紀伊山岳戦

平成28年1月8日〜11日




1月の山ツツジ





恒例の冬季遠征だが、当初は宮崎県へ行く予定だった。

しかし、どの日にでも有休を突っ込めるくらいに暇な私とは違い、東京組のKさんもYさんも、お忙しく、年末になるまで不確定な状態であった。その為、飛行機予約の必要な宮崎は難しくなり、東西のどちらからでも新幹線で行き来可能な和歌山県が遠征地となった。


そして、折角和歌山まで行くので、1人だけ有休を取って前乗りし、加太周辺の砲台探索を行うことにした。






○1月8日

始発で下関を出て、10時半過ぎに和歌山着
早速レンタカーを借りて、加太へ向かう。




深山 海軍15cmカノン砲台(深山火薬本庫)


左:火薬本庫の北上から海を、右:火薬本庫裏手の石塀


左:石塀、右:東半分はコンクリート塀


オレンジ線は前回(数年前)、赤線が今回


 深山砲台は明治期要塞だが、麓の深山重砲兵連隊は終戦時まで存在し、終戦直前には深山から対岸の淡路由良に至るまでの紀淡海峡周辺に、本土決戦に備えたトンネル砲台が幾つか築かれた。
配置図を見ると、海軍の15cmカノン砲2門が深山重砲兵連隊北側の山中に描かれていた為、数年前に一度探索した。当時は尾根の北側だと推定し、大川堡塁に至るまでの斜面を彷徨ったものの、それらしいものを見つけることが出来なかった。

 今回は南側斜面と検討を付け、1時間ほど彷徨ってみたものの、今回も何も見つけられなかった。代りに深山火薬本庫を取り囲む塀を見つけたくらい。

 家に戻ってからもう一度検討しなおした所、火薬本庫の北東の谷筋が本命かと。
もう少し東まで探索していれば良かったのだが。歳の所為で体力、気力、共に持たなくなってしまい、撤退判断が早くなっている。





深山第1砲台付属堡塁


左:深山第1砲台への通路脇の分岐、荒れている、右:堡塁の入口


左:南西側の砲座、右:南東にある貯水施設


左:中央から北を(奥に砲座)、右:北東側の砲座?


左:地下弾薬庫への入口、右:地下弾薬庫を上から


左:北西側の砲座、右:同左から南方向を



深山第1砲台は公園として整備されているが、その付属堡塁は案内が無いどころか荒れており、知識が無いとどこにあるのかわからない。鉈鎌は不要だが、スニーカーくらいは履いてないと難しい。

遺構を見ると、北西と南西に臼砲砲座が、北東に歩兵・機銃用の防塁があるように見えるのだが、縄張図を見ると北東側のものが臼砲砲座になっている。






深山第1砲台


左:東端のスペース、右:右翼観測所


左:東側の地下掩蔽壕、右:北東側の砲座から南西方向を


左:28cm榴弾砲砲座、2門1基、右:砲座間にある地下式弾薬庫


左:地下式弾薬庫、右:内部


左:砲座を上から、右:南西側の砲座を上から


左:左翼観測所の跡、右:紀淡海峡を



深山第1砲台は公園として整備され、また遺構も良く残っている上に形状も面白い。特に砲座間にある地下式弾薬庫は細工が凝っている。





男良谷砲台


左:南東から、弾薬庫の左右に2門づつ、右:北東から


左:砲座、右:南隣にある海軍の水雷発射堡のトンネル


左:水雷発射堡の海側の出口、右:船着場跡



国民宿舎の西の谷の端に、男良谷砲台がある。12cm速射カノン砲4門の簡単な砲台で、南隣にある海軍の水雷発射堡の方が、遺構としては面白い。
写真のトンネルは途中で崩落しているが、更に南上にある探照灯用のトンネルは比較的良く残っている。またその更に南上には戦時中の海面砲台用の探照灯用トンネルがあるが、こちらは途中で崩落してしまっている。





