北近江遠征2006

平成18年10月8日〜9日


彦根の虹



「敬老の日の三連休と体育の日の三連休、どっちがいい?」
主幹の窪谷さんから、恒例の秋遠征の日程の問い合わせがあった。
その際、蚊や気温の関係から遅い方が良いと回答し、また薬田さんの都合等により10月7日から9日までの3日間に北近江遠征の日程が決まった。
ところが、出席予定だった高校時代の同期の結婚式も10月7日だった事を遠征の2週間前に気付き、1日少ない2日間だけの参加ということになってしまった。しかも金が無いので結婚式の2次会終了後に夜行バスで移動開始というハードスケジュールだ。



○10月8日

予定通りに0530に京都駅に到着。真後ろの席に挙動不審な人が座っていたので心配でよく眠れなかった。
駅周辺にコンビニも売店も見つからず、予備で持ってきたカロリーメイトもどきで朝食を摂り、0548発の鈍行で集合地である彦根を目指す。

彦根駅には0646に到着。彦根周辺では見事な虹が出ていたが、小雨が降っていることでもあり、城屋としては嬉しくない。
ともかく無事に合流。今回の遠征参加者は、東京から窪谷さん、薬田さん、そして初めてご一緒する福田さんの3人、また金沢からは保科さんと、自分を含めて計5人。レンタカーはカローラだが、後部座席に大人3人はキツキツだった。



本日の予定としては居館を落としつつ北上し、賤ヶ岳周辺の陣城を幾つか攻めるというものである。この際、賤ヶ岳周辺の陣城に関しては林道を有効に使って実登比高を極力抑えて肉体的損害を軽微にする戦術を採用した。




下坂氏館


左:主郭内の様子、右:腰郭の内部








北陸本線田村駅の北東、国道8号線と県道556号線の間にある。下村クリニックの北側の木立がそうだが、周りを鉄条網付フェンスで囲ってあり内部には入れない。国指定遺跡ということでわざわざ立ち寄ったのに、余りの酷い仕打ちに一同呆然とする。
看板にあった縄張図を見ると一応土塁や堀が残っているようだが、このクラスの館跡なら全国に山とある。こんなケチ臭い事をしているのなら、国指定なんか剥奪してしまえ。

京極・浅井両氏に仕えた下坂庄地頭の下坂氏の屋敷。




小山館


左:北側の土塁、右:東側の土塁



左:南側にある門とその脇の石垣、右:南東角の土塁




木之本の街の東、もしくは朝倉義景の本陣があった山田山の北にある、小山の集落の中央にある。この小山集落は道が狭いので運転に自信の無い人は要注意。館跡の東側の集会所に車を停められるスペースがある。
館跡内が住居のために西側に土塁があるか確認できなかったが、他三方には土塁を確認できた。

在地領主である小山氏の館跡。




田部山城(?)


左:トンネルの上付近のくびれ、右:東西の郭間の凹部



左:西側の郭の土塁?、右:鉄塔のある小山との間にある土橋



右:図面はいい加減なのであくまでも参考程度に

安土調査研究所の城郭マップ「淡海の城」では、国道303号線のバイパスの一つ目のトンネルの真上がプロットされており、無理やりに登り道を見つけてプロットされていた山に登ってみた。
一応城らしき遺構はあるのだが、別の資料にあった主郭と思われる部分の写真とは似ても似つかぬもので(その資料の写真には周りが土塁で囲われた郭が写っている)、しかもこの資料には「南北に2つの郭」とあるのに、ここでは東西に2つの郭が並んでいる。一応北側にも尾根が伸びているが、余りはっきりとした郭らしきものは認められない。そういう意味では、?マークを付けざるを得ない。もしかしたらすぐ東側の大きい方の山頂が本当の田部山城かもしれない(地図の灰色点線部分)。
ただ、鉄塔のある南西の小山との間にある土橋らしき遺構は、まるで壁のように急傾斜で高さもかなりある。これを見るだけでもこの城もどきに登る意味はあるかもしれない。

