西薩摩遠征 絶対崩落シラス城 その1

令和5年 1月7日〜9日



伊作城からの夕日




 2023年1月の遠征は、昨年の1月と同じ4名で、日向遠征を行う予定であった。

 しかしYさんが年末に罹患したコロナの後遺症で、またSさんも急遽仕事が入ってしまい、それぞれ不参加となった。そのため、宮崎に前泊するKさんを除く3名で、熊本に集合してレンタカーで宮崎県へと入る予定が、もろくも崩れてしまったのである。さすがに一人きりで広島から宮崎に行くのは、時間的にも金銭的にも辛い。

 そこでKさんに代案として地元の安芸遠征を提案してみた。広島は東京からも比較的アクセスが容易であり、北部にはまだ未攻略の名城が幾つも残っている。

 しかし返ってきた答えは意外にも「ノォーッ」だった。何でも、前日に宮崎で人と会う約束があるとのこと。

 そこでもう一つの代案として薩摩遠征を申し出てみた。鹿児島だと新幹線で比較的手軽に行くことができ、宮崎から来るKさんと同じくらいの時間に集合できる。それならなら仕方がない、ということで今回は薩摩遠征に変更ということになった。

 ただ懸念事項として、数年前に薩摩北東部のめぼしい城は既に攻略済みとなっている上、そもそも薩摩国は良城が少ない国であり、有効な残弾が少ないことがあった。実際に城郭放浪記で調べてみるがと……確かにまともな城が少ない。それでも何とかかき集め、足らない分は隣接するえびの市も含めることで、どうにか二泊三日の予定を組んだのだが…。実際にはその予想よりも更に酷い結果となってしまった。






2023年1月7日

 午前6時半のバスで広島駅へ向かう。渋滞もなく予定通りに着き時間の余裕があったので、ゆっくりとトイレで時間を過ごす。
 0726発のみずほ601号に乗り、0946に鹿児島中央駅着。改札口でKさんと合流し、レンタカーを借りて南西へと向かう。





1日目の行程(国土地理院地図を基に作成)







豆知識:シラス城


左:絶壁の堀(清色城)、右:絶壁に掘られた横穴(川田城)


左:白く無くても崩すとシラス(徳満城)、右:崩落したてのシラス(頴娃城)


左:直ぐ向こうは奈落(伊作城)、右:郭の縁の崩落(一宇治城)


知覧城(国土地理院地形図に色別標高図を載せたもの)

 鹿児島県とその周辺には、シラス台地が多く存在する。Wikiによれば、このシラス台地の地形の特徴として「乾燥したシラスは剪断強度が高く急崖でも比較的安定」するため「シラス台地の縁部は落差20-100メートル程度の急崖となっており、地元でホキあるいはホッと呼ばれるガリ地形が多く見られる」とある。そしてこの地形の特性を利用したのが、この地域特有のシラス城である(注:特にこうした名称があるわけではない)
 そしてこの急崖の舌状地形に更に堀を掘ることで、独立した急崖の単郭が複数造成されている。シラス土は掘りやすいため、気軽に深い堀が掘られている。他地域の山城のように登山は必要ないが、この独立した単郭の昇り降りで、地味に足腰に疲労が溜まる。また遊歩道が整備されていないと、特に本来の道が崩落している場合には、崩れやすい急崖を直登するわけにも行かず、侵入が不可能となる。
 また絶壁に横穴を掘りやすいことから、貯蔵庫として横穴が掘られていたり、また戦時中には本土決戦用の施設として地下壕があちこちに造られている。

 一方でこのシラス土は「水分を多く含むと強度が低下するため大雨などによって崩壊しやすい」。そのため、現在進行形で崩落が進んでいる。最近の豪雨を考慮するに、シラス城は残っている内に優先して攻略すべき城かもしれない。






千々輪城


左:本城西下の堀底道、右:南へ下りるの堀


左:本城、右:本城北縁の土塁


左:本城東縁の土塁、右:本城西麓の鞍部から北を望む


左:弓場城の東側の郭、右:同左の南下の郭



 駐車場が無い。北西麓に二段になった月極駐車場があり、契約者名の書かれていない上の段の端っこに停めさせてもらう。駅前のコインパーキングに停めて歩いたという記事もあったが、再開発で消えたのかGoogleでは見当たらなかった。付近の道路も狭くて路駐はできない。電車で来い!ということだろうか。

