第一次国東半島包囲戦

平成29年1月7日〜9日




小門牟礼城から麓を見下ろす




 40も半ばに近くなり体力の減衰が激しいが、それにも増して気力が湧かなくなってきている。
 これまでは時間をかけてまとめてきたものの、それが出来るだけの気力を貯めようと思っていたら何もできなさそうなので、簡単にスパスパと書くことにする。





○1月7日

大分空港に集合。目標は国東半島。
しかし今回は天気に恵まれず、天気も足場もまともな初日の内に、半島の中央部に位置する小門牟礼城を落とし、また半島の北東側を潰しておくことに。






1日目 作戦地図(国土地理院地形図を元に作図、緑字は天候不順の為に見送った目標)




吉広城


左:南下の堀切、右:主郭


左:北東下の横堀、右:同左から主郭を



道は狭いものの、主郭の直ぐ近くまで車で入れる。
その代わり城域は狭く、平坦地は殆ど無い。





小門牟礼城


左:主郭東側、右:主郭中央部


左:主郭中央部から東を、右:西端付近


左:西端、右:北西を



 小門牟礼城のある小門山への登山は難しい。南東麓にある駐車場に停めてから登るのが一般的らしいが、それだと比高が400m弱になる。その為、少しでも比高を稼ぎたい場合には東麓にある駐車スペースまで車で入るのが良いが、道が狭くて軽自動車でないと進入も転回も難しい。また駐車スペースから登山口まで大きく迂回させられ、これによって30m近く損してしまう。といって駐車スペースから直登するには傾斜がきつく、また山に慣れていないと遭難する危険性があるのでお薦めできない(下りの際に直接降りてみたが、一つ北の谷に出てしまった)
 かなり急な傾斜に九十九折れに登山道が付けられているが、頂上近くになると杣(そま)道のようになる。足場が濡れている場合は、登山は避けた方が無難である。

 郭は単調だが、かなり広い。山頂からの眺めも良いのだが、登山の苦労には報われないような気がする。








御所の陣


左:湾曲した土橋、右:東の虎口近くの石垣


左:ススキ野になった東側の平坦地、右:西へと降りる虎口


左:北西に伸びる郭、右:同左の北西端にある堀切



ここもアクセスが難しい。小門山の東麓へと向かう林道の分岐から北東へ入り、廃車(大昔のマツダファミリア)のある辺りに駐車するのだが、分岐からこちら側の林道は半分がダートになっており、轍も高い。無理ならば林道を歩いて登った方が良い。
駐車スペースの先の方に本来の登り道があるらしいのだが、畑が放棄されて久しく藪に埋もれているため、途中まで尾根を直接登っていくしかない。地図の323mの標準点の少し下辺りで本来の道と合流する。

敷地は広いのだが、陣城のような温い造りになっている。また桜が植えられていることから一時期は公園化されたことがあったのかもしれないが、東側の平坦地はススキ野になっている。西側は木立になっていることから比較的歩きやすい。





小城


左:東上の平坦地、右:西下の平坦地の西側の土塁


左:土塁内側の石垣、右:西側の土塁を南西側から


左:北下の帯郭から虎口を、右:北下の帯郭



廃車のある所から南へとダート林道が伸びているので近くまで寄せるのは容易だが、そこから先に何も無い。仕方ないので直登。

東西に大小2つの郭が並び、その北西から西へと帯郭が回っている。縄張図には帯郭に横堀が走っているように描かれているが、この窪みを堀と見るのはどうなのだろうか。多分に作図者の希望が入っている。





成仏城


道路脇から



縄張図を見ると道路脇から直ぐに取り付けそうに思えたのだが、実際に行ってみると傾斜がかなり急だった。無理をすれば郭には入れたのだろうが、撤退。





亀城


左:南東隅にある神社を下から、右:神社の西裏にある土塁


左:平坦部、右:平坦部の西端の土塁


左:西端の大堀切、右:その西にある大堀切



東西に長い山の山頂に広い平坦地がある。西に大きな堀切が2本入っているが、それ以外は城らしい造形があまりない。縄張りの雰囲気は小門牟礼城に似ている。





飯塚城


左:国東小学校のグランド、右:校舎の前に案内板がある



国東市立国東小学校の建っている場所が飯塚城跡である。
校舎前に建てられている案内板以外、城跡らしい痕跡は何も無い。





富来城


左:公園化された主郭部を北東から、右:主郭部を西から


左:主郭部、右:主郭部南東下にある石垣



富来の町の比較的広い範囲が城域だったようだが、現在は主郭の一部が公園化されて残っているだけである。南東下に石垣があるが、当時のものかどうかはわからない。





岐部城


左:謎の木造構造物、右:北端から麓を


左:平坦部の南端の土塁、右:土塁の南下の堀切


左:土塁南下の堀切、右:同左を南上から


左:更に南上の堀切、右:同左



国見ふるさと展示館の南東にある。縄張りの北端にわけのわからない木造構造物が建てられているが、城とは関係の無いものらしい。平坦地は斜面になっており、南へと登っていくとようやく土塁と堀切が現れるが、この辺は整備範囲から外れている。南端の二重堀切が良い。





真玉城


左:主郭部(真玉寺)の東側の水堀、右:西側の水堀


左:西隣の郭(分校跡地、大系の図では内城)の南西辺の土塁、右:同左を上から


左:南西辺の土塁、右:北西辺の窪みと土塁


右:1975年頃の航空写真(CKU748-C12-5、国土地理院)

水堀に囲まれた主郭部が寺になっている。その北西隣は大系では内城と書かれているが、分校跡地になっている。この内城の南西辺と北西辺に土塁が残っている。




日没になったので、本日の作戦は終了。

豊後高田市のホテルで一泊。
近くの焼肉屋で夕食。






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