久米島攻略記

平成15年4月26日〜30日



宇江城より南方を望む

・4月29日
このホテルをチェックアウトする前に、神戸へ送付する荷物を荷造りして、ホテル前のコンビニに持って行く。こちらの勝手な予定では30日中に届いて、5月1日からの帰省に送付した古酒をお土産を持って行くつもりだったのだが、「5月2日の到着になります」と店員に言われて愕然とする。そう言えばここは沖縄だったのである。今更荷造りをやり直すのも面倒だし、持って帰ったら重たいし、久米島で別のを買って帰ればいいやと、そのまま送ってしまう。


0750にホテルを出て泊港へ行き、切符を購入。出発までの時間に、売店で買ったおにぎりと菓子で朝飯を摂る。


左:おにぎり(油みそ)、右:味噌ボーボーと書かれている

おにぎりは沖縄独特の平型おにぎり、菓子は卵無しクレープ皮に味噌を塗って巻いた物で、其々素朴な味がして美味しかった。


0900発の高速艇で久米島へと向かう。自分は移動中は余り寝ない方なのだが、昨夜の一件が有った為か疲労困憊激しく、到着するまでの2時間ずっと寝っ放しだった。

1100頃に久米島の真泊港に到着。港のターミナル前に一台止まっていたタクシーに乗り、イーフビーチホテルに向かう。
ホテルのロビーで荷物を預け、早速に「はての浜」ツアーの1200からの分で申し込みをし、空いている部屋を借りて着替えをする。
1200前に迎えが来て船着場へ行く。料金を払い(昼食なしで3500円)、平底のグラスボートで浜へと向かう。


左:船着場、右:グラスボート内

浜へ行く途中、海底にあるクマノミ城といわれている所を船底の窓から観賞。3mほどの珊瑚の塊に無数のイソギンチャクとクマノミが集まっており、正に「城」という感じであった。



左:上陸、右:海の家へ向かう


トイレ、もちろん穴に便器が載せてあるだけ

15分ほどで果ての浜に到着。まるで上陸用舟艇の様に浜に乗り上げて着岸。
浜はその名の通りの浜で、視界の端から端まで延々と砂浜が続いているだけで、まるで砂漠。逆に気分が滅入ってしまう。
東西に長く続く浜の2箇所に休憩所とトイレとが作られているが、まるで砂漠に建てられた難民テントのようである。
外海の側(南側)は波が高くて危険との事で、内海側(北側)だけで遊泳してくれという注意も受ける。

足ひれとシュノーケル、マスクを持って海に入ってみるのだが、干潮なので浅く泳ぎにくい。また珊瑚も多くが死滅していて美しくない。ただ、魚の種類だけは、座間味島の古座間味ビーチや渡嘉敷島の阿波連ビーチよりも断然に多かった。またここの魚は変に人に慣れていて、餌を求めて人間に近寄ってくる魚すらいた。嬉しいような、悲しいような。

船着場の自販機で購入したお茶とカロリーメイトを食いながら、3、4回ほど海に入るが、泳げる範囲が狭く、2時間もしない内に飽きてしまう。そこで少し早いものの、1500の便でとっとと帰ってしまうことにする。


ホテルに戻ると、一度チェックインをして荷物を整理し、ホテルのすぐ前にある民宿でやっているレンタサイクルを借りて奥武島にある畳石を見に行く。


畳石、正確な六角形ではない

この畳石は火山岩が侵食等により、六角形タイルを敷き詰めたような状態になったものである。ガイドブックの写真を見ると壮大な物に見えるのだが、実際に自転車を漕いで15分かけて行ってみると、2,30mほどのものが2ヶ所あるだけだった。
ただ、奇岩は見ていて面白く、男三人何することなくしばらく岩を眺めていた。

1700過ぎにはホテルに戻る。
やる事も無いので付近を散歩し、居酒屋の値段の相場を確認しておく。その結果、ホテル内のレストランが一番安い事が分かったので、そこで夕食にすることにし、1800過ぎにホテル内のレストランに行く。
ところが値段は安かったものの、出てくる一品一品の量がやたらと少なくてがっくりと来る。まあ一番高い筈のホテル直営店が安い筈も無く、これだったら外に行くべきだったと後悔しながら料理を味わう。



大根の煮物(千切り大根の煮物、沖縄風)、ジーマミ豆腐、刺身三品


茄子と豚バラの味噌焼き、モズク天


烏賊と苦瓜の酢の物、泡盛、ジューシー(おにぎり)、肉餡入り田芋


沖縄そば、ゴーヤチャンプルー


グルクンの唐揚げ、グルクンの焼魚



グルクンの焼き魚は、「時間が掛かりますが…」と再三に渡って忠告を受けたものを、「いや、焼き魚の方が魚の食べ方としては美味しいのだから」と、無理に押し切って注文したものなのだが、言葉通り中々出てこない。しばらく経ってグルクンの唐揚げを持って来たので、「さては注文を取り違えられたのか…」と諦めて、その唐揚げを食べていたら、別に焼き魚を持ってきた。どうやら唐揚げは別の客の物だったらしい。
「この唐揚げの代金はいただきませんから」と詫びられると、多少待たされていようとも、満腹で食べるのが辛くなっていようとも、運が良いなぁと嬉しくなってしまうのは根っからの貧乏性からなのだが、後でかかった代金を逆算してみたら、この唐揚げの代金もしっかりと入れられていた。
3人で10500円程。


