西播磨日帰り侵攻

平成12年12月16日


城MLのPさんと日帰り城攻め。
先々週にNさん達と亀岡周辺の4城を落としたばかりで、こちらもまだ記録すらしていない。さらに来週末も篠山・八上。そろそろ雪も降ろうと言うのに、全く元気なものである。

名谷IC付近のファミレスで待ち合わせ。垂水周辺の道路事情のややこしさからこの場所を選んだのだが、寮からここまで徒歩で20分。えらく辛く、もうちょっと増しな待ち合わせ場所が無いものかと真剣に検討するも他に無し。
8時過ぎにPさん到着。朝のコーヒーを飲みながら、今日攻める城について検討し、感状山城、上月城、利神城、三日月陣屋の4城に決定し、第2神明経由で一路西へ向う。
龍野に入るまでの三ヵ所の料金所に備えて小銭を用意していたのだが、何と姫路バイパスと太子バイパスの二ヶ所の料金所が取り壊し中で、結局200円だけで龍野まで抜けられてしまった。嗚呼、何と素晴らしい事か。これで西方面への道路事情が大きく向上する。ただ、全体が加古川バイパス化して走り難くなる可能性もあるので、あまり手放しに喜んでもいられないかもしれない。
ともかく、10時過ぎに羅漢の里に到着。流石に二度目ともなるとあまり感激も無い。



感状山城



赤松氏の城、云々。二度目なので詳しく書く気もしない。ただ、二度行っても充分に楽しめるボリュームを持った城であるのは確かである。

再度車に乗って、上月城へと向う。


上月城


(左:本丸、右:二の丸)



国道にある看板の所で折れて脇道へ入っていくと、車が二台縦列で置けそうな場所があったので、そこに車を止める。その傍に「上月城→」という看板があるのでそれにしたがって奥へと進む。と、小川を渡ってしばらく行くと、山の斜面に入っていく獣道のような細い道の脇にも「上月城→」の看板が。ちょっと不安になるも、それにしたがって山へと入る。
すぐに山の北東の尾根筋に回り、そこから山頂まで延々と尾根道が続く。比高は100mしか無いのだが、この尾根道のおかげで腰を痛めそうになる。
10分ほどで頂上へ。郭跡は奇麗に手入れされている。ただ、周りの木は切られていないので、眺めはあまり良く無い。感状山城のすぐ後に入ったのであまり感動も無かったが、小ぶりだがなかなか良い城ではないだろうか。
記録ではここに一万近い兵が楯篭もったとあるが、どう見ても500人ほどが限界である。恐らく付近にある城塞群に分散しての合計か、誇張されたものかのどちらかであろう。ただ、北と南は急斜面、北東は急な尾根道、南西もかなり深く尾根が切られており、小さいながらも堅い城塞であったことがしのばれる。本丸跡と麓には、赤松○○の墓と山中鹿之助の記念碑みたいなものが立っていた。

そのまま国道を北上して佐用町へ。国道脇の食堂で飯。利神城はきついので、カレーだけにしておく。

ほとんど初対面であるPさんと、色々と雑談。Pさんは奈良在住の公務員1年目。今日このツアーの為に回してくれたローレルは親の車で、自分はインテグラType-Rを持っているとのこと。…城とスキーが好きなら4WD買えよと一応突っ込んでおく。しかし、何故に城好きでType-Rなんか…。人の好みは複雑である。

さらに北上。新しく出来ていた、道の駅「平福」でトイレ休憩と下準備。と、Pさんが七合目まで登れる車道がある事を店員から聞き出してくる。ちょっと不安は残ったものの、とりあえずその道を探してみる事に。
思いっきりダートではあったが、しかし本当に七合目まで登ってしまう。前回きつい思いをして麓から登ったあの苦労は一体…。
ただ、そこから城へ向かう道は、あまり使われていない所為か手入れが悪く、高所恐怖症の自分は腰が引けてしまうくらいに危険な状態になっていたので、どっちもどっちという感じだろうか。



利神城


(左:本丸石垣の崩落した部分、右:北東側の石垣)


(矢印:7合目まで登れるダート林道)

前回同様荒れ果てたまま。山頂の眺めも良く、石垣の規模もかなりなものなのに、あちこちで石垣が崩落している。Pさんは立ち入り禁止のロープをくぐって郭の端の方まで歩いて行っている。状態を知っている上に高所恐怖症の自分にはとても真似の出来ない技である。実際、二の丸に下りて天守台を見上げてみると、角の一部が上の部分を少し残して完全に崩落しており、角を一つ間違えればPさんも石もろ共崩落していたかもしれなかった。貼ってあるロープも馬鹿にするものではない。

平福駅前まで移動して、麓の館跡も見ておく。駅前に捨て猫が縄を付けられて放ってあるのを見る。「どなたかもらってあげてください」などと書かれてあった。

続いて三日月陣屋。


三日月陣屋


(左:復元された橋、右:三方里山から見た陣屋跡)


(三方里山に残る、幕末期の石垣)



三日月陣屋の場所がはっきりと書かれていなかったが、事前に買っておいた1/25000の地図を見て、三方里山に違いないと踏んで山頂の公園へと入る。比高60mの山頂には100×100mの広大な平地があり、その規模はとても陣屋とは思えない規模である。敷地のほとんどは公園と化しているものの、所々に石垣も残っている。これはすごいと感動しながら写真を撮りまくる。
しばらくあちこちとまわるも、どこを見ても陣屋の案内板が無い。これだけ大きな遺跡なのにといぶかしんで公園の管理事務所で聞いてみると、「陣屋は麓だ」とのこと。一体何を言っているのだ、この親父はなどと思いながらも麓まで下りてみる。すると言われた辺りに復元された木橋が二つかかった堀と、発掘作業中らしい青いビニールシートの覆いがあった。
いや、そんな筈は無い、あんな立派な遺構があるのに、あの山が城でないはずが無い。しかし付近の神社にある古地図を見ると、堀のある部分に屋敷が描かれている。いや、百歩譲っても、あの山は古城山か何かで、江戸期に入ってから麓のこの場所に陣屋が移されたのだ、これはこれまでの10年の経験に誓っても良い、絶対にあれは城だ、などと言い張るが、後で車に置いて行った資料を読むと、「幕末に造られた錬兵場」とのこと(恥)。どうやらこの10年の経験は、毛ほどにも役に立っていないようである。ああ、自信が…
結局、三日月陣屋の遺構としては、30mほどの堀のみ。こんな事なら佐用構か福原城にでも行っておけば良かった。

山陽自動車道経由で神戸ワイン城に行き、ここで夕食。神戸牛で有名な店らしいが、重なる忘年会で螻蛄同然なのでかなりのダメージ。これなら三木SAのケンタッキーあたりで軽く済ませておいた方が良かったかもしれない。
飯を食いながら、二時間ほど談笑。酒が入ったわけでもないのに、べらべらと喋り散らす。いや、どうももうしわけありませんでした>>Pさん。
9時閉店まで粘って、寮の近くまで送ってもらう。寮に着いたのが午後9時半。14時間近く出ていたことになる。元気なものだ。



戦果
	攻撃対象	4城

	うち 棄権	0城

			4城	攻略



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