上海進出作戦 その2

平成12年2月19日〜22日

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◯2月20日(日)


上海の街並み、買物

上陸。街並が古びて誇りっぽい感じに一変する。遠距離から来る船の乗り場も近いため、いかにも田舎から出て来たというような人が多くなる。安っぽい綿入れを着ただけで、粉を噴いたような皺の多く硬い皮膚をした老若男女が、肥料袋に身の回りの荷物を入れて竹の振り分けで釣って、そこら辺りいたるところを歩いている。旧正月で田舎に帰っていた人々が戻って来た様である。
初めて乞食に会う。母親程の歳をしたおばさんで、袖を引っ張って金を呉としきりに付きまとう。仕方が無いので1元ほど金をやると、そのまま別の人の所へ行ってしまった。
それから中国名物有料便所を利用。6角ほどだったか。

ちょっと通りの裏に入ってみると、古いビルの谷間に汚らしい屋台や露天商が乱立している。河が近いため、鯉とか鮠とか鬚を持った河魚が多く商われている。その他にも乾物や野菜や、色々なものが売られている。一つや二つ買ってみようかとも考えたが、言葉が通じないのとあまりに汚らしいのとで厄介なことになっても仕方が無いので止めておく。
北に上がるにつれて、大分小ざっぱりしてくる。昭和30年代の東京と言う感じがする。ただ、車絶対優先の交通事情は、通りを一つ渡るのも一苦労と言ったところである。

上海旧市街

上海は中国の中でも開けた都市の一つなので、物も新しいものが多い。パソコンやCDやビデオ、そう言ったものに関する店が多い。ただ、基本的にそういった輸入品は日本とそう変わらないため、日本円の強さを実感することは出来なかった。
本屋に入る。かなり大きな本屋で、新宿の紀伊国屋よりも幾分か大きいくらいである。歴史関係のところへ行ってみると、歴史の地図帳がある。春秋戦国から国共内戦まで幅広い戦いの経過が書かれており、とくに近代史に関するものは嘘か真かは別として、日本ではまず見られないものなので買っておくことにする。他にも南京付近の地図も購入。
それから公営の中国土産物販売店のような店に行く。ここは掛け値なしで初めからかなり安めの値段がつけられており、その代わり値引きは一切無しである。予園などで買わずに、初めからここで買っておけば良かったのである。Mさんと一緒に165元で買った土人形がここでは90元で売られており、高々700円ほどのこととは言え悔しいものがあった。ここで母親に磁器の壷と、兄貴の為に秦時代の半両銭を購入。他にもチャイナ服が欲しかったが、ブッシャーになるとまずいので止めておく。


地下鉄


入口に殺到するモラルなき乗客

中国の地下鉄に初めて乗る。切符の自動販売機はたまたま動いておらず、おばちゃんから直に切符を購入。改札は機械式の自動改札。中国だけあって、列を作って降りる人を先に降ろして順序良く乗車ということは無く、降りる人にかまわず他人を押し退けるように乗っている。関西が酷くなったような感じで、ますます関西人中国人起源説に自信を持たされる。座席に着くときも座ってからも同然で、中国語にはマナーとかモラルと言う言葉は存在しないに違いない。


上海駅


上海駅

駅前にはお登りさんっぽい田舎人で溢れている。とりあえず外国人向けの軟座の指定席を買いに行くが売り切れていたようで、蘇州までの特別快速の硬座を三枚購入。とりあえず翌日の切符を購入できたので地下鉄で市街に戻る。


長安餃子

夕飯を食おうと言うことで、有名な長安餃子という店に行く。この店は多くの種類の餃子が売りモノらしく、細工餃子なども多いらしい。
途中で本当モノの乞食とリアカーを曳いた残飯屋に出会う。こういう人々がいると言うことは、本当に昭和30年代の東京である。
店の一階を覗くと、食券売場には様々な餃子の名前が羅列してあり、期待はいやがおうにも盛り上がる。が、店に入るなり、「あんた達日本人だね」という感じですぐに二階に追いやられ、日本人向けの日本語で書かれたメニューを渡される。しかもこのメニュー、セットものばかりで単品では載っていない。「やられた」とは思ったものの、しかし仕方が無いので70元のセットを頼む。

餃子蒸篭

胡瓜の塩もみ、湯葉の包み揚げ、豚肉ともやしの唐辛子炒め、さや豆と腸詰の炒めもの、それから10種類の餃子が入った蒸篭と炒飯。結構な量である。
餃子は普通のものから玄米の入ったようなものまで各種楽しめて良かったが、中国通のMさんによると「もっと変わったものとか食いたかったのに、ぷんぷん」と大層御立腹の様子。面倒な事は一切しないと言う中国式にやられたのだが、まあ仕方が無い。
それから本場上海の炒飯の具にミックスベジタブルが入っていて、がっかりする。


