丹後丹波遠征

平成25年10月12日〜14日




埴生城の堀切





同行者に許可を取る事など、色々と面倒くさくなってきたので淡白に記述する。


○10月12日

Kさんと京都集合。
国道9号線から京都縦貫自動車で亀岡IC下車。




太田城


左:主郭、右:北西下にある堀切


左:東へ伸びる郭、右:南西へ下る郭



山陰本線並河駅の南西1.5km、ひえ田野町太田集落の北西の小高い丘が太田城である。南面に池、北西に深めの堀切がある他は、防御施設は見当たらない。西側と北裏手の山頂にも遺構があるらしいが、今回はパス。





丸勘城


左:北側の社のある平坦地、右:主郭


左:帯郭、右:南から

太田城の西500mの小高い丘が丸勘城である。広い平坦面になっているが、ここも防御的地形が殆ど無く、畑としての地形の名残があちこちにある。





神尾山城


左:主郭を南下から、右:登山道脇に残る石垣っぽいもの


左:主郭の南下に連なる郭群、右:主郭の北側(奥に土塁)


左:主郭の北の郭、右:主郭の南東下の何か



太田城から国道372号線を西へ進み、宮前町宮川集落から金輪寺へと登ると、その北裏の山が神尾山城である。
2000年にも一度訪れているが、その時は一面の杉林で展望こそ悪かったものの歩きやすく、地形も読みやすかった。ところが13年ぶりに来てみると、杉が伐採された箇所が多く下草や潅木が生え、歩きづらく地形も判り難くなってしまっていた。台風などで杉が倒れたためだとは思うが、もう少し何とかしてもらえないかと思う。





埴生城


左:最福寺の墓地から南方向、右:写真左奥に麓の館跡


左:館跡の平坦地、右:同左南にある登り口


左:主郭、右:主郭南端の櫓台


左:櫓台南西端の石垣、右:櫓台南下の堀切



国道372号線を更に西へ。園部町埴生集落にある最福寺の墓地の南にある橋の内、西側のものを南へと渡り、少し南へ登った所から東へ入ると、城の南麓にある館跡の平坦地へと出る。館跡の南に城山への登り口がある。踏み跡があるので、慎重に登ってゆけば主郭へ至る。(当日は登り口がわからなかったので、北に伸びる尾根を直登し、降りる際に本来の登山道をトレースした。)
遺構は主郭のみの簡単なものだが、櫓台周辺に石垣の残骸と、櫓台の南下に大きな堀切が残っている。





新庄城


左:登り口、右:文覚池の東から、城山を望む



山陰本線吉冨駅の北東約2kmにある城山が新庄城である。東にある文覚池の堤を渡ると、防獣柵の出入口があり、ここから山に入るらしい。登り口を探し当てるまでに時間がかかってしまったことと、熊が良く出るとの話から諦める。




もう一人のKさんと亀岡駅で合流し、亀山城へ。





亀山城


左:石垣、右:上の方は積み直し



亀岡駅の真南。現在は大本教の本部。
一部立ち入り禁止の部分もあるが、他は見学が可能である。ただし宗教施設であるため、お祓いをしてもらわなければならない(大本教は神教系)。





園部城


左:城門兼校門、右:櫓


左:櫓、右:近くにある偽天守



現在、京都府立園部高校になっている。
土曜日の、しかも下校時刻で人が少なくなっているとは言え、女子高生が多数居る場所に不審な男3人は入るというのには勇気が要った。ただ実際入ってみると、こういう人が多いのか、余り気にもされなかった。
また高校のすぐ北にある市役所の近くには、こちらも怪しい偽天守が建っている。




戦闘後前進で舞鶴泊。
夜はスーパー飯。




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