肥後・天草遠征 1日目

平成27年1月10日〜12日




堅志田城




左:天草諸島、右:熊本周辺(GoogleMapを基に作図、クリックで拡大)



今シーズンは雪が多いということで、福岡県南部と熊本県北部だった当初の目標を変更し、熊本県中部と天草諸島を攻めることに。ただ結果論として、この三連休は福岡県でも雪は降らなかった。





○1月10日

熊本空港に午前10時集合。KさんとYさんと合流し、そのまま直ぐに南下。





木山城


左:南の郭、右:同左から北の郭を


左:北の郭、右:同左の最高所


左:北の郭から北側を、右:北の郭を北側から


左:東下を、右:西下にある縦堀…らしい窪み


右:終戦直後頃の航空写真(M303-163、国土地理院)


国道443号線沿い、益城町総合体育館の北隣の丘が木山城である。駐車場は無いが、西側に車を2、3台停められるスペースがある。

木山城跡公園として、大部分が整備されている。地形はそれなりに残っているが、細かい造作は公園化の際に殆ど無くなっている。
図面によると北端の住宅地になっている部分にも堀跡などがあるらしいが、未確認。






赤井城


左:本丸の西下、石垣は後世の神社のものっぽい(cv.夕立)、右:本丸北


左:本丸南、右:本丸南北の間の段差


左:本丸の神社から西下を、右:本丸の北西下の二の丸


左:本丸から西を、右:本丸の南下の郭


左:南にある堀切、右:駐車スペース辺りから城を


右:1970年代の航空写真(CKU7422-C52-28、国土地理院)


木山城の南約1kmにある。本丸に日枝神社があり、その周囲は畑でアクセスは容易であるが、車を停めるスペースが周辺に無い。確実なのは南にある町民グラウンドの駐車場に停める事であるが、無理をすればもう少し北に停めることも出来る。

南側に大きな堀切が東西に、また北西麓に2重の横堀(こちらは竹薮で写真が意味不明に)があるが、その他は余り目だった防御地形は無い。本丸の東下斜面は図面よりも急傾斜だった。





御船城


左:北西下の駐車場から山を、右:同左


左:山頂平坦地、北東側、右:同左南西側


左:土塁の跡っぽい(cv.夕立)、右:南東下を望む


右:終戦直後頃の航空写真(M127-9、国土地理院)


御船町役場の南西隣の小山が御船城である。公園として整備されており、アクセスはしやすいが遺構が平坦地しかない。





堅志田城


左:主郭の南西の郭(工事中)、右:主郭を南から


左:主郭北端の土塁から東下の郭群を、右:同じ土塁から北下の二の丸を


左:主郭東下の郭、右:同左から主郭を


左:東下の郭の更に東下の縦堀、堀切、右:同左


左:主郭と二の丸の間の堀切、右:二の丸から主郭を


左:二の丸、右:二の丸北側にある土橋


左:二の丸の北東下の二重堀切、右:主郭東下の郭群を東下から見上げる



美里町の中心部から南に約1kmの山の中にある。県道105号線脇から出ている林道で主郭のすぐ南下まで車で行くことができる。行った時はまだ工事中であり、もう1年程待てば丁度出来上がるくらいかもしれない。

主郭側から回れるのは、二の丸までであり、そこから先には降りられなかった。北麓の拵集落から登る遊歩道も付けてもらえると、城域を堪能する事ができるようになると思う。
整備された主郭と二の丸の周辺は、木も切り払われ、地形がダイレクトに味わえる。ただ、今後の草刈りの手間を考えると、平坦地以外は5年内に薮に埋もれてしまいそうだ。





豊田城


左:奥の段が主郭、右:主郭の中央部


左:西に伸びる平坦地、右:同左の先(西端)にある堀切?跡


左:南東端、右:東側の切れ


右:1970年代の航空写真(CKU7418-C2-23、国土地理院)