渡河とタクシー



電飾華やかな夜の南京通りを歩きながら、土産物を見繕ったりしつつ、元祖界の辺りまで出る。川沿いには古い欧米風の建物が美しくライトアップされている。綺麗だなと見取れていると、時間が来たのか電気が次々と消されてしまう。仕方無くホテルに帰る為に渡って来た渡河点まで川辺を歩いて行く。自転車の荷台の横にブリキの箱を付けて炭火を焚き、焼き鳥の様なものを焼いて売っている屋台を見る。地元の観光客も夜遅いにも関わらず多く出歩いており、思ったよりも治安が良くて安心する。
東浦地区に渡ってタクシーを拾って帰る。

部屋に帰って風呂に入り、またしばらくMさんのアニソンを聞いて寝る。


◯2月21日(月)


上海駅まで

ホテル前からタクシーを拾い上海駅へと向かう。合流車線でタクシーが無理な車線変更をしたものだから、後ろから来たバスとぶつかりそうになる。一瞬「上海で交通事故。日本人観光客3人死亡」の新聞記事が頭に浮かぶが、寸手のところで事故は回避される。いや、本当に中国人はどうにかしている。


朝食

上海駅で、遅めの朝食。カフェテリアの食堂で、大きな饅頭と湯豆腐の様なものをお盆に載せて、占めて3元。饅頭の中には菜っ葉の炒めたものが入っていて、下手な肉饅頭よりも美味しかった。湯豆腐の方は、暖かいすくい豆腐に酢醤油の汁がかかっていて、まあ底々。しかし50円程でこれだけ食えるとは、さすが中国である。


列車


上海駅ホームでの駅弁売り

駅の待合室で列車を待つ。列車毎に長細く仕切ってあり、そこで待つようになっている。列車が入ってからホームの方へと行くようになっている。
日本の鉄道車両と比べて、幅も長さもかなり大きい。行き先もスケールが大きく、遠くハルピン行きの車両も入っている。ホームでは日本と同じように駅弁も売られている。何か買おうかとも思ったが、どうせ昼はどこかで食いそうだったので諦める。
乗り込んで指定された席へと向かうと、指定席の筈なのにすでに人で埋まっている。「そこをどけろ」という一言が中国語で話せないばかりに、3人して立ちっぱなしになる。と、いかにも金持ち大学生という感じの青年から日本語で「チケットを見せてどけろと言えばどいてくれますよ」と教えてくれる。言われた通りにやると、不服そうではあったもののどけてもらえる。
先ほどの青年達は、男2人女2人のグループで、その服装持ち物共に日本人の大学生のようであり、恐らくは共産党幹部の子息か何かではないかと思われる。回りは汚い綿入れを来た田舎者ばかりの中、そこだけが異様な雰囲気を出している。どこの国も特権階級は羨ましいものである。見ていると、トランプを二組取り出して混ぜ合わせると、それで日本の大富豪に近いゲームを始めた。二組分のトランプがあるため切り方も豪勢で、一気に10枚近いカードが次々と出されている。派手好きの中国人らしい遊戯である。
窓の外を眺めると、一面に広がる田んぼ、そこを縦横無尽に走るクリーク、そしてその合間に点在する民家、そういう風景が延々と繰り返されるだけである。一時間ほどしてやっと街らしいコンクリートの汚れたビル群が見えてきたと思ったら、もう蘇州駅だった。


蘇州駅


蘇州駅

蘇州まで来ると、テレビで良く見る様な中国の街並に近いものになる。埃っぽい雰囲気の中を駅を出て券売所に行こうとすると、観光客目当てのタクシーの運ちゃんらしきおっちゃんがやたらと群がってくる。こちらが帰りの切符を買っている間中も横にいて喋りかけてくる。無視を決め込んで駅前に戻って観光客向けの蘇州の地図を2元で購入し、今後の予定を考える。と、先ほどの運ちゃんが懲りもせずに話しかけてくるので、面倒臭くなってそのおっちゃんところに頼むことにする。今買ったばかりの地図を見せながら値段の交渉。寒山寺等の市街の名勝を回って、最後に虎丘公園から運河を舟で走って蘇州駅まで、一人200元ほどだと言う。まあそこら辺だろうと合意して、タクシーに乗っる。夫婦で観光客相手のぼったくり商売をやっているらしい。奥さんが運転手をしていた。


