紀伊遠征 2

平成30年1月5日〜9日



血深城の岩の割れ目と石窟






○1月7日

 明日から天気が崩れるとのことだったので、当初の予定を変更し、明日の攻略目標の中から優先度の高いものを前倒することに。その代わり、比較的遺構がしょぼそうな周参見と周参見中山の攻略は中止に。



神田城



左:北端の堀切と土橋、右:その南の二連堀切


左:二連堀切の東側、右:西側


左:北下の郭、右:主郭


左:主郭南下の堀切、右:その次くらいの堀切


左:その次くらいの堀切、右:南端の堀切、その向こうは鉄塔


左:北の二連堀切の西斜面、右:北西斜面にある横堀


左:横堀の北端にある石垣、右:横堀の南端にある石垣



 規模のわりに凹凸が明確に出ていて面白い。
 北西斜面に横堀があるのだが、その南北端にそれぞれ石垣がある。ただこの石垣は、後世の物なのか、それとも発掘調査か何かで組み直したのか、新しく見える。北下の郭の南西端にトイレ跡のような方形窪地もあり、また周参見の町には戦時中に防空監視哨が置かれていたことから(和歌山県警察史より)、その関連の遺構の可能性も多少あるかもしれない。





安宅勝山城



集落から山頂を望む



 いつもお世話になっている城郭放浪記の記事によると、集落奥にある梅林を登って行くらしいのだが、実際に行ってみると梅林の荒れ具合が酷く、また傾斜も非常に急であることから、攻略を諦めることに。よくここを登って行ったよなぁ…。





安宅本城



左:北西から、左手前は戦後のものっぽい、右:北から


左:西面の石垣、右:終戦直後の航空写真(M537-3、国土地理院)



 安宅(「あたぎ」と読む…今回の遠征で初めて知った…)集落に、3つ固まっている。

 安宅本城は居館で、小学校の西付近にあったらしいのだが、遺構は殆ど残っていない。西面に石垣があるが、色々な組み方がされているのでオリジナルの状態ではないようだ。北側にも郭らしい箇所があるものの、終戦直後の航空写真を見ると何も無い場所であり、本城とは関係無いと思われる。





安宅八幡山城



左:西斜面にある横堀の南側、右:同左の北側


左:主郭西下の郭、右:同左を北東上から


左:北側を走る堀切、右:主郭の北下の郭


左:主郭、北側の土塁、右:南西面の土塁


左:主郭のどこかの土塁、右:南下にある堀切


左:南端の郭の西の土塁、右:最南端の二重堀切(奥にもう1本ある)



 跨線橋の北側の下に駐車場がある。また神社にはポットンながらトイレもある(おかげで助かった)。城山は津波の避難所も兼ねている為、整備はしっかりとされている。しかし、幾ら非常灯も設置してあるとは言え、この足場を夜中に駆け上がるのは無理なんじゃないだろうか…。

 ともかく、土塁や堀切が明確で上下の高低差も良い。東斜面は絶壁なので、西斜面に郭と横堀、南北の尾根に郭と堀切を配置した、分かりやすい縄張である。





安宅大野城



左:南端の横堀…?、右:南東下の帯郭


左:南下の郭を主郭から、右:主郭


左:西下の帯郭と池?のような窪地、右:北西下の堀切



 日置川の右岸の小山に安宅大野城がある。登り道の案内は無いので、神社の境内から登りやすそうなラインを斜面から見つけて直登するしかない。

 八幡山城とは対照的に造作は不明瞭であり、主郭も自然地形に近い。城というよりも砦のような感じである。





安宅中山城



左:最北端の横堀、右:その一つ南上の横堀


左:北下の郭を東から、右:南にある主郭との段差、石垣がある


左:主郭、右:主郭西側の斜面


左:主郭西下の横堀、右:北下の郭の西面の土塁にある石列


左:北下の郭の北西隅、右:北下の郭の東下面にある石垣



 北東端に登り口があるのだが、山に入って直ぐに不明瞭になる。どうにか踏み跡を辿って行くと、北端の横堀に至る。

 南北に2つの方形郭が並び、それを囲むように帯郭/横堀が二重に巡っている。ただ東斜面は崩落したのか、元から急傾斜だった為なのか、何も造られていない。
 所々に石垣らしきものが顔を出しているが、発掘調査から10数年で杉が伸びきっていないために下草が茂って見え難い。





土井城



左:南西端の土橋を北上から、右:土橋の横の石垣


左:一つ上の虎口の土塁、右:同左から西に伸びる横堀の内側の石垣


左:横堀内側の石垣、右:横堀は更に続く


左:逆から、右:主郭を南から


左:主郭東縁の石列、右:主郭を北から


左:主郭北端にある大日如来の碑、右:同左北下の堀切を北から


左:同堀切、右:この堀切より北は羊歯が群生し、連続堀切群まで辿り着けず



 天徳寺の墓地の北東端に登り口がある。獣柵を越えて尾根筋を登り、貯水槽付近から縄張に入る。

 虎口とそこから西に伸びる横堀が、石垣成分が多くて良い。ただ羊歯が生えて見え難くなっている。山頂にある大日如来碑の北下の堀切までは大丈夫なのだが、そこから北の尾根は羊歯が群生し、北端にある筈の連続堀切群は見に行けなかった。





馬谷要害山城



左:縄張の取り付きにある縦堀、右:それに続く堀切


左:二重縦堀を西から、右:主郭の東下の郭


左:主郭を東から、右:主郭の西下の郭、ほとんど藪


左:主郭西下の郭の南縁の土塁、右:同左を逆から、奥上が主郭



 城の東麓まで車で一応寄せられるが、道は狭く途中から未舗装になる。木材加工場の奥に駐車スペースがある。高速道路のトンネルを掘る際に登山道を付け替えたようであり、道は真新しい。

 郭は3ヶ所と小規模である。しかも見所である西斜面の畝状縦堀は藪に埋もれて見に行くことができなかった。





血深城



左:高速道路脇の保守用の階段、右:この上にある…石垣は植林のものか


左:主郭西下の郭、右:主郭の南西下にある岩の割れ目


左:主郭、右:主郭の東下の郭



 道が明確で無い。いつもお世話になっている城郭放浪記さんは、西麓の団地裏から登ったらしいのだが、藪漕ぎをするわけにも行かないので、北西麓にある神社に行ってみる。すると高速道路のトンネル保守用の階段を見つけたので、これを利用する。かなり急傾斜で横のフェンスを持ちながらでないと昇り降りが恐いが、これで一気に標高を稼ぐことができる。階段を登りきった辺りから山に取り付く。テープが幾つか付いていたが途中で見失う。気がつけば藪漕ぎをしていた。
 尾根筋にたどり着けば楽になるかと思ったら、潅木や下草で非常に歩き辛い。何とか踏み跡らしき箇所を辿るも、最後は写真のような石垣の段々を登らされる羽目になる。

 郭は不明瞭で、知らずにここに来れば、城跡という認識に至らないかもしれない。特に東下の郭は石切り場跡そのもので、とても郭には見えない。





田辺城



左:水門を正面から、右:部分的に積みなおされているようだ


左:横から、右:斜め上から



 田辺市街の南西端、会津川の河口に水門だけが残っている。一角は公園になっており、狭いながらも2台分の駐車場がある。







 田辺市街にあるビジネスホテルにチェックイン。

 近くが繁華街なので飲みに行くのだが、成人式の週末であることもあり、まともな店はどこも満員で入れなかった。仕方なく、まともでない店で簡単に飲む。来年があれば、予約を入れておくか、スーパー飯にしておこう。






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