上海進出作戦

平成12年2月19日〜22日



サイパンに行って間もない12月の末に、Mさんから「今度は上海に行きませんか」と誘われる。前々から中国には一度行っておきたいと思っていたし、Mさんはこれまで何度か中国に旅行しており、さらにはOさんも行かれるとのことで、二つ返事で参加することにした。



下準備

中国と言うところは治安が悪い。そういう風に聞いていた。カメラを出してお登りさんの恰好をしてはいけない、財布を使わず直にズボンのポケットに金を突っ込んでおくこと。そうでないとたちまち金持ち日本人ということがバレてしまい、囲まれて身ぐるみ剥がされてしまうというようなことを聞いていた。
また、交通事情も悪いと聞いていた。事故が多いと言うのである。だからタクシーに乗るときには、絶対に助手席に乗らないこと、乗ったら絶対に寝てしまわないこと、そういう話も聞いていた。
さらには生水が飲めないので、ペットボトルの様なものを用意しておくこと、またトイレには紙が無いので、トイレットペーパーを事前に用意しておくこと、さらには飲食店で出される器や箸はそれほど洗っていないことが多いので、肝炎防止のために事前にナプキンや紙等で拭いてから使うこと等、その他にも色々な不安な話を聞いていた。
ここまで不安な話を聞いて、中国行を止めてしまおうかとも考えるが、それこそ中国共産党の思う壷であるので、万全の準備を整えて上海上陸を行なうこととする。
まず、対策として護身用に先日買ったダイバーナイフを足に巻いておこうかと考えるも、機内持ち込みが出来ないのが分かり切っているので諦める。また、持参するカメラも、窃盗にあっても惜しくないように、使い捨てカメラと同機構の、1000円カメラで間に合わせることにする。


◯2月19日(土)


関西空港まで

特急料金をケチる為、全て鈍行で行く。その為2時間半かかるので、集合時間の8時に到着するためには午前5時半に出発する。
羽田からの連絡便が30分ほど遅れたものの、何とかMさんとOさんと合流でき、いよいよ上海へ向けて飛び立つこととなる。


上海空港まで

B777。てっきりB747だと思っていたので以外だったが、よくよく考えると北海道へ行くのとさほど変わらない距離である事に気が付く。
機内食で最後の日本食を食う。日本食が食えて嬉しいのは良いのだが、このベトベトのご飯は何とかして欲しい。
残り時間を座席に組み込みの液晶ディスプレイでスーパーファミコンの麻雀をして過ごす。上海にちなんで上海をしようかとも考えたが、十字パットでの操作が辛かったので止めておく。
機内放送で時計を1時間程もどす。


上海空港着。

去年の11月に開港したばかりの新しい空港で、馬鹿でかい割には人が少なく、それに加えて打ちっぱなしのコンクリートの表面と生憎の雨とが、より寒々とした印象を与えていた。
ここで現地添乗員と合流。てっきり日本人だとばかり思っていたら、片言の日本語を喋る元留学生っぽい兄ちゃんだった。見た目ばかりか喋り方、ファッションまでがサークルOBのI集院さんそっくりで、ちょっと驚く。
今回のツアーで来たのは我々3人と謎のおっちゃん、それに大学生っぽい女の子2人の6人だった。駐車場に来ていたGMのバンに乗り込んで、一路上海市内へと向かう。


上海中油日航大酒店

だだっ広いまっすぐの道路をひたすら走って、40分程でホテルに到着。立派な建物だが、よくよく見るとあちこちにひび割れがある上に、そもそも柱が細すぎる。地震が来たらイチコロだなと余計なことを考える。まあ、その時はその時だ。それからチェックインと両替を済ませる。1元=14円ほどで、いくら両替するか悩むか、2万円分程両替する。約1400元。ちょっとリッチな気分になる。
部屋に行く。ツインの部屋に臨時のベッドを入れてもらううちに、今日の予定を練る。すでに午後3時近いので、予象園(「予」編に「象」で「よ」、Wnn4だとどうしても出てこない、以後「予園」でいく)に行こうと言うことになる。早速ホテル前でタクシーを拾って予園へと向かう。


