紀伊遠征 2

平成30年1月5日〜9日



衣笠城からの夕陽




 ちょっとスタイルを変更。


 2年前の紀伊遠征では和歌山を起点にして印南町まで南下した。今回はその続きで、御坊に集合し、みなべ町から始めて周参見まで南下する。Kさんによれば、周参見から新宮の間には碌な城が無いので、周参見まで攻略できれば紀伊半島の西岸は攻略したも同然とのこと。


 そして、せっかく紀伊半島まで行くので、遠征の前後に有給を取って、加太深山と御坊の砲台跡も攻撃することに。





○1月5日

 残り少ない有給をやりくりするために、昼まで仕事をし、午後から和歌山まで移動、そこでレンタカーの手配して御坊までの戦略移動を行うという、過酷なスケジュールになってしまった。

 しかし天気は雨。翌日には上がるというものの、足場が悪くなることは避けられない。海南市くらいから、霧も出てきた。


 御坊のスーパーでお惣菜を買い、ホテルの部屋で夕食。
しかし良い惣菜が買えず、更にホテルに電子レンジが無かったので冷えたまま。ホテルの1階に良さそうなレストランがあったので、そこで温かいものを食べておけば良かった。



○1月6日

 7時半に取り付き。
雨は余り降っていなかったようで、土は殆ど濡れていなかった。






御坊 15cmカノン砲陣地




資料(@〜B)に描かれている配置図と砲台の構造



左:中隊観測所 周辺図(Kは鉄塔)、 右:砲座 周辺図(Fは鉄塔)


左:ケーブル埋設溝E、右:同左の石垣


左:砲座Aを西から、右:砲座A内部


左:砲座A内部から西面の開口部を見る、右:北面の砲側弾丸庫


左:東上から砲座Aを見下ろす、右:対空機銃座?B


左:掘り跡C、右:対空機銃座?D




左:中隊観測所Gを北西から、右:同左を南西から


左:中隊観測所Gの内部、東面に出入口、右:南東隅にも出入口


左:観測所の北にある窪地J、右:観測所から東に伸びる溝H


左:連絡路?I、右:地下壕のように見えるも用水路のトンネル






資料(@〜B)に描かれている配置図と砲台の構造


 阪和自動車道の御坊南ICのすぐ北西にある。南北に走る丘陵が東西に並行しており、その西側の丘陵の北側に中隊観測所が、東側の丘陵に砲座がある。どちらも鉄塔の直ぐ近くであり、それぞれの鉄塔保守道を伝って容易に行くことが可能である。

 砲台は15cmカノン砲(89式?)4門で、煙樹ヶ浜に上陸してくる敵の側面を砲撃する為に設けられていた。
 砲座は、戦争末期の標準だったトンネル式ではなく、竪穴に被せ物をしただけのもので、資料には「木造(掘開式)軽掩蓋」と書かれている。資料@〜Bによれば、射撃正面である西面は一段低くなり、南北に弾丸庫と装薬庫の窪みが、また東側には後方へと繋がる通路がある。砲座を繋ぐ通路は地下トンネルで、同じく地下の待機所や弾薬庫等と結ばれる予定だったようだが、あまり掘り進められていた様子は無い。

 砲座の現状は、内径約10m弱の竪穴が1基と、その周辺に幾つかの掘り跡や、ケーブル溝が残っているのを確認しただけである。資料に描かれている配置図によると、丘陵上に南北に4基の砲座が並んでいるのだが、藪が酷くて今回は探索できなかった。しかし資料Cにある中隊付従兵だった方の証言によると、備砲されていたのは1門だけなので、砲座がここにしかなかった可能性もある。


 中隊観測所には、コンクリート製の地下式観測所が綺麗に残っている。スリットの高さは30cm程で、東面と南東隅に出入口が設けられている。このすぐ東上と東斜面には、連絡路かケーブル溝のようなものがある。
 また観測所の北東斜面には、崩落した地下壕のような窪地Jがある。今回は確認していないが、資料Cによれば反対側の斜面に出入口跡があるので、観測所防御用の銃座か何かなのかもしれない。

