGIF動画(2枚)を使って立体感を表現してみた




 令和3年は1年中コロナであり、特に夏から初秋にかけての感染爆発は酷く、遠征も令和2年11月以来中止が続いていた。しかし10月に入る頃には唐突に収まり、11月には1年ぶりの遠征が東北方面で開催された。残念ながら無職2年目の私は旅費が捻出できず、というか同居している親の目が厳しく感じられて不参加。そして令和4年1月の遠征の計画が行われていた12月には、新たにオミクロンという敵が視界に入りつつあった。

 遠征地候補は九州にすんなりと決まった。熊本で単身赴任中のSさんの参加が決まったからである。その後の検討で、攻略が殆ど進んでいない長崎県や宮崎県ではなく、これまで何度か回ったものの取りこぼしが多かった有明湾沿岸の落穂拾いという案に固まった。

 初日は肥前国で、16年前に取りこぼした勢福寺城を中心に。そして2日目は肥後国で、7年前に寄せ切らなかった筑後国との国境付近の諸城を。3日目は筑後国で、9年前に台風で攻略を諦めた高良山系を、それぞれ落穂拾いして行こうということになった。

 参加者は、東京から福岡に前泊で乗り込む、いつもおなじみのKさん。そして熊本市から参加の単身赴任中のSさん。そして私の3名。車は広島から乗って行こうかとも考えたものの、歳で長距離運転が辛くなっていることと、雪の影響によるリスクを減らすため、現地でレンタカーを借りることにした。ただその際、初日の移動基点が集合地点である新鳥栖駅から近距離であるKさんSさんを待たせてしまうのも忍びないので、私も鳥栖駅前のホテルに前泊することにした。これで初日の朝一から動くことができる。




〇2022年1月7日

 17時過ぎの新幹線で新鳥栖まで移動。駅前でレンタカーを借り、鳥栖駅前のホテルに一泊するのだが、新鳥栖駅から鳥栖駅までの短い区間を移動するのに渋滞で30分弱かかる。またホテルの駐車場が狭く、また駐車している車も多く、新鳥栖到着からチェックイン終了までにえらく時間がかかってしまった。

 夕食を摂りに外に出るが、お目当てだったテールラーメンは貸し切り(居酒屋がやっていた)で食べられず、その近くのラーメン屋は豚骨臭が酷くてパス。その横の古めかしい菓子屋(矢壁製菓店)で草団子と揚げドーナツを購入しつつ、焼肉屋香梅へ。客は自分1人のみ。生ビールセットに追加の肉を注文。みつせ鶏は美味しかった。他に客が居なくて暇な店のおっちゃんと話をするが、勝山城の麓辺りが出身で、山登りも趣味にしており、この付近の山城を幾つか知っていてた。ホテルに戻って、草団子とドーナツを食べる。

 そして遠征初日に備えて早めに就寝…の筈が、なかなか寝付けず。1時間おきに目が覚めた。




〇1月8日

 午前5時半起床。朝食はホテルバイキング。コロナ対策でビニール手袋を着けるようになっているのだが、滑ってトングや皿が上手く持てない。何度か取り落としてしまった。

 午前7時に鳥栖駅へ。前泊先の博多から移動して来るKさんと合流…の筈が、Kさんまさかの寝坊。佐藤重幸か!と突っ込みたくなるものの、自分も11年前に寝坊をしているので責められない。ともかく次の合流地点である新鳥栖駅に移動。午前7時15分に新鳥栖駅でSさんと合流し、寝坊したKさんを待つ。8時10分ごろ、ようやくKさんと合流。出発。




国土地理院地図より




 県道31号線を西進。綾部八幡宮の駐車場に車を停める。昼食代わりに食べようかと考えていた名物のぼたもち屋はどちらも休業。綾部八幡宮を基点に周辺の目標を攻略して行く。






宮山城


左:南下の郭の土塁、右:南下の郭を北上から


左:途中の郭、右:主郭西下の郭


左:主郭、右:同左から南を望む


左:西下斜面の畝状縦堀、右:同左



 綾部八幡宮の境内の西端から道が出ている。城域は狭いが、西下斜面に畝状縦堀がしっかりと残っている。





少弐山城


左:南東端の平坦地、右:恐らく畑時代の石垣


左:南東から1つ目の堀切、右:同左


左:2つ目の堀切と北西の郭、右:2つ目の堀切の南西側


左:多分3つ目の堀切、右:多分4つ目の堀切


左:終戦直後の航空写真(国土地理院、R242-No2-103)

 納骨堂の西裏手から取りつく。登り道は直ぐに二手に分かれるが、少し先で1つに合流する。南東端の郭までは道がしっかりしているが、そこから先は藪漕ぎで直登しなければならない。
 荒れて藪に埋もれつつあり、地形が良く見えなくなっている。結局尾根周辺の狭い範囲しか見て回っていないが、尾根上の郭は際が明確でなく、堀切が無ければただの段々畑で城だとは思えない。終戦直後の航空写真からは、長々と延びる4本の堀切が良く見て取れる。多少無理をしてでも、掘切を追いかけていれば良かったか。





臥牛城


左:主郭東下の郭の土塁、右:同左の土塁


左:主郭東下の郭、右:主郭


左:主郭南下の郭の北側、右:同左の南側


左:終戦直後の航空写真(国土地理院、R242-No2-103)