寒山寺




寒山拾得図などで有名らしいが、何故有名なのかは良く分からない。一通り見て鐘などを突く。ガイド役のおっちゃんはやたらとイライラしていて、早くしろ早くしろというそぶりをしているため、こちらの心証は甚だ悪くなる。仕方がないので早めに切り上げていくと、土産屋へ連れていかれてお茶などを飲まされる。こういう店と契約していくらか貰っているらしい。あまりの露骨さに気分は更に悪くなり、自分は土産物など見る気も起きず、茶ばっかり飲んでいる。
それから茶を飲んでいる時、Mさんが「太湖に行きたい」と言い始める。「だってそりゃ中国なんだから、スケールの大きいものを見ないとやっぱり駄目でしょう。」なるほど、その通りである。そこで再度交渉のやり直し。太湖→蘇州城城壁→虎丘公園で350元でまとまる。まとまったら早速出発。


太湖



1時間ほど車で走る。最後にやたらと長い橋を渡って、西山鎮へ着く。集合時間を決めて ガイドと分かれて寺の塔へ登る。ここでもまた早め早めに時間を決めようとしやがるので、わざと長目に時間を決めてやる。
生憎のぼんやりとした天気だったが、太湖の眺めはすばらしく、寒風の吹きすさむ中しばらくつっ立っている。麓の洞窟などをふらついてガイドと合流し昼飯へ。


昼飯

寺の近くの食堂へ。日本人ということで二階の別室へと連れていかれる。メニューを見ながら、水餃子にワンタン、何かのスープに菜っ葉の炒め物に炒飯を注文する。欠けのある器や曇ったコップの出てくるような汚い店だったが、味はなかなか良かった。中でも菜っ葉と椎茸の炒め物と油の滴るような炒飯は今回の旅行の中では最も美味しい部類に入る味だった。
ガイドのおっちゃんの食っていた、干し桃のお菓子を食後の口直しに食べる。砕けた種が邪魔だったが、干し梅の菓子のようで良かった。


城壁



また1時間をかけて蘇州市街まで戻る。狭い路を歩行者自転車をけちらして進み、城門の見えるところまで案内してもらう。ゆっくり見ておきたかったが、あまりにもガイドがイライラしているので、何枚か写真を写しただけで諦めることにする。城壁のそばの陶器屋で人から頼まれていた巨大湯飲を5元で購入する。これで良いとは全く安いものである。


虎丘公園



越王公践の墓らしい。年に少しづつ傾斜の増しているピサの斜塔の様な塔が建っている。公園のあちらこちらに古い建物が残っていて良かった。


水路



公園の前から舟に乗って水路を行く。蘇州は水運の街で、至るところを水路が走っている。今でも残飯収集のコンクリート舟などが走っている。水路沿いの家々もまた素晴らしく、しばし1000年の歴史を感じて酔ったようになる。30分ほど走った後、蘇州駅付近の舟着き場に到着する。着いたので舟を降りようとすると、船頭が裾を引っ張って金を払えと言ってくる。どうしたことだと話してみると、どうも舟の料金は別料金らしい。一人180元も取られる。おまけに最後にガイドからチップ30元ほど請求され、殴ってやろうかと思う。こういうオプションの料金などは予め予告しておかなければならないし、チップにしてもチップに値するサービスを施して初めて請求できるものではないだろうか。それを早く終らせたいものだから、客の都合など考えもせず客を早し立てて、貰うものだけはきっちりととる。この国にサービス業が根付くのは無理なのかも知れない。


蘇州駅前ラーメン

予定の5時よりも1時間も早く終ってしまったので、駅傍のラーメン屋で飯を食う。メニューがさっぱり分からなかったので、夫々が適当に注文。自分が注文したものは、唐辛子ベースの豚肉ともやし炒めが載っていた。


列車

帰りの列車も座席にすでに座られていた。今度は臆せずチケットを見せて席を譲って貰う。かなり渋っていたが、それっぽく喋りまくっているうちに根負けして勝つ。どうも「指定券の権利」と「先座権」との優劣がついていない人が多いらしい。ひと悶着あった後、同じコンパートメントに座っている見ず知らずの中国人5人が、恐らくその事についてしきりと論じあっていた。論議好きの中国人らしいとMさんが感心していた。途中、Oさんの座席の上の荷物棚に載っていた袋から、肥料のような白い粉がこぼれてOさんにかかるというアクシデントなどもあったが、無事に上海まで帰ってくる。


