城マニアによる最高のおもてなし(三備)

平成23年1月7日〜10日


鬼ノ城



○1月8日

お客さんが岡山駅に到着するのは午前9時なので、その前に長野城を攻めようという話になっていた。
そこで午前6時半にホテルロビーに集合だったのだが、目が覚めたのが午前7時過ぎ。慌てて別の部屋に置いてた携帯を見ると、窪谷さんからの着信が10件近く。慌てて電話をかけて平謝りするが、45分間も待たせてしまっていた。
ともかく時間も遅くなってしまったので中止。
どうも寝る前に目覚ましを掛け忘れていたようだ。15年以上城攻めをしていて寝坊したのは初めてである。歳なのか。


長野城








再びホテルで窪谷さんと集合。今回ご接待するお客さんと顔合わせをする。SさんとRさんの2人で、Sさんは窪谷さんと既に関東方面の遠征に何度か参加している。一方のRさんはこのSさんの大学時代の友人で、今回日本に遊びに来たついでにこの遠征に中途参加することになった、城については興味も無い、一般の方である。
ともかく、車に乗り込んで最初の目標である岡山城へと向かう。



岡山城


左:本丸南西隅、右:本丸本段南側の石垣


左:月見櫓、右:宇喜多時代の石垣


左:再建天守、右:再建の際に移された元々の天守閣の基礎


左:石山付近の石垣、右:旧内山下小学校内の西手櫓



実は岡山城は初めてだった。しかもボランティアガイドの方に付いてもらって案内をしてもらうなどという事は、こういう機会でもなければ無かっただろう。
天守閣が空襲で焼けてしまったとは言え2ヵ所の櫓は健在であり、また石垣も良く残っている。川向こうの後楽園と合わせて綺麗に整備されているので、毎日の散歩やランニングコースとしても良い場所である。
肝心のお客さんの反応だが、まあまあの反応だったように思う。現役の将校であるSさんは軽々と○○をよじ登ってみたり(良い子は真似しないで!)、また天守閣内での殿様の衣装コスプレサービスでは2人とも相当に楽しんでいた。ただ最後に西手櫓に行った際には、Rさんは櫓よりも小学校の建物の方に興味が行ってしまっており、今後が不安になる。

宇喜多直家によって、現在の本丸の西にある石山に城が築かれたが、秀家によって今の場所に移された。小早川氏の後に入った池田氏の時にも大々的に改築されて今に至る。





近世城郭の次は、中世城郭である備中高松城へと向かう。
その途中、えびめしやで昼食。比較的新しい岡山名物のえびめしは味が不鮮明だったのか、お二方にはあまりお気に召してはいただけなかったようだった。



備中高松城


左:資料館付近から北を望む、右:同左から北東方向


左:本丸手前から北を、右:同左から東方向を


左:本丸内、右:本丸北東側


左:北から本丸を、右:同左


左:西から本丸を、右:同左



現在は綺麗に整備されている。駐車場近くの資料館では周辺の陣城や堤についての展示がある。現在は水攻めの堤防はごく一部しか築かれず、また高さも1.5mほどしかなかったという説になっているようだ。これまでの説に慣れていると一見突飛な感じもするが、1985年の洪水で水没したこの付近の写真を見ると納得も行く。本丸の広場は遠足か何かで来ていた小学生で溢れていて、写真が撮り難くて仕方がなかった。
年毎に整備も進み、中世の平城の特徴を把握しやすく、また水攻めや周辺の攻守入り乱れた陣城の数々と、戦国好きならよだれを垂らさんばかりの絶妙な城郭であるのだが、特にRさんは城よりも職業柄(学校の先生をされているそうだ)遊びに来ていた小学生や先生の方に気を取られ、そちらとの会話に夢中になっていた。
ここですら駄目となると……厳しいものが感じられ始めた。

余りにも有名なので説明省略。





折角高松城に来たので、陣城の一つである岩崎山へと向かった。



岩崎山(庚申山)


左:寺の山門、右:南側を望む、正面の突き出した尾根の先が天神山


左:山頂はそれなりに広い、右:山頂から東方向を、向こうが高松城の筈だが展望は無い



吉川元春の陣所があったといわれている岩崎山へ行ったのは、丁度正面で高さもあるので高松城とその周辺の地形が一望できるかと思っていたのだが、残念ながら東方向の展望は絶望的なほどに悪かった。
おかげで、ただの寺参りになってしまった。





続いて、本日のメインイベントである、鬼ノ城へと向かう。
ここに行くのは3回目だが、久しぶりであるのと自分で運転して行くのは初めてだったので、駐車場までの道の狭さを記憶していなかった。この付近でも屈指の観光名所なのだから、もう少し広げてくれるとありがたいのだが。



鬼ノ城


左:展望台から復元された西門を望む、右:北西端にある角楼


左:西門を北から、右:西門


左:西門の内側、右:同左


左:西門の南側、右:南下から西門を


左:西門の南にある石塁、右:高石垣を望遠で


左:第2水門、右:南門


左:南門の通路、右:同左を南から


左:第4水門、右:同左


左:第5水門、右:同左の石垣


左:屏風折れの石垣、右:同左


左:屏風折れの石垣の上部、右:屏風折れの石垣の北側


左:北門、右:同左


左:北門の東側、右:北門の北下、石垣?



総社市の北にそびえる鬼城山の一帯が鬼ノ城である。門や水門の跡が次々と発掘、復元されつつある上に、全てではないものの、1周約2.5kmの石垣や土塁に沿って歩くことが出来る。特に南面は眺めも良く、観光ではなく散歩やウォーキングに来ている人も多かった。
前にも書いたとおり、ここに来るのは3度目になるのだが、来る度に見所が増えていて楽しい。一般人にも見栄えが良いので、折を見て訪れたい場所である。

そして肝心のお客さんの反応だが。
初めこそ喜んでいただけていたものの、南門を過ぎた辺りから飽き始めたのか先々と進み、写真撮影で遅れがちな我々が客人2人を待たせるような形になってしまった。
鬼ノ城とは言え、さすがに一周したのはしつこ過ぎたか?、と反省しながら岡山市街へと戻る。



夜は2人を向かえて歓迎会の筈だったのだが、長旅で疲労が溜まっていたのか、日本の食事が合わなかったのか、Rさんがダウンしてしまう。その為にSさんが看病で残ったので、結局日本人2人だけで飲みに行く事になってしまった。



今夜も自宅に戻って寝る。楽で良い。






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