 鉄塔保守路の脇には用水路跡が走っている。車道をまたぐように橋まで設けられいることから、最近まで使用されていたようである。そしてこの用水路が丘陵を貫通するようにトンネルが作られているのだが、見た目が地下壕そのものだ。用水路も土を掘っただけの溝なので、陣地の塹壕や連絡路と間違えてしまいそうである。

 資料@〜Bの配置図によると、砲台の南西にあるゴミ処理場西のピークと、更に南西の狼煙山に、補助観測所のマークが描かれている。何かしらの遺構が残っているかもしれない。


参考資料:
@「第15方面軍海岸砲 配備要図」 防衛省戦史資料室 本土 配備図 26
A「第15方面軍沿岸防備施設要図 2/4」 防衛省戦史資料室 本土 配備図 28
B「第15方面軍沿岸防備施設要図 3/4」 防衛省戦史資料室 本土 配備図 30
C「由良要塞3 京阪神地区防衛の近代築城遺跡」 近代築城遺跡研究会
          御坊市野口地区の砲台について 森崎順臣







比井(東高坪山) 砲台





左:資料@〜Bにある配置図、右:同左に描かれている砲座の構造(元図から不要そうな寸法を抜いている)


左:南の砲座、右:同左正面平坦地


左:中央の砲座、右:同左正面平坦地


左:中央の砲座、右:同左正面方向(幅は約4m)


左:北の砲座、右:同左


左:北の砲座の正面平坦地、右:北の砲座を尾根上から


左:南端近くの怪しい掘り跡、右:同左近くの瓦礫


左:北の砲座近くから紀淡海峡を望む、右:南西端を




左:資料@〜Bにある配置図、右:同左に描かれている砲座の構造(元図から不要そうな寸法を抜いている)

 御坊市の北西約8kmの東高坪山から南西に伸びる尾根筋にある。尾根筋に取り付けば踏み跡のような道があるので、尾根の移動は容易である。(斜面の移動は地獄だが…)

 比井砲台も15cmカノン砲(砲種不明)4門の砲台であるが、前出の御坊砲台と違い、紀淡海峡を北上する敵艦隊を側面から攻撃する為の砲台である。紀淡海峡を挟んで徳島県側の蒲生田岬に、対となる砲台(こちらも15cmカノン砲4門)が築かれていた。戦争末期では一般的なトンネル式の砲台で、資料@〜Bには、4ヵ所の砲座と各種地下室を結んだ地下道や、コンクリート製の砲台構造図が描かれているのだが、遺構を見るに工事は殆ど進んでいなかったようで、大き目の防空壕を掘りかけたような跡が残っているだけである。一番掘り進んだもので、幅が4m程であった。

 工事中の砲座らしい形跡は3ヶ所まで見つけたものの、残り1ヵ所は見つけられなかった。北側の斜面に羊歯が繁茂している箇所があり、もしかするとそこに残りの1ヵ所があったのかもしれず、またもう少し尾根を登った辺りに、観測所か何か(付図の上にある2つの黒箱)があったのかもしれない。

 また南西端近く(地図上の「?」マークの場所)にも掘り跡らしきものとコンクリートの瓦礫が散乱している場所がある。しかし瓦礫にタイルやコンクリートブロック、鉄筋が含まれる事から、この瓦礫は戦後の家屋を解体した瓦礫のようである。ただ、こうした解体瓦礫はトラックの便の良い場所に捨てられるのだが、どう見てもトラックが上がれるような場所ではなく、何故ここに解体瓦礫があるのか不明である。







 自分1人だけのオプションツアーを終らせ、御坊駅へと向かう。2人の乗った特急は5分遅れで到着したものの、無事に合流。南御坊ICから阪和道に入り、みなべ町を目指した。