南新雅大酒店

「どうせなんだから、干し鮑とか蟹とか北京ダックとか、そういう日本じゃまず食えないような物を食いましょう」というMさんの提案で、豪華そうなレストランを探す。何分、時間が遅かったために、良い店が開いていない。やっとのことで南新雅大酒店と言う店を捜し当てて入る。
メニューを開いて、そういう豪華なメニューを調べてみるが、やっぱりこっちでも高価な物は高価らしく、干し鮑の煮物など一皿600元もしていたので、諦めてそれなりに豪勢なメニューを頼むことにする。焼豚の蜂蜜煮込み、北京ダックもどき、ゆで卵のマヨネーズソースかけ、牛肉のオイスターソース炒め、蟹肉小龍包、小龍包、冬瓜とアロエのスープ、植物四宝というオードブルっぽい盛り合わせ。えらく景気良く注文したため、3人にしてはかなりの量になり、さらに北京ダックにはばらした鶏の骨でスープが出てくる事をすっかりと忘れて別に冬瓜のスープを頼んでしまったりしていた為、半分近く残してしまう羽目になる。ここの小龍包も最悪で、まるで美味しんぼに出てくる悪い方の店の小龍包のように、汁気もへったくれも無いものだった。


渡河とタクシー

最後の渡河をしてタクシーを拾う。昨晩のタクシーと比べて20元近く安くつく。まったく、回り道して余分に金を稼ぐのは、時間がかかる分だけ余計に悪い。
今夜は早めに寝る。


◯2月22日(火)


抗州飯店と小龍包

地球の歩き方を見ていたMさんが、このホテルの近くに小龍包で有名な抗州飯店があることに、この頃になって気がつく。こんなことなら初日の晩はここで食えば良かったと後悔するが、あまりにも遅過ぎた。そこでせめて朝飯だけでもと、この店に行く。自分は朝から小龍包というのもきつそうだったので、ワンタン汁を頼む。Mさんはもちろん小龍包を注文していた。 小龍包が出てくるまでかなり時間がかかったが、出てきた小龍包を食べるとMさんは「これよ、これ」と喚声をあげる。そこで一つ貰って食ってみたが、なるほど、中身の半分以上が汁であった。そしてうまい。こんなことなら自分も頼んでおけば良かったと後悔するが、時間がなかったので諦める。

謎のおやじ

部屋を片付けてロビーに降りて迎えを待つ。来る時に一緒だった一人旅のおやじと話をする。何でも知合いの中国人と夜の街を遊び回っていたそうで、一晩で1000元近く使っていたらしい。日本で言う高級クラブの様なもので、かなりの美人にお相手してもらえるとのこと。それから一晩遊ぶ時には現地の人の紹介があった方が良いこと、大体相場は一回500元くらいであることなどを教えて貰う。今回の旅行で10万円近く散在したそうだ。まったく恐ろしいおやじである。


空港、最後の買物ポイント

余った500元を使い切るべく、空港の店を見て歩くも、どこも相場の2、3倍の値段がついていたため、諦めて円にもどす。ここでの時間待ちの間に、またも先ほどのおやじと一緒になる。甘栗を貰いながら、お土産には化粧品や薬などが割が良くて言いと教えて貰う。さっきの夜遊びの話と良い、何で旅行の終りに教えてくれるのだろうか。


関西空港、最後の宴

来たのと同じB-777に乗って関西空港へ。羽田行きの連絡便の待ち合わせの時間が空いたので、喫茶店で最後の宴を張る。「おー、ジュース一杯で50元もする」などとレートの違いに改めて驚かされる。50元もあればかなり豪華な夕食がとれたのである。
しばらく馬鹿な話などをして、2人の先輩と分かれる。


帰神

折角関西空港に来たので、神戸まで水中翼船で行こうと、J-CATに乗る。ところがポートアイランドの方に着いてしまったので、そこから更にバスで三の宮まで行く羽目になってしまう。大荷物を背負って、乗り換えが重なってへとへとになってしまう。


総括

とにかく物価が安かった。現地滞在費が安くつくので、どうせ行くなら一週間くらい行きたいものである。おまけに食いものがうまい。ドイツやアメリカで飯に飽きて中華料理屋や日本食レストランに行きたくなるのと、えらい違いである。また行くなら通訳できる人と行きたい。露天商相手に筆談はさすがに出来ないだろうからである。
ぼったくられたり、うまく列車の指定席に座れなかったりと色々なアクシデントもあったが、しかし値段の割には面白かった。今度は北京に行ってみたいものである。

戦果
	攻撃対象	1城

	うち 棄権	0城

			1城	攻略


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