安芸備後遠征2 〜寄る年波に勝てず〜 その1

令和5年 11月3日〜5日



北田城の紅葉




 今年は熊の年だった。北海道から東北にかけては言うに及ばず、中国地方ですら例年よりも多くの熊が出没していた。これまでにも毎年のように発生する線状降雨帯によって山が削られ、年々進む高齢化で山が荒れ、登山環境が悪化していたのに、果ては熊まで。もう城に登るなと言わんばかりの状況の下、今年は11月頭の三連休に遠征を組むことになった。

 遠征先は地元広島。当然、東京在住のKさんからは
 「広島は、熊は大丈夫か?」
との問い合わせが来る。

 実際、10月に広島市の市街地で目撃情報が出るなど、例年以上に出没していた。しかし広島県のレベルですら危険だと言ってしまえば、今後は熊の生息していない九州と四国以外の山城には行くことができなくなってしまうだろう。数年前に熊パラダイスの飛騨で遠征を無事にやり遂げたことを考えれば、どうということはない…筈。

 「(秋田県に比べれば)ダイジョブデス」

…嘘はついていない。情報を一部省略しただけ。


 ただ、秋田県に比べれば安全であろうとは言えども、熊に会う可能性は少なくしたい。そこで比較的人里から近い城、整備がしっかりしていて登りやすい城、城郭放浪記で縄張図が公開されている城、という条件で、三次に二泊する日程をひねり出した。攻撃対象はほぼ広島県で地元も地元。特に初日の攻略ルートは、去年通っていた会社の通勤経路そのもの。念のために大音量の出せる大き目のラジオも準備した。縄張図も放浪記謹製のしっかりしたものが多く確保され、週間天気予報も比較的良く、これ以上無いような良コンディションの筈だったのだが……。





2023年11月3日 金

 午前6時過ぎ、岡山に前泊していたKさんから電話がかかってきた。
「…寝坊した」

 始発のこだまで広島に来る予定だったのだが、こだまの出発時間に目が覚めたとのこと。急いでダイヤを調べると、後発のみずほでも15分しか違わない。その旨を伝えて、新しい集合時間に合わせて家を出発した。

 午前7時25分、ようやくKさんと合流。

「それほど飲まず、早く寝た筈だったのに」

 来年には定年を迎えるKさん。「それは歳のせいですよ」と答えておく。
県道38号線沿いに北上し、七曲城へと向かう。





1日目の行程(Google Mapを基に作成)




七曲城


左:本丸の南下の堀切を南から、右:本丸南端から南下を


左:本丸の東下の郭を南から、右:本丸の東下の石垣?


左:本丸の北端、右:本丸の北下の複数の堀切


左:本丸の北下の二重堀切を南東下から、右:同左を北西上から


左:複数の堀切から本丸方向を、右:少し北に下がって本丸方向を


右:森林総研・森林土壌デジタルマップより

 高陽自動車学校の裏手にある。(無断で)駐車場を使わせてもらったが、良いのかどうか。
 南北どちらの登り道も取りつきが分かりづらく、また南側の登り道は急斜面で足場が悪く登り難い。岩質で、上下にメリハリの利いた城だった。
 幸い、爪跡や糞、獣臭といった熊の痕跡は見たらなかった。





古川城


左:南の二重横堀、右:本丸南下の横堀


左:東下の独立した郭、右:同左


左:本丸北下の堀切を東から、右:同左を西から


左:本丸西斜面の石垣…というか石、右:こちらは石垣


左:本丸、右:東の横堀


左:東の横堀、右:矢印方向に入るのが正解


右:森林総研・森林土壌デジタルマップより

 周辺に駐車場になるスペースが無い。丁度自治会のゴミ拾いの集まりの後で、地元の方複数に声をかけて道のわきに停めさせてもらった。橋の西のたもとにある空地は、おっかないことになるので車は停めないようにとのこと。
 城の入り口脇の看板まではすんなりとたどり着き、看板脇の墓所の裏から獣柵をくぐったのだが、そこから先の道が無い。色付きテープすら見当たらず、しばらく探して、道跡を見つけて進むのだが、方向が明らかにおかしい。仕方なく一度東上を通る林道まで斜面を直登し、林道を南下。城の東付近で尾根を降りるが、城の場所を確定するまでに時間がかかってしまう。どうにか城に登るのだが、ここも上下にメリハリの利いた城で、気力体力を消耗してしまった。