 本城の西麓には南北に堀が通っており、その堀底道を通って鞍部まで登る。本城周辺は整備されているので、楽に登ることができた。本城は北と東に土塁が残っている。典型的なシラス城だが、絶壁度はそれほどでもない。

 西側にある弓場城だが、小型ユンボが強引につけたような道があるのでそれを登り、東側の頂上平坦面にはたどり着けた。しかしそこから西は工事で削られている。





 県道20号線から県道19号線、そして南薩縦貫道を通って知覧へと向かう。

 武家屋敷地域の東端にある蕎麦屋で昼食。ざるそばとかき揚げ。かき揚げの揚げ油が切れていなくて胃もたれした。




亀甲城


左:主郭、右:主郭の東下の郭の土塁


左:主郭東下の郭、右:主郭西下の郭


左:西尾根の井戸他、右:堀切


左:南西の郭、右:堀切




亀甲城縄張図(看板より)

 シラス城ではなく、一般的な山城に近い感じだった。公園化されているので登りやすいが、その分荒々しさも薄まる。北麓の石橋の方が見ごたえがあった。






知覧城


左:本丸、右:本丸の枡形


左:本丸南縁の土塁とトレンチ跡?、右:本丸中央部の方形窪地1


左:本丸中央部の方形窪地2、右:本丸の東にある円形窪地


左:本丸東縁の土塁、右:本丸北西縁の土塁


左:蔵之城の礎石、右:蔵之城の土塁


左:蔵之城を南東下から、右:本丸南下の桝形


左:今城の土塁、右:今城の虎口


左:今城から北下の堀底道を見下ろす、右:シラスの絶壁


左:今城と東ノ拵の間の堀、右:戦時中の地下施設跡




国土地理院地形図に色別標高図を載せたもの


 城域は広いが、整備されて入れる場所は半分くらい。
 代表的なシラス城。郭の縁から直角に切り下がる地形で、高低差もあり、郭の縁から下を覗くと高所恐怖症の自分は足がすくむ。ところどころで土塁ごと崩れ落ちている。
 本丸が広い。あちこちに怪しいへこみが多数ある。発掘調査のトレンチの跡かもしれないが、発掘調査のものなら終わった後に埋め戻すのが普通なので、戦時中の遺構の可能性もある。地下に知覧飛行場の地下整備工場が造られていたらしいが、本丸の上に施設があったかどうかは不明。




 特攻記念館でトイレ休憩。ついでに映画セットの疾風を見る。

 池田湖の近くまで移動。
 





頴娃城(獅子城)


左:城域の南端から北を望む、右:本丸の南下の堀


左:本丸を南西下から、右:本丸


左:本丸南縁の土塁、右:本丸


左:本丸東縁の土塁、玉石の石垣?、右:本丸中央部の段差


左:本丸北の郭、右:同左、土塁が高い


左:本丸と北の郭との間の堀、右:北に続く林道



 まともに整備されているのは本丸のみ。他は荒れ果てて、入り口のわかりやすい本丸の北隣と西隣の郭には足を踏み入れることができたが、他は諦める。一応シラス城だが、堀の深さはそこまでない。



 再び北へと大移動。






伊作城


左:亀丸城(本丸)、右:同左西側の土塁


左:亀丸城の東側の堀、右:同左


左:亀丸城の西側の堀、右:同左


左:蔵之城、右:同左東側の堀


左:どこかの堀、右:どこかの堀


左:山ノ城辺りの堀、右:山ノ城辺りの断崖


左:山ノ城の北の郭の土塁、右:断崖



 一気に北上。日の入り近くになり大分暗くなったものの突入。Kさんは20年ぶりくらい。だいたいの郭には遊歩道がつけられ入ることができたが、一部崩落などで使えない道もあった、堀は深い部分もあったが、堀底には下りれる箇所は限定されている。






 予定には南郷城も入っていたが、日没のため初日の行動はここで終了。



 本日の宿泊地である伊集院へ移動。チェックイン後、自分だけ図書館と買い物に出る。入来町史は見つかったが、警戒機陣地の記事は見つからなかった。


 ホテルに近い居酒屋で夕食。値段と味は普通だったが鹿児島料理があまり無く、さつま揚げを食べられなかったという意味では店選びに失敗した。

 11時ころ就寝。寝づらくて何度か起きる。




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