予園

タクシーの運転手が、途中「ナンプタイチュー」うんたらと言い始める。元より中国語など解するわけでもなかったので聞き流していたのだが、MさんとOさんが何とかしてそれが「南浦大橋」と言っているということまで推定する。どうやら黄浦江を渡るのに、南浦大橋とトンネルのどちらを使うか聞いているらしい。とりあえず、ということで橋を渡ることにする。
中国の道路事情は極めて悪い。何よりもマナーがなっていない。車線変更をするのに後ろを見ない。歩行者の事なんてほとんど見ない。クラクション、急停車も当り前。乗っていて冷や冷やする。が、何とか無事に到着。生憎の雨の中、予園へと向かう。


(左)予園の庭園 (右)緑波楼

予園は明時代の高級官僚が、その両親に贈った大庭園であり、当時の中国のスケールの大きさが思い知られる。現在ではその庭園の周りに飲食店や百貨店などが集まり、一大娯楽区域となっている。丁度、中国の旧正月のお祭りと重なっていたために、人の出も多く、建物も電飾きらびやかに飾られて活気があり、雰囲気が大変に良い。
軽く飯でも、ということで緑波楼という店で飲茶のコースを食べる。昼の営業時間ぎりぎりで、店の人にせっつかれながら食べる。餡の入った団子、肉の入った団子、肉入り饅頭小、春巻、小粽と外郎っぽい餅、カスタード饅頭、韮饅頭、小龍包、暖かいシロップのかかった大きめのタピオカとパイン、そして最後に蜜柑。
同じテーブルについていた現地の家族の一人のおばあさんが、何かを言って来る。良く分からないのでボケェっとしていたら、おばあさんの孫っぽいおねえちゃんが日本語で説明してくれる。「小龍包は先に中のスープをチュゥーッと吸うと良いよ。」という事らしい。試しにやってみるとなるほど、中のスープが美味しい。ちょっとサービスでアチチっと大げさに熱がるふりをしたら家族揃って笑ってもらえた。こういう事でいくらかでも日中友好に役立てばと思う。しかし小龍包通のMさんは、「うーん、中のスープがまだ少ないですねぇ。」と御不満の様子。本格的な小龍包の味に嫌でも期待が高まる。 庭園そのものは、古いような新しいような中途半端なものだったが、しかし雰囲気はなかなかに良かった。庭園内には中国の民芸品販売所もあり、切絵や急須、土人形などが売られていた。Mさんはここで、悩んだ挙げ句に三国志の武将50人ほどを象った土人形を250元ほどで購入していた。


三国志の土人形



買物

続いて買物。先程の予園で250元で売っていた三国志の土人形が、ここでは165元で売っている。Mさんは「何ぃ、これ!」とたいそう御立腹。怒りにまかせてもう一つの別の人形を買おうとするので、自分も一緒に買っておく。
Oさんが母親からスワトウ刺繍を頼まれていたので、それを探すことに。百貨店の衣服品売場で漢字を店員に見せて聞くと、何とか通じて売場へと向かう。どんなものかと思ってみてみたら、絹のやけに細い糸の刺繍製品だった。ハンカチ一枚400元ほどのものになると、ため息がでるくらいまで細かく作り込んでいる。自分も母親用に買おうかと考えたものの、5000円もかけるのもなんだとおもったので、止めておくことにする。



日も暮れて辺りはすっかりと暗くなり、電飾が入れられて綺麗に光り出す。さらには手持ちの金魚の形をした灯篭も配られ始め、さらに彩りが加わえられる。
夕飯をどうしようということで、予園内で店を探す。自分は現地人向けの汚らしい肝炎一発ドラドラという店が希望だったが、食い残しが床に平気で捨てられていたりしてあまりにも汚らしく、没になる。
それからも探すが、あまりぱっとした店が無い。連日のきつい仕事で体力的にまいっているOさんが、寒さでダウン直前となり、とにかくホテルまで帰ることにし、タクシーを拾う。
とにかく部屋まで戻ると、8時すぎ。これから外の店に出るのも大変なので、ホテル内の店で済ませようと、店を探しに下りてみる。


