記録的な超大型台風 VS 奇跡の晴れ男

平成24年9月15日〜17日




17日6時での予想進路図



9月17日

3日目。


本来なら台風直撃日の筈が、台風の移動速度が上がり未明の内に通過。朝には天気も回復して雨も止んでいた。ただ風は強い。
気象庁のレーダーを見ると雨雲の塊もまだ疎らながらも残っており、急に雨になった場合に逃げ場が無い事、そしてこれまでの強風と大雨とで山の尾根を走る林道が土砂崩れや倒木などで通行不能になっている可能性があったため、当初3日目午前中に予定していた高良山系の攻略は諦め、攻めやすく足場の良い居館や平城などを落としつつ、小倉へと北上することになった。





西鯵坂城 晴れ


左:看板と標柱の建つ公民館、右:城の中央部に当たると書かれている大楠と祠


左:城域付近を南から、右の木が大楠、右:土塁跡らしき土盛り



西鉄天神大牟田線端間駅の南東約3km付近にある。
別の公民館にトラップされ混乱するも、その公民館の方に正しい公民館(100mしか離れていない)を教えてもらう。
看板によると、大楠の麓に祠が残っており、その付近が城の中央部らしい。遺構は殆ど残っていないが、城域が一段高くなっている。変に曲がった道も堀跡か。





吹上城 晴れ


左:民家の敷地内に建つ看板、右:同左の前の道路(西側)


左:民家の敷地内の城の標柱、右:南から。奥に土塁跡が残っているらしい


右:1961年頃の航空写真(国土地理院、MKU611-C21-13)、黄色い矢印に土塁が見える


西鉄天神大牟田線三沢駅の南東約2km付近にある。
地図も無く、文章だけで場所を探すも判らず。地元の方に聞いてみると、余程こうして尋ねて来る人が多いのか説明慣れしていた。 民家の庭に石碑と看板が建っているだけで、これといったものはない。唯一残る土塁というのも、民家の敷地なので遠く道路からしか見る事が出来ない。





鵜木城 晴れ


左:本丸、右:本丸の北東下の堀と土塁


左:本丸の西下の段、右:更にその西下の段


左:西斜面に残っている神籠石、右:筑後川を望む



JR久大本線筑後大石駅の北東約1kmにある。
杷木神籠石の一部らしい。こじんまりとしつつも堀跡が綺麗に残る。
また斜面には神籠石の列石も少しだが残っている。

杷木神籠石の水門を見に行くも、雑草が茂って良くわからなかった。





松尾城 晴れ


左:南面の石垣、右:西にある虎口の石垣


左:虎口、右:同左を上から


左:主郭を西から、右:主郭を東から


左:東の尾根にある堀切、右:同左を横から


左:北東隅の石垣、右:北斜面、畝状竪堀があるはずだが草で見えない


左:南西に伸びる郭群、右:登り口から城山を



東峰村小石原集落の北にある比高50m程の山の上にある。
山の上に近世城郭の石垣がどどんとあり、なかなか壮観である。
本当なら周囲に畝状竪堀が巡っているはずなのだが、斜面は繁茂した草に覆われて地形が良くわからない状態になっている。





益富城 曇り


左:西側の駐車場近くの郭、右:二の丸の北東下の畝状竪堀


左:二の丸の北東下の横堀、右:二の丸


左:二の丸南東の虎口、右:同左の南東の郭


左:二の丸の西側、右:本丸


左:本丸北西隅の櫓台、右:本丸の西の郭


左:本丸の西の郭、右:同左にある櫓台


左:櫓台を西から、右:同左付近を南下から


左:西端にある畝状竪堀、右:北西に伸びる郭群


左:北東下にある池、右:東側の駐車場の近くの郭



嘉麻市立大隈小学校の東約1kmの山の上にある。
かなり綺麗に整備されているが、主要部分以外は夏だと難しい。冬に来て半日かけてゆっくりと全て回りきるのが良いかもしれない。
写真では判らないが風が強烈で、飛ばされた葉や枝が顔に当たって痛かった。





城山城 曇り



JR筑豊本線桂川駅の西約1.5km、吉田集落の北東にある山にある。
民家の横脇に登り口があるが、なかなかわかりづらい。山頂までの道は整備されているらしい。





直方陣屋 晴れ


左:奥の山が陣屋跡、右:山頂は公園


左:南東下の段、右:東側を望む



JR筑豊本線直方駅の南約500m、直方市体育館と多賀神社に挟まれた山が陣屋跡で、現在は公園化されており遺構も糞も無い。神社側と体育館側に登り道がある。





猫城 晴れ


左:山を南から、右:神社への階段


左:手前の段から、右:上の段から南下を



JR筑豊本線筑前垣生駅の南西約1km、現在は月瀬八幡宮の建つ小さな丘である。
丘の上には平坦地が南北に2段あるだけで、これといった防御施設は無い。





音丸城 晴れ


左:山頂の神社まで幾つかの段になっている、右:主郭を北から


左:主郭を南から、右:南西下の土塁


左:東下の土塁(北)、右:同左(南)



初日に豪雨で行けなかったので。リベンジ。
剣山城の南西約500mにある新分天満宮が城跡である。
主郭の周囲に堀と土塁が回っており、なかなか壮観なのだが、藪蚊が酷く落ち着いて写真を撮れなかった。山を降りた後で調べてみたら、10ヶ所くらい刺されていた。





剣山城(再) 晴れ

窪谷さんが初日ダウンしていた為、再び立ち寄る。Mさんと私は車で待機。






以上で今回の日程を終了。

急いで小倉駅へ向う。
レンタカーというわけではなかったものの、ガソリン代清算の為のガソリンスタンドが見つからず、ひやひやする。



翌日から東京で仕事のある窪谷さんと小倉駅で別れ、翌日も城攻めを行うMさんを萩市のホテルまで送り届ける。
ついでに萩市内のスーパーに立ち寄り、夕食のお惣菜を幾つか購入。
以前来た際に、恐ろしく食べづらく味も今一つだったシュークリームを買ったケーキ屋(パン屋?)を覗いたら閉店していた。







総括。

当初の台風の進路予報から、3日間ともホテルに缶詰かと諦めていたのだが、蓋を開けてみると名護屋城と高良山系が攻略できなかっただけで、7割方予定通りに作戦を行うことが出来ていた。特に最も心配されていた3日目が、強風であるだけで天気に恵まれたことは大きかった。

稀に見る超巨大台風が脇を通過していたにも関わらずのこの戦果、そして初日の窪谷さんの体調に合わせた天気の移り変わりと、このような超常現象を間近で見ていると、矢張り窪谷さんは人間離れした晴れ男なのではないか、という結論に至るしかない。




17日昼頃の進路予想図。すっかりと暴風圏内からは外れてしまっていた。




戦果:	21城 攻略




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