西播磨遠征3 ぬるま湯遠征 その1

令和2年 1月11日〜13日



野間城から




 隊長を中心としたメンバーでの遠征が機械化される前は、移動手段は電車やバスといった公共交通機関と徒歩のみだった為、1日に回る城の数は3から4城、多くても5から6城も回れれば良い方だった。しかし部隊が機械化されてからと言うもの、1日に回る城の数が多くなり、酷い時には20近くにもなることもあった。
 回る城の「数」が第一である隊長にとってはそれでも良いのだろうが、1日に回る城の数が増えることで義務感も増し、肉体的な負担だけではなく精神的な負担も大きくなった。更には1城1城の印象が薄れ、こうした記録でも読み返さなければ、どこに行ったのかということすら、思い出せなくなってしまうようになったのである。

 「もう少し1日当たりのノルマを減らして、城をゆっくり楽しむことはできないのか?」という欲求は、40を過ぎ、体力も衰え始めてから、より大きなものになっていた。と言って、膝の痛みをサポーターと杖で誤魔化しつつ、私よりも10以上の老体に鞭を打って山を降りる隊長の後ろ姿を見ていると、こんな甘い言葉を口にすることなどできやしない。ただそれでも、ここ数年で1日当たりのノルマの数が多少減りつつあること、そして夕食がスーパー飯となることがほとんどなくなったことで、遠征のマゾヒスティックさは、少しづつではあるが緩和されつつあった。

 しかし今回、思わぬことから、それまでのストイックさがどこに行ってしまったのか?というくらいに、ぬるま湯に浸かっているような軟弱な遠征になってしまった。





2020年1月11日

 午前5時起床。午前6時に出発。三連休初日だったが、山陽道は車も少なめで、午前10時の集合よりもはるかに早い時間に姫路に到着してしまう。
 姫路駅周辺は駐車場代も高く、と言って周りに時間をつぶせるような場所も無かったので、少し離れた場所にある安い駐車場に車を停め、駅のロビーでスマホゲームをやりながら時間をつぶす。

 10時過ぎに東京から来た隊長、副長、班長の3人と合流し、北へと向かう。




恒屋城


左:前城の南東下の畝状縦堀、右:前城を南東下から


左:前城から南東を望む、右:前城平坦部


左:後城の南端の横堀、右:同左から北西に伸びる横堀


左:後城の主郭、右:主郭の南端にある虎口



 姫路の北15q。中国道の福崎ICと夢前ICの中間の少し南に位置する。南麓の祐光寺の西隣に駐車場と案内板が有り。そこから遊歩道が出ている。後城の主郭まで比高150m程。
 メリハリがある上に非常によく整備され、コストパフォーマンスが良い。手前南東に前城、その奥に後城という2部構成で、尚且つ造りが異なる部分が組み合わさり、縄張りの面でも面白い。




 12時になったので、麓の蕎麦屋で昼食。出てくるのが遅かったこともあり、遠征では珍しく、昼食に1時間くらいかかった。

 播但道をまたぎ北東へ。西脇市の北西8qにある野間城へと向かう。





野間城


左:東端の堀切、右:同左


左:東端の郭、右:東側の最高所の郭、奥の方に本丸


左:中部辺りの郭から北を、右:同左から南西本丸方向を


左:本丸の東下の郭脇の石垣、右:同左


左:東側を望む、右:本丸


左:南西端の郭の土塁と虎口、右:同左の南下の堀切



 駐車場から川を渡ってすぐに案内板があり、尾根筋の登り道は直ぐに見つかった。しかし膝に不安のある隊長が「『ひょうごの城』には谷筋の大手道の方が楽だと書いてあったから、そちらから登ろう」と提案されたので、まずは大手道を探しに向かう。
 しかし、案内板のようなものは見つからず、谷筋を登る林道のようなものを見つけはしたものの、奥の方で行きどまりになって急斜面を直登させられるのも何だなぁと皆して迷っていた時、散歩をされていた人を発見。登り道を聞いてみると、最初見つけた尾根道の方は整備され、年越しには御来光を拝みに大勢が登りに行くけど、谷筋の道がどうなっているかは知らない、とのこと。30分以上の時間を浪費して、尾根筋の道を登る。

 縄張図だと、城域は標高300m付近からになっているが、途中の尾根上にも平坦地や堀切といったものが点在しているように見える。縄張はかなり細く、険しい。高所恐怖症の私は麓の方を見るとゾクッとする。ただ眺めは最高であり、地元の人が毎年ここで御来光を拝むのもわかるような気がする。
 城域の東西の端に大きな堀切があるが、その間には堀切のようなものはなく、幾つもの郭が一列に並んでいるだけである。土塁は南西端にあるだけで、石垣も明確なものは、本丸に近い辺りに高さ1m程の石垣があるくらいである。ただシンプルでありながらも、険しさから来る眺めの良さは、強い印象を与えてくれる。





 しかし降りでトラブル発生。元々スローペースだった班長が脚をつってしまい、あと少しで麓というところで立ち往生してしまった。私も何度かやってしまったが、脚の痙攣は塩分不足に因ることが多い。その為、私は朝食にインスタントラーメンをフルスープで作り(普段は塩分控える為にスープは半分)、スープを全て飲み干すことで痙攣に備えて来ていた。その場で塩分を摂るだけでも症状が大分改善するのだけど、手持ちで塩気のあるものがポカリスエットくらいしかなく、取り合えずそれを飲んでもらう。しばらくすると歩けるようになったのでゆっくりと下ってもらった。直ぐに車でコンビニに寄り、班長に塩分補給をしてもらう。登り口の混乱から、スローペースで行われた登山、そしてこのトラブルと重なった結果、野間城の攻略に13時半から16時までの2時間半も取られてしまうことになった。
 日没まで時間も無くなったことから、次目標を変更してそこへ向かうことになったのだけど、隊長と私とで、光龍寺城(野間城のすぐ東、比高100m)と光明寺山城(滝野町、比高70m)を混同してしまい、時間が無くなって見送らざるを得なくなる。隊長の機嫌がかなり悪くなる。結局、日暮れも近くなったことから、次を本日最後として、神吉城へと向かうことになる。

 何とか日暮れ寸前に到着。





神吉城


左:常楽寺(主郭)を南から、右:南面は段差が大きい


左:南面の西側、右:東側


左:主郭の南西隅、右:北西隅



 常楽寺のある部分が主郭跡であり、周りから浮き出た形になっている。総構の周囲の堀跡も薄っすらと残っているようだが、時間が無かったので主郭周辺しか見ていない。




 宿の有る姫路へと向かうが、至るところで渋滞に巻き込まれる。更に、宿の駐車場がいっぱいで近くにある駐車場に停めたのだが、提携先ではなく一泊で1300円も取られてしまうことに。


 夕食は、予約しておいた、近くのアナゴ料理屋へ。美味しいのだけど、高くて量が少なく、更に出てくるのが遅かった(翌日比)。





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