火鍋

ホテルにはろくな店が無く、無理をしてでも外で食っておけば良かったと後悔するも、すでに遅し。仕方無く一人前50元ほどの、火鍋のバイキングを食べることにする。
やる気無さそうな店員と乾いた具。失敗したな入った瞬間に全てを悟る。両大兄は烏龍茶、自分だけ青島ビールを頼み、鍋に入れる具を取りに行く。いかにも現地らしい、見たことの無い菜葉もあったが、後は日本ででも買えそうな食材ばかり。もうやけになって片っ端から具を攻めることにする。
体調を崩していたOさんが30分程で脱落して先に部屋に帰って休むことになる。他に客もおらず、寒々とした店内でMさんと二人寂しげに残りの火鍋をつつく。

部屋に帰るとOさんはベットで横になって休んでいた。一時間程寝ていたが、大部楽になったようで、風呂等に入ってMさんの持って来たノートパソコンに入っている大量のアニソンMP3を1時間程聞いて寝る。


◯2月20日(日)


朝食とスーパーでの買物

ホテルで貰った朝食券に、「和食」とあるのを見て、「上海まで来て日本食なんか食ってどうする?」というMさんの言葉のもとに、外へ食いに行くことにする。どうせなら現地人の食う物を食おうということで、それらしい店のある場所へ向かう。
飲食店の集まった辺りまで行くと、リアカーに油の入った鍋を乗せて揚パンを売っていたり、恐らく豆乳の入った半透明のビニールパックを路上に置いたアルミの鍋に入れて温めていたりするのに出食わすものの、さすがに筆談の難しさと肝炎に恐れを為して諦める。
近くにファーストフードっぽい店を見付けてそこに入る。食券制で、面倒臭そうな店員を相手に筆談をして食券を購入する。大昔に武田鉄矢が北京で朝食に揚パンと豆乳スープを食べるのを見たのが忘れられず、いつかあれを食ってやると心に誓い、揚パンの方は神戸の南京町で食って油にやらえてひどい目にあっていたものの、豆乳スープの方はこれまで見付けることが出来なかった。そこで豆乳スープだけは絶対に見付けて食ってやろうとメニューを見ていたら、それらしき物を2つほど見付けることが出来た。一つは単位が「杯」でもう一つが「椀」。何だろうなぁと考えたものの時間が無かったので、高い方がスープだろうと考え、単位が「杯」の方と、それから肉饅に粽の食券を8元程で購入。
いざ食券を持ってそれらしきカウンターへ行く。違う場所だと「あっちだ」というようなジェスチャーを示すので、それにしたがってそっちへ行って食券に示された物を貰って行く。肉饅と粽を貰って、念願の豆乳スープを貰おうとスープのところへ行くと、カウンターのおばちゃんは「あっちだ」と食券売場の方を指さす。ん??といぶかしみながらも食券売場に行くと、さっき食券を売ってもらったおねえちゃんに豆乳の食券を見せると、何も言わずに横にあったジュースの機械へと近寄って行く。ん???と何が何だか分からずにつっ立っていると食券を奪われて、代わりに豆乳ジュースの入ったプラコップを差し出された。瞬間、「杯」の方はドリンクで、「椀」の方がスープだったことがようやく分かる。同じような失敗はMさんもやっており、「八宝長寿粥」というのを頼んだら、小豆や白玉の入ったぜんざいのような甘い粥が出て来たそうである。
しかし今更買い替えるのも何だったので、甘ったるい豆乳ジュースで肉饅と粽とを食べることになる。肉饅の方はそうでもなかったが、粽は玄米を使って香ばしく、初めて味わう触感で美味しかった。それに加えてOさんが残した揚パンを貰う。これは日本で食べたのとそれほど変わらなかった。ああ、痛恨の豆乳スープ。