平須賀城



左:北端の郭付近、右手は土塁か、右:1つ目の大堀切


左:2つ目の大堀切、2つが1つに、右:同左の東側


左:北西端の郭、右:同左付近から主郭(南東)方向を


左:一段上がって北西を見下ろす、右:もう一段上から北西を見下ろす


左:主郭、右:主郭から南を望む



 国道脇に車を停められる比較的大きなスペースがある(青四角)。そこから細い道を進むと、狭い駐車スペースがある(青四角)。ここから奥は狭いダート道で、また農作業の邪魔になるので、なるべく手前に車を停めて、歩くべきである。

 農道から先は、案内に従って階段を登るのだが、整備されているのは最初少しだけで、後はほぼ直線の急勾配の尾根道。これまでにオプションで2つ山に入っていたこともあって、途中で何度か足が痙攣しそうになる。

 山頂の城域は良く整備されている方なのだが、木が殆ど切り倒されており、それによって日の光を十分に浴びて背丈ほどまで伸びた萱か何かの草が一面に生えている。一応刈られているものの、足元が滑りやすく、また地形が読み難くなってしまっている。

 縄張は全体的に高低のメリハリが利いている。上下差の激しい郭の間に設けられた堀切は見ごたえがある。しかし主郭周辺の地形は造作が弱く、郭周りの土塁も稀であった。主郭からの眺めは良かった。






鳶ノ巣城



左:主郭、右:主郭から南下の堀切を見下ろす


左:主郭東下の犬走り?、右:主郭南下の堀切


左:主郭北西下の郭、右:同左の西下の堀切


左:更に西下の郭、右:同左北下の横堀


左:最西端の大堀切を上から、右:同左


左:大堀切の南側、右:大堀切を横から



 墓地の駐車場が使える。そのまま墓地を上がると、獣柵の出入口があり、そこから山に入る。古い掘りこまれた山道に枝や石が溜まって歩き難いが、おかげで道を間違えることも無い。尾根に出たら、そのまま尾根道を登る。城域手前で急に道が不鮮明になるので注意。

 微妙に藪に埋もれている。北側の郭は良いが、南側は羊歯に埋もれていて縦堀等を確認に行けなかった。西端の大堀切が見ごたえがある。






日向山城



左:1つ目の堀切、右:同左を見下ろす


左:2つ目の堀切、右:同左を横から



 初め、南手から寄せる。南西麓の梅林で剪定中のおじさんを発見して話を聞くと、少なくとも南側からの登り道は無いとのこと。北にある中学校の辺りが城段という地名なので、あちら側から行った方が良いのではと言われ、北に車を回す。

 確かに道路脇に「城段」という地名があるり、地図を見ても比高差が余り無いので、こちらから攻めることに。
 北側も梅林になっている。等高線を見るとなだらかな斜面のように見えるが、実際に登ってみると地味にきつい。畑の南端から無理やり尾根筋に取り付き、半分藪に埋もれた尾根道を城域まで寄せてみたものの、二重の堀切が思ったよりもきつく、2つ目の堀切を越えるのを諦めて撤退する。

 次に行くとすれば、話を聞いた梅林の奥から西に伸びる尾根筋に取り付くのだろうか。






衣笠城



左:主郭を南下から、右:主郭


左:主郭の西下の郭、右:主郭を西から


左:主郭の東下の郭、右:同左北縁の土塁


左:北下の帯郭、右:北東下にある堀と土塁



 「一応」山頂近くまで車で登れるのだがミカン道で、幅が狭くて曲がりも急である。今回のレンタカーはデミオだったので良かったが、3ナンバー以上の大型車だと運転は難しい。また山頂間近から道がダートになる。先がどうなっているのか分からなかったので、手前にあった納屋の前に停めさせてもらったが、足下が濡れていなければ山頂まで行けそうだった。

 公園として整備されているが、縄張の隅々までというわけではなく、端っこの方は藪になっている。眺めが良かった。





 日没になったので、本日の戦闘行動は終了。

 高速道路に乗って、周参見まで戦略移動。



 遠征では久しぶりの温泉宿に泊まる。
 値段の割には良い宿だったが、部屋でネットが見れないのは辛かった。





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