 城郭放浪記等では南側から寄せているが、南に回り込むのが面倒だったので北にある溜池の堤から寄せてみた。しかし堤の両端に頑丈な防獣柵があり、却って移動に手間がかかってしまった。
 主郭は密な竹藪で、移動も難しい。主郭の東下の郭は比較的空いており、縁に土塁が回っているのがわかる。主郭南下の郭は北半分が羊歯、南半分が竹藪。郭は何れも広く、そして堀切や縦堀、横堀のような防御物は見当たらなかった。





白虎山城


左:取付きの縦堀、右:井戸のある郭


左:深い井戸、右:主郭南下の郭


左:主郭、右:主郭中央部の堀切


左:主郭北下の堀切と土橋、右:同左土橋


左:土橋の西側、右:二重堀切の1本はL字に曲がる


左:土橋西側の二重堀切、右:土橋東側の二重堀切



 綾部八幡宮の周辺の4つの城の内では、最も中世城郭っぽい縄張だった。主郭北下の複雑な二重堀切と、南端の郭にある深い井戸が特徴的である。
 車道から山際の道を北上し、虎ロープの有る取付きの縦堀を上がると郭のようになっているが、その北側は地面が凸凹し、藪になっている。よく見ると薄っすらと道のようなものがあり、そこを進むと再び虎ロープがあり、どうにか道であることが確認できる。そこを過ぎると藪も薄らぎ、またそれ以降も虎ロープが要所要所にあるので主郭までたどり着くことが出来る。ただ下る際は井戸の郭の南下の藪で迷いやすいので注意。
 井戸はかなり深い。周りに金網がされているが、用を成さなくなっている。落ちると1人では這い上れない深さなので注意。主郭の北下に大きな二重堀切があるが、形が特殊で、西側の二重堀切の北側の堀切がL字に折れて土橋に沿っている。なぜこの形になっているのかわからないが面白い。




 綾部八幡宮の駐車場まで戻ったのが12時。次の勢福寺城へと向かう途中の県道沿いにあるラーメン屋で昼食。普通の豚骨ラーメンを食べる。

 そして遂に16年ぶりの勢福寺城。




勢福寺城(雲上の城も含む)


左:堀切、右:堀切


左:旧城の南東端の郭、右:その北西の郭


左:深い井戸、右:旧城の主郭


左:旧城の主郭の北西縁の土塁と石垣跡、右:旧城の主郭の北下の大堀切


左:新城の主郭の南下の堀切、右:新城の主郭


左:新城の主郭の北西下の横堀?、右:その北東の土塁


左:北下の堀切、右:新城の北西端の郭


左:登山口の東の二重堀切、右:雲上の館の東側



 種福寺の駐車場を利用させてもらい、16年前には無かった遊歩道を登る。中腹の堀切からの斜面がきつい。当時無理をして登らなくて良かった。
 城山の中央を横切る大堀切を挟んで、南東側が旧城、北西側が新城という位置づけになっているらしい。旧城側は造作がシンプルだが、新城側は土塁や縦堀でごちゃごちゃとしている。旧城側にある井戸が深かったのが印象的だった。

 南東麓の空堀群は、今一つわからなかった。辛うじて登山口の東で二重堀切を確認できただけだった。池北居館跡は現在立入禁止だそうで、立寄ってもいない。雲上の城は西側は民家の敷地で、家の人が焚き火をしていたので写真を撮れず。東側も太陽光発電所になり入れない。





松崎城



 日の隈公園の駐車場に車を停め、公園の北東にある池のほとりから松崎城を目指そうとするも、池の周囲の遊歩道がことごとく立入禁止。北に進むも大雨で道が寸断されている。時間もあまり無かったので、松崎城は諦めることに。
 恐らくはオレンジ色の線の辺りが侵入ルートなのではないかと。





横大路城


左:南西の外側の横堀、右:南側の横堀


左:南西側の横堀、右:同左


左:西側の横堀、右:南側の郭


左:南北郭間の堀切、右:同左


左:北側の郭、右:北下の二重堀切



 道が無いので、西下の溜池の辺りから斜面を直登する。南側は藪が酷いが、他は比較的良い状態である。南から西にかけての横堀と、中央と北部にある堀切が見栄えが良い。





蓮池城


左:北側の堀、右:西側の堀


左:内部の神社跡、右:北隣の字「城内」、今は田んぼ


左:終戦直後の航空写真(国土地理院、R438-No2-51)

 現在は蓮池公園として整備されている。戦後、河川改修により南側の地形が大きく変化している。北隣の字「城内」地域は戦前から田んぼになっていたようである。




 以上で本日の予定終了。宿泊地である大牟田に向けて戦闘後前進。有明湾岸道路に乗ろうとするのだけど、カーナビのデータが微妙に古く、入り口を探すのに苦労する。大牟田IC傍のイオンで買い出し。

 旅館は古く、トイレが厳しいなと思っていたら、トイレだけ改装されて真新しいウォシュレットになっていた。また部屋にLANケーブルも引かれていた。この旅館は、まだまだ商売を諦めていないらしい。

 夕食は、コロナ対策で食事は各自別々に摂り、その後にKさんの部屋に集合して、明日の打合せを行う。

 今夜も早めに就寝…の筈が、今夜も寝られない。夜中に何度も起きる。畳に薄い敷布団で、圧手のベッドに慣れていた背中には固過ぎたのが原因か。もしくは眠気覚ましに朝夕と2本飲んだ栄養剤のカフェインが効きすぎたのだろうか。更に買っていた水が切れて、館内に自販機も無く、生水を飲むのも怖かったので、夜中に湯を沸かしてお茶を飲む羽目になる。ますます眠れない。




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