朝食を食い終りホテルへ戻る道すがら、スーパーを見つける。セルフサービスのスーパーは店員と喋らずに済む為に一般の商店よりも物が買いやすい上に、現地人の生活の様子が分かった面白いので入ってみる。中は日本でもあるような普通のスーパーで、品揃えも日本の田舎にあるスーパーと余り変わらないのではないだろうか。値段は総じて安い。来て気がついたのは、物価の相場は日本の約10分の1くらい。大体1元=1us$くらいの感じで行くと丁度良いのではないかと思う。自分で飲む中国焼酎を一瓶とジュースを購入。


浦東地区

一度ホテルへ帰って荷物を整理して、ホテルを出る。今日は上海の街をうろつきつつ、上海駅で翌日に行く抗州か蘇州行きの列車の切符を購入することにする。
地図を見ると上海テレビ塔まで余り距離もないので歩いて行くかと気軽に考える。が、しかし歩いてみると結構距離があるのと、寒さで体力の消耗が激しくなるのと、それに加えてひたすらだだっ広い光景がそれに追い打ちをかけて、テレビ塔に着く頃にはふらふらになる。

浦東地区では建設ラッシュで、あちらこちらで高層ビルの建設が行われている。うっすらとガスのかかった中に、あちらこちらでにょきにょきと天に向かってそびえ立つ高層ビルを見ていると別世界に来たような趣がある。手持ちの機材では余り綺麗に撮れないことも分かってはいたものの、資料のために高層ビルのいくつかを写真に撮っておく。


テレビ塔

世界第3位の高さを誇る上海のテレビ塔だが、これまたえらく大雑把な作りをしている。日本でこれだと登りたくないのだが、地震の少ない中国ということで無理矢理納得して登ることに。


(左)テレビ塔 (右)黄浦河

登るにも色々とコースがあるのだが、一番シンプルな50元のもので入場する。塔はほとんど日本の観光地の展望台のそれである。すぐ下を流れる黄浦河を眺める。外洋船がいくつか入っていたり、大きめの造船所でコンテナ船が修理されているのを見ると、さすがに中国だなと感心させられる。しかし霧がでているため遠景を見ることが出来ず、一周を15分程で飽きてしまったため、土産物を見て回る。置物のカレンダー、しおり、時計、玩具、おかし、等々。本当に日本の観光地そのものである。それらの御土産の中に文字の書かれた米粒とかがあった。さすが中国である。


昼飯

上海旧市街地への渡河点を探そうと河沿いを歩いてみたものの、目指す渡船も地下トンネルの入口も見当たらず、先に昼飯を食うことにする。
韓国料理屋や洋風ファーストフードの店などがあるが、さすがにここまで来てそれは無いと歩き回っていると、上海故事というほどほどに高級そうな中華料理屋を見付けて入る。
ジャスミン茶か何か分からないが、白磁の蓋付きの湯飲みにお茶葉や花びらやクコの実等が入ったものを出され、これに1mほどもある注ぎ口を持ったジョウロの様な真鍮製のポットで、ボーイがお湯を注いで行く。かなり大雑把な動きで思いっきりお湯をこぼしていたが、気にもせずに行ってしまう。これがお国柄というものか。
なすとピーマンと豚肉の唐辛子炒め、豆腐の中華ハム、松の実、青菜入り煮物、春巻、豚リブの竹の子と山クラゲ入りスープ、蛙の唐辛子炒め、そして炒飯を注文。先輩2人を差し置いて自分だけビールを頂く。蛙は初めてで、ちょっと固めの鶏肉と言う感じだが、いかんせん小骨が多くて食べづらかった。

ラストエンペラーもといMさん


渡河

うろつくこと小1時間程で、やっと渡河点らしき場所を捜し当てる。瀬戸内海を航行するフェリーに近いものだが、前後でなく左右に抜けた構造になっている。これに大きな荷物を抱えたのやら自転車に乗ったのやらが、大勢乗り込んで行く。片道だけ料金を徴収するらしく、こちらから渡る分には無料であった。
肌寒い風の下、広い河面の上、どっどっどっどっとディーゼルエンジンの鈍い音が腹の底を打ち、目の前に上海の旧市街が迫ってくる。橋で渡るのとはまた違った風景に、緊張感も高まる。

船上にて

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