腹ごなしに、ホテル前の浜を散歩する。


左:ポーズ、右:夜空の筈が…(撮影失敗)

ここで海に入ってずぶ濡れになったりすると面白いのだが、そこまではせず。
そのついでにスーパーに行ったり、居酒屋を見て回ったりする。
2000前には部屋に戻り、ダラダラとTVを見て時間を過ごし、2300には就寝する。



・4月30日
0700過ぎに起床。しばらくは晴れ間も覗いていたのだが、すぐに曇り出し、その内に雨もぱらつく。
0800に朝飯を食いに下のレストランに降りてみたのだが、朝食は1500円のバイキングのみ。比較的安い軽食の店も開店が0900からだったので、外に食べに出る事にする。

観光地だし、どこか開いているだろうと高をくくっていたのだが、殆どの店の営業時間が0930頃からであり、結局どこも開いていなかった。探し歩くうちに、遂にイーフビーチの反対側にある日航のホテルまで行き着いてしまったのでここにも入って見たのだが、朝食は1500円のバイキングのみと、泊まったホテルと全く同じ値段だった。

落胆しながらホテルまで戻ってくると、向かい側にある怪しげなコンビニだけはすでに開いていたので、一応ここも物色する。
このコンビニ、エロ漫画雑誌の品揃えが異様に良く、下手をすると日本で出版されているその手の雑誌が全て揃っているのかもしれない程だった。
それはともかく食料品。パンやおにぎりといったものは置いてあるのだがあまり気が乗らず。これだったら0900に開くホテルの軽食屋で食おうという事になる。




変な取り合わせ

一度部屋に戻って時間を潰した後、開店を待って軽食レストランへ行く。自分はホットドッグとケーキ、それにコーヒーという変な取り合わせ。ホットドッグは作り置きをそのまま温めるだけなのだが、パンとソーセージを別々に温めて呉れているのはありがたかった。

飯を食いながら、今日一日のスケジュールを練る。1500に空港行きのバスが来るまで5時間ちょっとあるのだが、外は強風に小雨。気温も低くて、とても海で泳げたものではない。
これだったらレンタカーでも借りて島内観光でもしようか、とレンタカー屋に電話してみるのだが、誰も同じ事を考えるもので、島内にあるレンタカー会社3社共にほぼ全ての車が出払ってしまっており、唯一残っていた車も8人乗りのバン。15000円も払ってまでレンタカーに乗りたくは無いので諦める。

「これだったら、昨日の民宿のレンタルサイクルで島内一周でもしようか?」と自転車マスターのMさんが提案されたのだが、体力のかけらも無いのに自転車での移動は辛い。
それならいっそのこと、一人だけ別行動をさせてもらって、この島に何箇所か残っている城(グスク)を回りたいと、思い切って進言してみる。すると「団体行動を乱すな」とでも言われるかと思ったら、あっさりと承諾される。

こうして、先輩2人が自転車を借りている横で1時間1000円の原チャリを借り、一人県道を東へ。小雨と強風と、初めての原チャリに戸惑いながらも、まだ見ぬ城を求めて突っ走るのであった。



宇江城


左:一の郭を東側から、右:一の郭の石垣


一の郭から(推定)三の郭、自衛隊のレーダー基地、右:三の郭から一の郭




島の最高所に位置する。眺めは良く、天気が良ければ沖縄本島も望めるらしいのだが、天気が悪いので島内しか見渡せない。
以前は城の南西にある自衛隊のレーダー基地辺りまで城域だったらしいのだが、戦後に米軍がレーダー基地を建設する際に大部分が破壊されてしまったようである。
残っている城の東部は、石垣が良く残っているものの殆どが復元された石積み。しかし、高所にこれだけの石垣があるのも壮観なものである。
築城年代ははっきりとしていない。伊敷索按司の長男、久米仲城按司が築いたといわれている。中山王尚真(在位1477〜1526年)の時代に首里王府の軍勢に攻められて落城した。


雨が酷くなりそうだったので、早々に撤退。具志川城へと向かう。



具志川城


左:全景、右:南側の門


左:郭内部、右:南側の門から東側を望む





島の北西部の海岸沿いにある。築城年代は不明、伊敷索按司の次男、またふつ按司が築いたとされている。宇江城と同じ時期に攻められ、内応者が出て水の手を絶たれて落城したといわれている。
発掘作業の途中か、所々にビニールシートや土嚢が見える。草も払われており、見て回りやすかった。
ここでも小雨がぱらついており、またレンタルバイクの時間もあったので早目に撤退。




伊敷索城


左:駐車場横、右:門跡?


