記録的な超大型台風 VS 奇跡の晴れ男 その1

平成24年9月15日〜17日




14日時点での台風16号の進路予測。3日目の天気は絶望的


 遠征の前日の時点で、気圧900ヘクトパスカル、中心付近の最大風速55メートル、最大瞬間風速80メートルという、40年近くの人生では聞いた事も無いような猛烈な大型台風16号が、沖縄の南海上を北上していた。14日夜の進路予測では、直撃は受けないものの17日に九州の西方付近にあり、とても城攻めなどをしている状況でない。
 そして台風に伴って北上する雨雲により、この日も一日雨であった。この予想進路からすると、3日目どころか3日間とも雨に祟られてもおかしくない。
 あの、悪魔か何かに魂を売り渡したかのような実力を持つザ・晴れ男」窪谷さんの力をもってしてもさすがに駄目だったかと今回ばかりは諦め、雨中でも時間の潰せそうな博物館や温泉施設の情報を予め調べておいた。


 しかし、結果から言うならば、この3日間で窪谷さんは我々にその「奇跡の力」を、思う存分に見せつけたのであった。




9月15日

初日。




夜半まで降り続けていた雨も上がり、午前6時前には青空すら覗いていた。
窪谷さんは前日岡山泊で移動はまだの筈だけど、近づく気配を示した途端にこれだ…


0645に門司港駅で先に小倉入りしていたMさんと合流。
まずは門司城へ。



門司城 曇り


左:山頂平坦面と門司城の石碑、右:砲台の観測所


左:門司城の時代のものとされている石垣(他に遺構らしきものは無い)、右:堡塁部の塹壕



関門大橋の西に位置する古城山が門司城である。
10年前、門司砲台を見に来た時以来。
時間が早かった事もあり、雨上がりで山全体がもやっていた。
明治時代に砲台が建設され、またそれ以外の部分も高速道路のPAが建設されたり宅地化されたことから、当時城郭がどのようなものだったかは今では全く判らなくなっている。
24cm臼砲の砲座跡に建っていた国民宿舎は、取り壊しの最中だった。




窪谷さんとの合流地点である小倉駅へ向かう途中、田向山砲台にも立ち寄る。



田向山砲台 曇り

(写真は別日に撮影したもの…もう3回目だったので、当日は撮影せず)

左:弾薬庫跡、右:一番西の砲座


左:西から2ヵ所目の砲座を上から、右:胸墻の上、WW2中は高射砲が置かれていた


左:左翼の観測所、右:西下にある塹壕


左:北西下にある電灯所、右:南西下にある発電所



JR鹿児島本線の門司駅と小倉駅の中間付近にある。現在は手向山公園として整備されている。
駐車場があるが、東からの登り口の道路の傾斜が急で、ローダウンしていない普通車でも腹を擦る事があるので注意。
砲座のある東側の中心部以外にも遺構があちこちあるので、公園内の遊歩道を隈なく歩き回ってみると面白い。




小倉駅で無事に窪谷さんと合流を果たし、花尾城へと向かう。



花尾城 曇り後晴れ


左:四の丸、右:三の丸


左:本丸、右:八幡方面を見下ろす


左:本丸西側、右:本丸東側


左:大堀切、右:井戸石塁を東側から


左:井戸石塁の北下端、右:井戸石塁の東側に併走する畝状竪堀


左:井戸と階段状の石塁、右:井戸を上から


左:階段部分を見上げる、右:井戸内部


左:馬場、右:東出丸の堀切




JR鹿児島本線黒崎駅の南東約2kmの位置にある。
一応本日のメインディッシュ。
恐るべき事に、明け方まであれだけ雨が降っていたにも関わらず、山頂に至る頃にはすっかりと晴れ渡ってしまっていた…

比高150mもあり多少の草の繁茂もあったものの、遊歩道が整備されており雨上がりの地面でも十分に登坂できた。
北斜面にある登り石垣と井戸、その周辺の畝状竪堀は圧巻である。





山鹿城 晴れ


左:北西側の平坦部、右:北西下の段


左:主郭部分、右:遠賀川を見下ろす




遠賀川河口に近い山鹿の町の南東にある城山公園が山鹿城である。公園化されており、平坦地以外に遺構は見当たらない。
戦争中には陸軍の照空分隊が陣地を築いたが、こちらも公園化に伴い整理され、今では斜面にある崩れた地下壕跡くらいしか遺構らしいものは残っていない。麓に住んでいる年配の方に伺うと、子供の頃(50年前くらい?)には山には円形窪地や塹壕が残っており良く遊んだとのこと。


真夏に戻ったかのように照りつける太陽。しかし天気が回復したのもここまで。
「昨日の寝不足が祟って気分が悪い…」とダウンする窪谷さんに合わせるかのように、この後、天気は急に下り坂となる。