深山海面砲台、海軍12cmカノン砲台


左:陸軍の海面砲台の西側の壕の出入口跡、右:同左の南下、平坦面になっている


左:西の崖を上から、この下に砲台がある…、右:遊歩道脇の崩落した壕



男良谷砲台の直ぐ北上の断崖絶壁に、戦時中に陸軍が構築した海面砲台がある。

数年前に探索した際、Sさんが崖を這い降りて写真を撮影してきたので存在していることは確かだが、私自身はこの目では見たことが無い。そこで今回、釣りで使用するタモ網の柄の先に遠隔操作可能なデジカメを取り付け、何とか崖を降りずに砲座を撮影できないか試そうと思っていたのだが、直前の藪漕ぎ中にカメラの台座が折れてしまい、撮影できなくなってしまった。無念の敗退。

砲座の反対側には崩落した壕の出入口があり、その南下は狭いものの平坦地が残っている。


終戦時の配置図を見ると、この北側に海軍の12cmカノン砲台が書かれているのだが、場所は確認できなかった。地図の赤点線内付近かと思われるが、それとペアになる壕らしきものが見つからない。男良谷へと下る遊歩道脇に崩落した壕跡があるのだが、ちょっと離れすぎているように思える。





加太砲台


左:南側の弾薬庫、右:北側の弾薬庫


左:北端にある右翼観測所、右:同左内部


左:観測所内部、右:測距儀の台座跡


左:観測所を北西から、右:北端のカノン砲座を北から


左:カノン砲座内部、右:西から


左:南端のカノン砲座を南から、右:同左南面


左:南端のカノン砲座の南上にある小隊長位置?、右:同左


左:今も残る付属建物、右:同左脇にある井戸



和歌山市立少年自然の家の位置に、加太砲台があった。
自然の家の建設で半分破壊されたものの、砲座が1基半、右翼観測所、地下弾薬庫、付属施設等が残る。田倉山砲台はここから歩いて行く。

北端の砲座は、ほぼ完全に残っている。アンカーボルトが抜かれていないのも珍しい。またこの北にある右翼観測所も、鉄部品が抜かれているものの、それ以外はほぼそのまま残っている。
南端の砲座は、道路で割られてしまい、良く見るとどうにか砲座だとわかる程度に。その南上の給水タンクの場所に、観測所というよりも小隊長位置のような施設跡がある。

駐車場の近くには、当時の付属施設がそのまま残っている。井戸も現役で使用されている。





田倉崎砲台


左:右翼観測所を北東から、右:同左


左:観測所上部、穴は埋められている、右:観測所の周囲に巡らされた壕


左:砲台西側の弾薬庫、右:西側の砲座


左:砲側弾薬庫は薪置き場に、右:中央の弾薬庫


左:中央の砲座、右:東側の弾薬庫


左:東側の砲座、右:同左


左:東側の砲座を北東から、右:全体、公園なのだが、平日夕方で誰も居ない


左:火薬庫?、右:同左内部


左:左翼観測所を北から、右:同左


左:左翼観測所施設、右:観測所


左:観測所の周囲に巡らされた壕、右:同左



少年自然の家から旧軍道を南東へ登ってゆくと、田倉崎砲台に至る。
見晴らしの丘が右翼観測所、家族の広場が砲台、小鳥の森が左翼観測所である。

公園化により多少破壊されている部分があるものの、比較的良く残っている。左右観測所の周囲に壕が巡らされているのも面白い。また砲座の東にはカマボコ型の火薬庫らしいものもある。




午後4時を回り、段々と暗くなってきたので切り上げる。


和歌山に戻り、ホテルにチェックインする。
安いだけあって、3棟くらいのマンションを無理やりホテルに改装したような造りで、エレベーターも4人乗りという、これまで乗った中では最小のものだった。
部屋のトイレが、どう見ても元ベランダに壁を増設して無理やり作ったような感じで。


夕食は、1階に入っていたスペイン料理屋。
何故こんなボロホテルにこんな小洒落た店が?というような場違いなレストランだった。しかも開店セールでビールとワインが100円になっており、本格的なスペイン料理を格安で楽しむことが出来た。


酒もしっかりと入り、また1日山を歩いて疲れていたため、早々に就寝する。





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