安芸備後遠征2 〜寄る年波に勝てず〜 その2

令和5年 11月3日〜5日



未明の火事騒ぎ




2023年11月4日

 午前4時頃、ホテルの火災報知器が鳴る。というか、最初は火災報知器だと気づかなかった。隣の部屋で目覚まし時計でも鳴っているような感じだった。
 寝起きの頭でどうにか火災報知器のベルだと認識できたので、とりあえず廊下と外を見るが火事の気配は無い。ただ何があるかわからないので、直ぐ外に出られるように着替えてから寝直す。しばらくして消防車が何台か来ていたが、結局は火災探知機の誤作動だったようだ。

 10月から働き始めた新しい職場でのストレスで、このところ常に眠りが浅く寝不足だった私は、この騒動で殆ど影響を受けることなく普通に寝不足だったが、Kさんは寝はぐれてしまい、出だしから体力を消耗してしまった。


 7時前にホテルを出発。国道54号線を35qも北上して島根県に入る。




2日目の行程(Google Mapを基に作成)




賀田城


左:主郭の西下の郭、右:同左から主郭を


左:主郭、右:主郭の東下の郭


左:その東端、右:同左から主郭方向を


左:東側を望む、右:南斜面の畝状竪堀?



 南西側の入口から入ったが、道が熊笹で覆われていて歩くのが大変だった(ヤマダニ的に)。南東麓に辿り着くと、北東から登って来ている別の整備された登山道があり、そちら側と、合流点から山頂まではきれいに整備されていた。どうも現在は東麓からの登山道が主なルートで、南西側は整備が放棄されているようだ。
 山頂までの道は非常によく整備されており、昨日までの苦痛が嘘のようである。そして山頂からの景色は素晴らしかった。ただ東西に伸びる尾根筋の先にある郭や堀切は、道が見当たらなかったので諦めた。





赤穴瀬戸山城


左:大手口、右:同左の石垣


左:主郭北下の郭の石段、右:同左を西下から


左:主郭東下の石垣、右:同左


左:主郭を南下から、右:主郭


左:主郭南下の郭の石段、右:主郭の2つ南下の郭


左:更にその南西下の郭を見下ろす、右:その下の石垣


左:そのアップ、右:その北西側の石垣


左:東側のピークの郭、右:その東下の郭


左:その東の二重堀切、右:更にその先の二重堀切



 賀田程ではないにしても、登山道は山頂までよく整備されている。石垣が多く残っているが、その多くが崩れているので、楽しむには想像力が必要。山頂からの景色も良く、久しぶりの満足度の高い城だった。

 瀬戸山城から更に東に進むと、毛利方の付城である武名ヶ平城があるのだが…そこまでの気力も体力も無いので、そのまま降りる。





 再び三次方面へ南下。本来なら本亀城と福山城に行く予定だったものの、時間が押していたことと整備状況も良くわからないのでパスすることに。




本亀城・福山城







亀山城


左:亀山城の入口の防獣柵の扉、右:非情な施錠



 駐車場もあり、入口もわかりやすい。ところが防獣柵の扉を開けて行こうとしたら、扉に鍵がかけられていた。柵を無理やり越えて行けないこともなかったが、立ち入り禁止と同じ意味だろうということで撤退することに。




 昼飯は、三次市街に入り、汁無し担々麺の「くにまつ」の三次支店へ。この店は、本店の味と比べると多少あれだが(餡もだが、麺も違う?)、その代わり行列が無い。並んでいる暇は無いものの、東京から来ているKさんに少しでも広島の味を楽しんでもらう為には、この店が丁度良かった。





比叡尾山城



 山頂近くまで車道が行っているのだが、実際に走ってみたら、思った以上に狭かった。いつもなら無理やりにでも進んでいたのだろうけど、城郭放浪記に「道の狭さの割りに自動車の通行量が多い」という情報が書かれていたことと、昨日から祟っている気力減衰で心が折れてしまい、攻略を諦めて引き返してしまった。






福谷山城



 福谷山城も候補だったのだが、良く見ると比高が200mもある。昨日の状況を見ていると、とても登れたものではないと判断してパスすることに。





比熊山城


左:南東端の太子堂跡、右:同左から北を


左:太子堂北の郭と土塁、右:その西横の円形窪地


左:地下壕、右:三次市街を望む


左:主郭、右:主郭東端の土塁


左:中央の郭から北端の郭を望む、右:北端の郭


左:北西にある畝状竪堀の西側、右:東側


左:畝状竪堀、右:畝状竪堀



 尾関山公園に車を停めて登山口を探すのだが、案内板が見つからない(下山後に見つける)。駐車場に居た誘導役の人に尋ねるも知らず、別の老人に尋ねて西から回り込むルートならあるかもしれないと言われ、国土地理院の南から西に回り込む点線道ルートの事かと合点し、登山口へと向かう。しかし浅野長治公墓地へと向かう林道は竹が倒れ掛かり進むのも難しく、また国土地理院地図の点線道らしきものも見当たらなかったため引き返す。
 今度は鳳源寺へと向かうと、裏手から少し東へと回り込む形で道が出ていた。ただこちらも余り整備されているとは言えないような道だった。どうにか山頂まで登るも、城域の殆どが藪。午前中の島根県の城との差が激しい。
 見どころは、北西にある、やたらと綺麗に整地された畝状竪堀。本当に当時のものか?というくらいに直角真っすぐに並んでいる。

 太子堂の裏手の郭の横に円形窪地が、またそこから西に20mくらいのところに地下壕跡があった。戦時中に防空監視哨でもあったのだろうか。






尾関山城


左:山頂の平坦地、右:その西下の平坦地


左:平坦地、右:平坦地


 尾関山公園に戻る。意外と比高がある。城らしいものは平坦地以外何も残っていない。




 まだ15時過ぎだったが、心身ともにクタクタになったのでホテルに戻って休む。


 今夜は焼き鳥屋へ。昨日よりは安価だかったものの、色々食べ過ぎて支払いは昨日とあまり変わらないことになる。


 この日も早々に就寝。そして今夜も眠りは浅い。






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