岡城 小雨


左:南の尾根、道路からかなり高い、右:北下の郭から北方向を望む


左:二の丸、右:本丸


左:本丸南下にある堀切、右:同左横から西下の細い郭を




海老津の北西、町立吉木小学校の北西にある小山が岡城である。
公園として整備されており、小雨の中でも見て回る事が出来た。


前日夜遅くまで飲みがあり、更には原稿書きなどでこのところあまり睡眠を良く取れていなかったことから、窪谷さんがダウン。比高も殆ど無い丘城だったにも拘らず、窪谷さんは駐車した車内で休息し、我々2人だけで見に行く事になった。
そして窪谷さんの力が弱まったせいか、先ほどまで真夏日のように照り付けていた太陽はどこへやら、遂には小雨が降り始めてきたのである。





剣岳城 曇り後雨


左:東下の二重堀切、右:東隅下の石垣


左:南下の石垣、右:南東下の石垣




九州自動車道鞍手ICの西約1kmの剣岳の山頂にある。
公園化されて駐車場も整備されており、傾斜も緩く雨でも登れるくらいの楽勝さなのだが、逆にどうしてこの程度の場所に城を築いたのかがわからない。


ここに辿り着くまでに雨は上がっていたが、今にも降りそうな感じであり、遠くで雷すら鳴っていた。
窪谷さんは今回も車内待機。2人で慌てて回る。



麓に下りた頃から大雨、というか豪雨。
雨宿りを兼ねて近くにあった「独楽」という名前の天ぷら屋さんで昼飯。窪谷さんは飯を食べる元気も無く車内で休息。
2人共に780円の定食を食べたが、値段の割りにネタが豪華でかなり美味しかった。Mさんは付け合せで出ていたイカの塩辛を気に入って購入されていた。





雨が酷いので音丸城を諦めて福岡市へ向かう。

移動するに従って雨も落ち着き、またそれどころか道路が乾いている所すらもある。
どうも台風によって太平洋岸から雨雲の塊がまばらに北上しており、場所と時間とによって晴れたり大雨になったりしているようだ。





飯盛山城 曇り


左:二の丸、右:南下から本丸を見上げる


左:西下の郭、右:本丸


左:本丸の西側と西下の郭、右:西方面を望む




九州自動車道の古賀SAのほぼ北にある。
遊歩道が整備され、ウェットでも十分に登れた。
郭は狭いが、メリハリが利いていてよい。


窪谷さんは相変わらずグロッキーだったものの、大分回復はして来た様子。ただ今回も車内待機。
地面は濡れていたがあまり降った痕跡も無かった。





薦野城 曇り


左:西からr、右:南の溜池の堤から


左:郭の北側、右:郭


左:郭を東から、右:東端の土塁っぽいもの




飯盛山城の南東2km程の所に薦野城がある。現在は神社で、平坦地以外にはほぼ何もなし。南東の城の山山頂に詰の城である臼ヶ岳城があるようだが、こちらもほぼ単郭の簡単な遺構らしい。


窪谷さんは、引き続き様子見で車内待機。





丸山城 曇り


左:主郭の北西下の横堀、右:西側の土橋


左:西側の土橋を南西から、右:主郭南西下の横堀


左:主郭、右:櫓台?




JR篠栗線門松駅の北西約500mの小高い山にある。
登山道はしっかりしているが、山頂の草刈がされておらず、せっかくの横堀があまり綺麗に見えなかった。


窪谷さんは、引き続き様子見で車内待機。





名島城 晴れ


左:整備された本丸付近、右:大手口付近の石垣の残骸


左:石垣の残骸、右:その向かい側



窪谷さん復帰。その為か天気も大分良くなった。

多々良川の河口の北岸の丘陵地帯が名島城跡である。
地形は残っているものの住宅地に埋もれ、中心部も神社と公園とになっている。一部に辛うじて石垣が残っているが、あまりぱっとしない。




宿泊地である唐津に移動。

先ほどまで晴れていたにも関わらず、またも急に大雨。
車での移動中だったのでまだ良かったものの、この先が思いやられる。





唐津城 曇り後雨


左:工事中の天守閣、右:天守台の石垣を組み直していた




Mさんが未攻略だったので攻める。
天守閣が閉館した時間だったこともあり、殆ど人が居なかった。

雨は一応上がっていたものの天気は怪しく、慌てて回る。車に戻った頃にまた大雨。窪谷さんが既に攻略済みで、気分が乗らなかった為だったのだろうか。




雨は止まず、屋根付きの駐車場のあるスーパーがあったのでそこで買い物をし、ホテルへチェックイン。
少し休憩をとった後に、いつものスーパー飯で夕食なのだが、窪谷さんはダウンして先に寝てしまったので、Mさんと2人で食べる。
外は大雨。



午後11時頃には就寝。


そしてこうしている間にも、超大型台風は着々と北上してきていた。




その日の夕方時点における翌日16日の進路予想図。
直撃の可能性は低くなったものの、台風の東側は大雨となる傾向があり、状況は好転してはいない。




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