 放浪記の縄張図だと城の北東側に3重の横堀が巡っているが、外側の1本は自然地形っぽい。また横堀に石垣マークが入っているが、石垣を積んだというよりも岩場から石を切り出して堀にしたという感じである。

 それから、爪跡や糞、獣臭といった熊の痕跡は見たらなかった。





藤加勢城


左:南西下の畝状竪堀?、右:竪堀


左:北西下の横堀、右:西下の郭


左:北下の郭の井戸跡?、右:北下の郭の石垣


左:主郭、右:主郭南下の石垣




右:森林総研・森林土壌デジタルマップより

 ここも取りつきが分かりづらかった。車道を東に上がって池の北隣で防獣ネットをくぐり山に取りついたものの、そこから先に道らしきものが無い。谷を無理やり登っても良かったのかもしれないが、トタンの低い防獣柵沿いに北に回り込み、墓地を通る道を登る。
 中央に3つの郭があるが、広くもなく、主郭も平坦面があまり明確でない。所々に石垣が組まれている。GISを見ると、広い斜面を横堀で大きく囲っている。時間をかけてそれらをまわると面白かったかもしれない。

 この辺りで熊の存在は余り気にしなくなった。




 この時点で12時過ぎ。3城しかまわっていないのに、体力と気力が共に尽き、比高に比べて中身の薄い星ヶ城は苦痛でしかないので、今回はパスすることに。

 うどん屋が近くにあったと思っていたら開いていなかったので、スーパー飯。





星ヶ城




森林総研・森林土壌デジタルマップより

 GISを見ていると、上下にメリハリの利いた城だったようで、機会があれば行ってみたい。





戸石城


左:南東の登り口、右:東下の郭


左:主郭の南下の平面、右:主郭西下の堀切


左:主郭北下の横堀、右:同左


左:畝状竪堀?、右:横堀



右:森林総研・森林土壌デジタルマップより

 これまでの3城に比べて比高も低く、道も分かりやすくて涙が出そうになる。





田屋城


左:北下の四ノ郭、右:同左


左:北下の二ノ郭、右:同左の井戸


左:主郭、右:主郭の石垣


左:主郭西端の土塁、右:同左から東下の堀切




 初日の城の中で最もきつかった。遠征中でも日野山に次ぐ難易度。比高は100mちょっとしか無いのだが、とにかく足場が悪くて歩きづらかった。それまでの気力体力の疲労が積み重なっていたことも原因かもしれない。
 上下のメリハリも激しい。この険しい山の上にこれだけの平坦地があることに感動を覚えてしまう。




 本当はこの後に塩屋城に行く予定だったのだが、気力体力共に消耗が激しく、整備された遊歩道の無い塩屋城に登れる気がしなかった為、予定を変更して比較的楽に行けそうだった北田まで引き返す。





北田城


左:林道から主郭東端の土塁を、右:主郭


左:主郭西端から東を、右:西下北側の郭


左:西下南側の郭、右:主郭東端の土塁


左:主郭東の二重堀切、右:同左



右:森林総研・森林土壌デジタルマップより

 GoogleMapのストリートビューだと狭くてきつそうな林道だったので、遥か麓から歩いたのだが、途中で獣柵の扉を開閉する必要があるものの、普通車でも楽勝な林道だった。
 東裏手の二重堀切が良かったのだけど、上まで登る気力も体力も残っていなかった。





日下津城



 麓の登り口までは行ってみる。看板もあり分かりやすい登り口なのだが、車を停めるスペースが無い。





塩屋城



 北麓の公民館に車を停められる。尾根道なので気力体力共にあれば、それ程難しくなかったのだろうと思う。





 三次まで北上する。ホテルに行く前に、登山靴の靴紐が限界になったのでスポーツ用品店に買いに行く。登山靴用の靴紐は無かったので、バスケットシューズ用の靴紐で代用する。ついでに近くのスーパーで買い物。

 ホテルにチェックインし、少し休んだ後で居酒屋で夕食。美味しいのだけど、値段が東京並みだった。



 午後10時には就寝。しかし眠りは浅い。






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