九州自動車道の松橋ICの西約300mの場所にある。

東西に長細い丘陵があり、東側に主郭らしい最高所がある。北側は川で切れているが、それ以外の三方向は段差も低く、防御施設らしいものも余り見当たらない。周囲の田んぼが湿地帯でないと防御は難しそうである。





豊福城


左:南側正面、右:同左


左:主郭部を南から、右:主郭東下の堀跡


左:主郭上から東下を、右:南下を


左:主郭の南縁、右:主郭内部


左:主郭北下の堀跡、右:主郭北東下の堀跡


左:西側の総掘の跡、右:左奥が主郭の高台


左:主郭北下の堀跡、右:主郭の北西隅


左:総堀に残る水路、右:北西端付近の段差


右:1970年代の航空写真(CKU7418-C3-25、国土地理院)

松橋豊福小学校の南東約300mの場所にある。
二重の水堀で囲まれた広い城域の地形がよく残っている。1970年代の航空写真と比べると宅地化が進んでいるが、それでも堀跡が明確である。
自動車を置く場所が無く、当日は地図青点の場所に無理やり停めた。





曲野城


左:主郭部を北西から、右:主郭部


左:主郭南西側、右:北東へ続く平坦地


左:南東の竹薮の中に残る土塁跡?、右:軽い窪地になっている、多分堀跡


右:1970年代の航空写真(CKU7418-C2-23、国土地理院)

国土3号線松橋バイパスと国道266号線の交差点から南に約200m付近。
主郭とその周辺の地形が残っているが、その周辺は不明瞭。





矢崎城


左:碑の建っている平坦部、右:同左西側の平坦地


左:碑の平坦地の北東下にある堀切らしい窪地、右:同左を含めた土橋


左:北西の集落方向を、右:この小屋の向こう側(北側)から道が出ている


右:1970年代の航空写真(CKU7418-C4B-6、国土地理院)

宇土半島の中程、三角町郡浦集落の南東端の丘陵部が矢崎町である。山の北西下から山にある畑へ道がついている。地元の人に道を尋ねられなかったら、たどり着けなかった。
石碑の建っていた南端の平坦地周辺のみを見て回る。帰ってから地形と縄張図とを見比べると、北東側のピークも城域だった。土塁や堀跡といった城らし地形はあまり残っていない。





上津浦(東)城


左:主郭の南東下の平坦地、右:同左から南東下を望む、竹で手すりが作られている


左:主郭北西側、右:南東側


左:主郭の北西下の平坦地、右:更にその北西下の平坦地


上津浦(西)城


左:北西中腹にある神社、ここまでなら無理すれば車で登れる、右:山頂近くの平坦地


左:主郭を北西にある土塁らしき土盛から、右:主郭から同左の土盛を


左:主郭の平坦面、右:主郭の南下の平坦地


右:1970年代の航空写真CKU7418-C47-3、国土地理院)

天草諸島、上島の上浦津にある浦和小学校の北東約300m程に、東城と西城とが平行に並んでいる。東城は東西の端から遊歩道が縦断しているが、西城は西側の神社からでないと登れない。始めはそれがわからず、西城の東麓で登り口を探していたが見つからず、偶々犬の散歩に来られていた方に登り口を教えていただき、日没後の薄暗い中を慌てて登る。
東城の方は竹の手すりのついた遊歩道があるが、西城は明確な道が無く、間違えて軽トラ道を進むと、山頂部を迂回して南東端まで行ってしまう。神社の真後ろから尾根筋に踏み跡を登れば山頂にたどり着けるが、写真のように草が深く、また主郭部へ上がる道も無い(直登した)




戦闘後前進で下島の本渡へ入り、宿泊。

島、ということで舐めていたが、本渡はかなり大きな街だった。繁華街からは外れた場所のホテルだったので、歩いて10分程の居酒屋へ行ったのだが、予想よりも美味しいところだった。刺身類も良かったが、焼き鯖チャーハンが、チャーハンそのものとしても美味しかった。





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