左:石積、右:南縁の石垣




島の中心部である兼城港近くにある。すぐ東側に久米島自然文化センターが建っているのでここの駐車場にバイクを停める。
現在では石積みは崩れ、草木に覆われてしまっている。城の東側は崖となり、下には川が流れていたらしいのだが、木が生い茂っていて確認はできなかった。
伊敷索按司一族の居城として伝えられている。


島を一周して、イーフビーチの北側まで戻ってきたのだが、2時間までにもう10分ほど残っていたので、無理をしてもう一城へと突っ込む。




登武那覇城?


左:頂上から南方(イーフビーチ)を望む、右:頂上付近


頂上脇の駐車場




ある地図に、登武那覇公園の場所に「登武那覇城跡」と記載されていたのを頼りに、駄目元で突っ込んでみる。
「登武那覇公園」という看板の横に駐車場があって、その横から山頂まで階段が続いていたので、これを登る。しばらく登ってから沖縄にはハブがいる事実に気がつき、慌てて棒切れで草むらを突っつきながら登って行った。
山頂は一面芝生で石垣跡や郭跡は無く、大きな石が疎らに転がっているだけで、とても城跡には見えない。看板や碑といった物も無く、結局本当に城跡だったのかはわからなかった。
ただ見晴らしは良く、島の東側が見渡せた。

それから登ってから気が付いたのだが、実は山頂のすぐ脇に別の駐車場があり、先ほど原チャリを置いた駐車場からここまで車道が通じている事に気がつき、愕然とする。ここまで登れるのだったら下の看板にそう書けよ。
悔しさにまみれて撤退。


レンタル時間がギリギリだったので、大慌てで戻る。丁度2時間で、代金の2000円を払い、ホテルに戻る。1230を少し回っていた。

少し休んでからOさんの携帯に電話をするが、繋がらず。仕方ないのでMさんの携帯に電話。やっと通じてみると、焼酎の久米仙の工場で試飲をしている真最中だという。この久米仙の工場はホテルのある位置からは島の真反対。この2人は2時間程で15km以上も自転車で走っていたことになる。原チャリでも島一周で相当に疲れたのに、よく自転車で走れるもんだと感心する。

それほど腹も減っていなかったので、MさんとOさんがホテルに帰ってくるのを待ち、一緒に飯を食いに行く事にする。それまでロビーでダラダラと時間を潰す。

1400前に合流。昨日の晩に目をつけておいた瓦屋という居酒屋で昼飯を食う。


左:定食+そば、右:カレー&久米島そば(小)セット

値段は平均700円くらいと普通なのだが、量が異常。久米島そばと定食を別々に注文したMさんは、写真のごとくえらい事になっていた。
Oさんと自分はカレーと久米島そば(小)のセットを注文したのだが、それでも量は多かった。久米島そばは沖縄そばそのものなのだが、ポークランチョンを焼いた物が余分に載っていた。


ホテルに戻り、チェックアウトをする。時間通りにやってきたバスに乗って空港へと向かう。
島だけあってか時間にルーズで、予定よりも15分遅れて空港に到着して焦ったのだが、到着してみると飛行機そのものも20分遅れていた。空いた時間で田舎への土産に間に合わなくなった古酒に代わる焼酎を一本購入。



気分は航空ショー


機内は観光バスのような雰囲気

初めてのコミューター機、初めてのターボプロップ機で、心配半分喜び半分だった。座席配置は2-2で、機内の雰囲気は観光バスのようだった。

すんなり離陸。天候が悪いので、まるで砂利道を走っているかのように揺れて余り気分は良くなかった。矢張り飛行機は大きいものが良い。

無事に那覇空港に到着。乗り換えロビーで、食いそびれたゴーヤーバーガーを食べに一度那覇市街へと戻るMさんOさんと別れて、一人伊丹行きの発着口へと向かう。こちらは時間通りに出発。



左:厚い雲に挟まれた夕焼け、右:大阪の夜景(撮影失敗)

雲は多かったものの、日没から夕焼け、それから大阪の夜景を見る事が出来た。
寮に辿り着いたのは2100過ぎ。
帰ってみると2日前に出した宅急便が届いていた。おかげで久米島空港で購入した焼酎一本が無駄になってしまった。



2度目の沖縄。もう本島の目ぼしい所は行き尽くしたようである。いや、見ていない城や戦跡は山ほどあるのだが、このメンバーでは回れない。回るには、冬に城郭班のメンバーで行くしかない。
渡嘉敷島も期待していたほどではなかった。久米島も天気が悪かったのと、果ての浜が思ったほどでも無かった(思いっきり干潮の時間帯だったのもあるけど)ので、満足度は前回の旅行の時ほどではなかった。次回は宮古島か石垣島辺りに行ってみたい。

沖縄の食べ物も、有名なものは一通り食べたのではないか。今回はメリケンの(ゲテモノ)料理も攻めてみた。それはそれで(思ったよりも)美味しかった。
また今回は、ダンボール箱持参で沖縄食品を大量に購入したので、それがなくなるまでの間は沖縄の余韻に浸れるので、楽しみである。



戦果
	攻撃対象	5城

	うち 不明	1城

			4城	攻略



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