丹後丹波遠征

平成25年10月12日〜14日




槇山から南東方向を



○10月13日






中山城


左:主郭を北下から(登れなくて迂回する)、右:主郭平面


左:主郭の南下の郭、右:その南の郭の土塁


左:その土塁から北下を、右:堀切


左:削られた部分付近、右:削られた部分を道路から



舞鶴でも有名な城だったので楽勝と思っていたら、正規の登城道(橋の近く)が途中で山ごと削られて無くなっていた。郭まで近かったので直登しようかとも考えたが、藪になっていて鉈鎌も無く、一度降りて北から攻め直す。
旧由良川中学校の間から北端にある墓地への登り道に入り、墓地から尾根沿いに南下するも、主郭の高低差がありすぎて登れず、道も無い斜面を迂回。複数の縄張図には西斜面に道が描かれているが、藪に埋もれて歩けるものではなく、また途中崩落している形跡もあった。
どうにか主郭にたどり着き、尾根沿いに南下。メリハリがあって良い城だったが、人が来なくなったせいか荒れ気味だった。
道路工事で削るのは仕方ないにしても、登れなくなった元の登城道をそのままにしているのはどうなのかと。それとも道を作り直す前のタイミングで登ってしまっただけだったのか。ともかく、ここで2時間も失ったのは痛かった。





槙山砲台


左:28cm榴弾砲砲座と砲側庫、右:最右翼の砲座とNHK送信所


左:砲座の側面、右:15cm臼砲の三連掩蔽部


左:最左翼の臼砲砲座跡?、右:右翼を望む


左:兵舎のあった平坦地、右:トイレ跡


左:13号電探の電探室、右:北西、由良を望む



山頂まで車道が上がっているが、パラグライダー場があるため、降りた人を迎えに行く車が猛スピードで降りてくる事が多いので注意。
藪に埋もれている所が多いが、藪に入ればそれなりに残っている。パラグライダー場の北東下には戦争中に作られた13号電探の電探室(と思われるもの)が残っている。

下山する際、車道を猿が20匹くらい横断していた。





建部山堡塁(建部山城)


左:掩蔽部、右:砲座へ続く階段


左:右翼にあるトイレ跡、右:カノン砲座の砲側庫


左:北側の12cmカノン砲座、右:南側の12cmカノン砲座


左:南側のカノン砲座内部、右:同左の後ろ側


左:掩蔽部の上にある謎の土塁、右:掩蔽部の中



軍道が遊歩道になっているが、まともに整備されていないので、かなり歩きづらくなっている。また山頂も荒れており、更に眺めも悪く、舞鶴市のやる気の無さを感じる。
遺構は破壊も無くよく残っているが、前述の通り荒れており、一通り見てまわるのにも苦労する。改めて戦争中の偽砲台もしくは高角砲台の跡を探してみたが見つからなかった。





田辺城


左:北西角の櫓、右:西面の大手門


左:内部、右:天守?の石垣



車を置くスペースが見つかりにくいので注意。
北面と西面が復元されている。内部はすっかり公園。




西舞鶴駅前にあるホテルのレストランで昼食。
期待せずにカレーを注文したら、和牛の良い部位が入っていて美味しかった。あの値段であの味はかなりコスパが良かった。




引土城


左:南麓から、右:山頂の平坦部



西舞鶴駅の南南西約500mにある。
山の南麓が墓地になっており車が停められるが、橋の幅が狭いので運転に自信が無ければ無理はしない方が良い。道はしっかりとしているが、山頂まで直行してしまい、東下にある郭には行けなくなっている。



本日午後のメインである溝尻城へ行こうとするも、車を停めるスペースが見つからず、諦める。
貴布祢神社の南にあるグランドの脇辺りが唯一のスペースだったが、丁度野球をやっており、父兄の自動車で占領されて停められなかった。
また、スペースを探している最中、民家が10数匹の猿に襲われているのを目撃する。槇山といい、日本は大丈夫か?





行永城(亀岩城)


左:旧墓地の終端部、右:主郭平坦部


左:北西下の神社のある平坦地を見下ろす、右:縦堀



東舞鶴駅の南南東約1.5km、芥子谷の団地の南の山が行永城である。団地側から登ると途中までは墓地への道があり、その終端から急斜面を登ることになる。ただ北西端の神社の建つ郭も、そこから一つ上まではかなり斜面が急であり、どちらにしても苦労させられることになる。
土塁や堀などの防御施設はあまり見当たらないが、郭間の段差が大きい。








戦闘後前進で小浜泊。

夜は居酒屋。
日本酒に拘った店で、小芋の唐揚げが美味しかった。




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