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■93 / inTopicNo.1)  北斗劉家拳
  
□投稿者/ へぷしゃ 下級修羅(28回)-(2002/09/13(Fri) 10:32:15)
    kinei02.png北斗劉家拳は北斗神拳のことだと思ったら、劉家拳は北斗神拳とは違った流派であることが発覚ですなw
    これから、さらにどれぐらい登場するのでしょうか??w

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■100 / inTopicNo.2)  Re[1]: 北斗劉家拳
□投稿者/ 劉龍 下級修羅(25回)-(2002/09/13(Fri) 14:00:21)
    souryo.png白馬寺の時に「北斗神拳伝承者が上海に出現」「この地には北斗三家拳が」と
    神拳と三家拳が別であることは示唆されてましたね。
    南斗は出してくれますかねぇ。元斗や琉拳は出ないでしょうけど。。
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■102 / inTopicNo.3)  Re[1]: 北斗劉家拳
□投稿者/ へぷしゃ 下級修羅(33回)-(2002/09/13(Fri) 20:59:31)
    hyumo.pngファンとしては私も南斗は出てくれたら良いなと思います。
    確か北斗でウィグル獄長が「さすがだな劉家北斗神拳・・・・・・」(コミックス7巻)と言っていたので、劉家拳が北斗神拳だと思っていましたw
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■103 / inTopicNo.4)  Re[2]: 北斗劉家拳
□投稿者/ 劉龍 下級修羅(27回)-(2002/09/13(Fri) 23:08:17)
    kasumi02.png獄長の「劉家北斗神拳」、読み切り北斗の「劉家秘伝北斗神拳」にある
    劉家は蜀の劉家では無いみたいですね。漢帝国の劉家なんでしょうか。
    北斗神拳の成立が三国志の時代ならば、漢の時代に北斗宗家が皇帝を守護していたとか・・
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■110 / inTopicNo.5)  北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ 曹子孝@管理人 下級修羅(37回)-(2002/09/14(Sat) 21:13:15)
    kousou.png三国時代は正確には魏が後漢から禅譲されて独立した西暦220年から呉が滅亡した280年までで、三国鼎立していたのは呉が独立した229年から蜀が滅亡する263年の34年間と中国の長い歴史上の中では短いものです。
    とは言っても、三国志の主人公曹操は220年没で、魏が後漢に成り代わったのは息子の曹丕、蜀が独立してから劉備が没するまでわずか2年なので、史実としての三国時代と考えるのは現実的ではありません。

    三国時代と言うより三国志の時代とするほうが現実的なので、黄巾の乱が起きた184年から呉が滅亡、即ち晋(西晋)が統一する280年までの96年間とするのが正しいでしょう。
    北斗神拳は黄巾の乱の頃に誕生し、当時の天子だった後漢皇帝を守護し、三家拳は曹操が袁家を滅ぼし、華北を統一した207年頃からその原型が出来上がり、劉備が蜀の劉璋を滅ぼし、実質三国体制となったところで派遣されたのだと思います。遼東の公孫家を燕国として四国とする考えもあり、袁術も皇帝を自称したこともあることから、いつどこで誰が皇帝を名乗るかわからない時代だったので、北斗の高僧も色々と苦慮した結果だったのでしょう。
    この時点ではまだ魏呉蜀ともにまだ皇帝でなく、あくまで後漢の下にあったので、「次の正統王朝はどこなのか」と迷ったあげく、それぞれの地に三家拳の拳士を派遣し、三国鼎立後も守護し、滅亡後は土着して、それぞれの拳を進化させて行ったのでしょう。元々三家拳は同じものだったと考えていいと思います。無論北斗神拳は一子相伝なので北斗神拳ではありません。
    一方、一子相伝の北斗神拳伝承者もちゃんといるので、正統王朝とされる後漢から魏、晋(西晋)の流れで守護していったはずです。つまり曹家を守護した拳士に限っては魏の滅亡までではなく、曹丕が皇帝になるまでだったわけです。呉や蜀は正統王朝ではないので、守護する拳士も曹丕が皇帝になった以降は必要なかった…というわけではなく、魏が正統王朝と名実ともに認められているのは魏から禅譲された晋が正統王朝だからなので、呉と蜀も滅亡まで守護拳士を置いていたのでしょう。

    だから魏拳・呉拳・蜀拳でなく、曹家・劉家・孫家としたとも考えられます。

    まとめ。
    北斗神拳 184年後漢皇帝の守護->220年魏皇帝の守備->265年晋皇帝の守護
    曹家拳 実質三国体制となった214年頃から曹家を守護->魏が後漢から禅譲に至り220年失職。
    劉家拳 実質三国体制になった214年頃から劉備の劉家を守護->蜀滅亡により263年失職。
    孫家拳 実質三国体制となった214年頃から孫家を守護->呉滅亡により280年失職。