浅井氏の家臣の田部氏の城。小谷城の戦いの際には朝倉方が入る。




田上山砦


左:一般的な城域から北に外れた谷にある土橋、右:城域最北端の土塁



左:北側の郭の馬出と堀、右:中央の郭から西側の郭方向



左:西側の郭の下、右:南側の郭





山の東側の谷を北上する林道で比高を稼げるとあったので、車を砂利道に突っ込んでみたのだが、途中で急坂になったつづら折れに出くわす。昨日の雨で路面が濡れているのと乗っているのがFFのカローラでしかも5人乗りだったので、無理をせずにそこからは車を置いて歩く事にする。林道の終点付近で尾根筋に取り付く道を探すが見つからず、15分程付近を捜索してようやく草に埋もれた階段を発見する。登り口から整備された遊歩道が一応城跡まで続いているが、ここ3、4年手入れが為されていないようで荒れている。比高が多少高くても南麓から歩いて登った方が良さそうである。
一応城域は南北200m程の範囲とされているが、そこから北側に伸びる尾根上にも比較的平坦な場所や明らかな土橋があるので、もう2、3ヶ月開戦が遅れたら、この辺りも城塞化されていたのかもしれない。

賤ヶ岳合戦の羽柴方の陣城で、羽柴秀長が15000の兵で布陣したとある。




玄蕃尾砦


左:最南端の郭を南下から、右:最南端の郭から北方向



左:主郭から南西方向、右:主郭の南側の馬出



左:主郭の櫓台、右:主郭の東下の空堀



左:主郭の北側の馬出の西側の空堀、右:北西端の郭の空堀



左:北西端の郭、右:木之本方向を望む




県道140号線の柳ヶ瀬トンネルの西側出口すぐに、北に脇道が出ている。この林道を蜿蜒と進み、分岐を左(砂利道の方)を進むと駐車場らしき広場に出る。ここから歩いて峠へ、峠から尾根沿いに登る。柳ヶ瀬山の一つ北側が玄蕃尾砦である。
3年ぶりだが、整備の良さは変わらない。賤ヶ岳合戦の陣城の中では最も見栄えが良いので、何はともあれここに来るべきである。

賤ヶ岳合戦の際の柴田勝家の陣城。



次に東野山砦へ向かうが、事前情報から砦へと向かう林道(東野中之郷線)の南側は状態が悪く、4WD等の車高の高い車でないと難しいとあったので、同じ林道の北側の入り口を探しに小谷集落へ向かう。しかし工事中で林道に入れず、といって歩いて登る気力も無かったので諦める。

続いて別所山砦と行市山砦へ。小谷集落の東側にある入り口から林道(池原小谷線)に入るが、すぐに車の底を石で擦り始めたので止めて引き返し、こちらも諦める事にする。しかし帰ってから池原集落の側からも登れる事、しかもこちらからの林道は比較的新しい事が判ったが、後の祭りだ。




天神山砦


左:東側の郭の下段部、右:東側の郭の北の堀切と土橋



左:西側の郭の西側の堀切、右:西側の郭の下段部




比高の低い城だが、山そのものがしっかりとしたイノシシ避けフェンスで囲まれてしまっている為に直登は不可能。神社の社の南側に山域への入り口が作られており、ここから入る。
東側の郭周辺は整備されているが、他は荒れている。イノシシ避けフェンスも砦の西側まで下げてもらえるとありがたいが、どうにもならないだろう。

賤ヶ岳合戦の際の羽柴方の陣城として山路正国が築くものの、位置が前過ぎた為に放棄し、堂木山砦まで下がっている。




岩崎山砦


左右:主郭?付近の平坦部



左右:西側の尾根部の平坦部




事前情報により神社の東側の谷を登るが、尾根に取り付く直前で藪になってしまう。少し遠回りだが大岩山砦へのハイキングコースを登った方が楽である。(このハイキングコースも麓近くでイノシシ避けの電線越えをしなければならない)
城域は荒れており、郭や土塁らしきものがあるのは確実なのだが、どういう配置になっているのか確認できなかった。

賤ヶ岳合戦の際の羽柴方の陣城。高山右近が入る。




日没になったので、本日の予定は終了。
宿のある彦根に戻る途中、サイゼリアで軽く夕食を摂り、宿に帰ってから持ち込んだ酒とつまみで乾杯し直す。
前夜はゲームが立ったらしいが、今夜は保科さんのおめでたい話で盛り上がり、話しているうちに12時前になったので就寝。

5人1部屋で、窪谷さんの鼾が心配だったが、夜行バスの疲れも残っていたのか余り気にならなかった。

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