    年表
    184年 黄巾の乱。(北斗神拳成立)
    196年 曹操後漢皇帝を奉じ、司空に昇る。
    198年 孫策呉侯に封じられる。
    200年 曹操官渡で袁紹を破る
    207年 曹操華北を統一。(三家拳発祥)
    208年 曹操後漢の丞相に昇る。
    212年 曹操魏公に昇る。
    214年 劉備が劉璋を滅ぼし蜀を領地化。(三家拳派遣)
    216年 曹操魏王に昇る。
    219年 劉備漢中王を名乗る。
    220年 後漢滅亡。曹丕魏初代皇帝となる。(北斗神拳が魏の守護に。曹家拳失職)
    221年 劉備蜀皇帝となる。正確には漢だが蜀漢、蜀と記す。
    221年 孫権が魏に臣従し、呉王に封じられる。
    229年 孫権呉皇帝となる。
    263年 魏の司馬昭晋公に昇る。
    264年 魏の司馬昭晋王に昇る。
    263年 蜀滅亡。(劉家拳失職)
    265年 魏滅亡。司馬炎晋初代皇帝に。(北斗神拳が晋の守護に)
    280年 呉滅亡。晋が統一。(孫家拳失職)

    というわけで、劉家秘伝は後漢帝国の劉家とするのが正解(笑)
    その後分裂の時代に再び分かれることがなかったのは、この時代の三家拳が空回り終わった教訓からでしょう。正統王朝を見極め(清代には中原を制する王朝という意識があった)、該当する国がない場合は守護せず、静観していました。
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■112 / inTopicNo.6)  Re[4]: 北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ 劉龍 下級修羅(28回)-(2002/09/16(Mon) 01:38:22)
    ryuken04.pngあと謎は、北斗神拳がいつ・なぜ日本に流出したかですね。
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■113 / inTopicNo.7)  Re[5]: 北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ 劉龍 下級修羅(29回)-(2002/09/16(Mon) 22:26:27)
    ryuken05.png日本に中国拳法が伝わったのは、1620年代に来日した陳元贇(ちん・げんぴん)によるとされています。
    陳元贇は武術や整体、書画などを修めた人物でした。明末期の動乱をさけて日本に渡ったようです。
    北斗神拳が日本へ伝わったのもこのころとすると、明の衰退と関係しているのでしょうか。
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■114 / inTopicNo.8)  Re[6]: 北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ 曹子孝@管理人 下級修羅(1回)-(2002/09/16(Mon) 23:30:35)
    ryuken06.png考えられるのは3通り。

    1.明末の動乱を避けた場合
     歴史的には漢民族以外の皇帝は珍しくなくなっていたが、250年続いた漢民族国家明帝国により、漢民族こそ天子に相応しいと考えた北斗神拳伝承者が台湾に逃れた。他の中国拳法と異なり、天帝と天子を守護する役目があるので、そうでなければ300年続いた清王朝に戻っていたはずだ。
     清帝国は知っての通り異民族国家(女真族)。明帝国の前に100年続いた元帝国はやはり異民族の蒙古民族ということで、明帝国の二度と異民族に蹂躙されたくないという精神から「漢民族こそ正統」であると根づいたものと思われる。その後、日清戦争により台湾が日本に割譲され、日本に土着した。

    2.西洋の列強による動乱を避けた場合
     アヘン戦争、アロー戦争などで西洋の列強が中国に進出し、難を逃れるために台湾に逃れた。その後日清戦争により台湾が日本に割譲されてしまい、次代の力のある天子の出現まで隠遁することになった。

    3.日清戦争を避けた場合
     日清戦争による混乱を避けるために台湾に渡ったが、結果台湾が日本に割譲されてしまい、次代の力のある天子の出現まで隠遁することになった。
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■115 / inTopicNo.9)  Re[7]: 北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ 劉龍 下級修羅(30回)-(2002/09/17(Tue) 00:09:45)
    ryuken01.png日清戦争(1894年)を契機とすると、蒼天の舞台である1935年まで41年しかたってないから
    拳志郎の先々代が日本に移住したとすると、時間が短すぎるような。
    でも読み切り北斗で拳四郎の親父の師父の名は劉正といったそうだから、
    日本に渡った中国人が、日本人である拳志郎の父に北斗神拳を伝えたのかもしれない。
    北斗神拳が日本に渡ったのは比較的最近ということか。
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■116 / inTopicNo.10)  Re[8]: 北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ 曹子孝@管理人 下級修羅(39回)-(2002/09/17(Tue) 00:54:54)
    ramon01.png>日清戦争(1894年)を契機とすると、蒼天の舞台である1935年まで41年しかたってない

    清代だとするとアヘン・アローの頃とするほうが期間的には十分だね。
    日清戦争なら1906年生まれの溥儀は直接北斗を知る世代に聞かされているはずなので「伝えられている」とは言わないはずだしね。
    それか太平天国の乱(1851年〜1864年)に参加して、西洋列強の軍隊に敗れて台湾に逃れたとも考えられるね。

    >日本に渡った中国人が、日本人である拳志郎の父に北斗神拳を伝えたのかもしれない。

    これはないなぁ。読み切りは少し別物だしね(笑)
    北斗神拳は北斗宗家かそれに連なる血縁でないといけないようだから。
    この法則だとキムやジャギも遠縁だったと推定される。
    リュウケンは劉賢あたりが本名で霞羅門は日本名と考えるとしっくりくる。
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■117 / inTopicNo.11)  Re[9]: 北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ 劉龍 下級修羅(31回)-(2002/09/17(Tue) 02:44:29)
    ramon02.pngつまり1894年から1945年の間「日本(領)であった台湾」に北斗の家があったというわけですか。
    日本本土ではなく・・
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■118 / inTopicNo.12)  Re[10]: 北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ 曹子孝@管理人 下級修羅(41回)-(2002/09/17(Tue) 05:02:15)
    han02.png何も台湾にこだわることはないと思う。
    台湾での同化政策は教育にこだわり、就学率は極めて高く、本土への留学もごく普通に行なわれていたし、移住が禁じられていたわけでもないと思う。労働力として移住していた話もある。
    玉玲によると拳志郎は日本で生まれているので、それを日本本土とするか、日本統治下の台湾とするか微妙ではあるけど、拳志郎や玉玲が生まれた頃は既に台湾は日本統治下になって久しいから、別にどっちでもいいんじゃないかな。
    同化政策による就学率が高かったので、台湾にすっといたとしても語学力、特に日本語に関しては全く問題なし。蒼天でも実は北京語、広東語、日本語が飛び交ってるはずだしね(笑)

    台湾へ移住したのが拳志郎の祖父の代か曽祖父の代かわからないけど、父が日本人と結婚した可能性もある。父が日本人と結婚していた場合、母の姓が霞で日本名としたのかもしれない。その逆でもいい。母が日本人の父と結婚していても。父親が北斗神拳伝承者でいけない法則は全くないからね。宗家か遠縁でも連なる血脈さえあればいい。
    実際拳志郎が日本と中国を自由に行き来しているところを見ると、扱いは一般の日本人と変わらなかったと思われるし、むしろ高い地位とも言える。北大路財閥と出会う前に既に行き来しているから、親のコネでもあったのかもしれないね。
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■119 / inTopicNo.13)  Re[11]: 北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ へぷしゃ 下級修羅(36回)-(2002/09/18(Wed) 10:29:23)
    go14.png琉拳は出てきませんね。蒼天の時代にはジュウケイもまだ子供のはずなので、魔界を見る前の子供ジュウケイは登場するのか?!w
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■121 / inTopicNo.14)  Re[12]: 北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ へぷしゃ 下級修羅(38回)-(2002/09/19(Thu) 10:26:53)
    butao06.png琉拳が出てきたら、そちらの方の分派も見たいものだな〜
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■123 / inTopicNo.15)  Re[13]: 北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ 曹子孝@管理人 下級修羅(42回)-(2002/09/20(Fri) 10:53:21)
    shati03.png北斗神拳伝承者ケンシロウですら知らなかった分派だし、北斗神拳のように天子を守護するといった役割もないので、北斗以上に陰の拳だったのでまず出ないかと。
    よってジュウケイは蒼天の拳には出ないでしょう。まだ弟子にすらなってないかも。
    カイオウのように野望の高い男が魔界に入り、世が乱れたという条件のときのみ表に出る機会があると思いますよ。
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■130 / inTopicNo.16)  Re[14]: 北斗神拳・三家拳の成立と三国志の歴史
□投稿者/ へぷしゃ 下級修羅(41回)-(2002/09/25(Wed) 11:05:28)
    siranee.png確かに。琉拳は北斗においても滅亡する運命の拳とされてましたからな。剛深き拳ゆえに、役目がなくなれば滅び去るのが宿命か・・・・・
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