久米島攻略記

平成15年4月26日〜4月30日


座喜味城石垣

今年のGWも沖縄へ行く事になる。
今回は4泊5日の日程の内、久米島で1泊、更に慶良間諸島へ日帰りと、離島が中心。島で、浜で、のんびりと、だらぁ〜んと過ごす。気を張らずにのんびりしようというものだ。


去年一緒に沖縄に行ったMさんOさんに、今年はSさんも参加する予定だったのだが、こちらは急な仕事が入って来た為にキャンセル。結局去年と変らぬメンバーで行く事になる。

またどうでも良い話だが、この日程で予定を組んだ後になって、z自分も実は5日間の内27日しか休日で無い事が判明。しかし今更中止するわけにも行かず、4日間の有給を取る。取れてしまうのも何だが。



・4月26日
0845伊丹発、1105那覇着。
空港の建物から外に出てみると、案外と涼しい。海に入れるのかと多少心配になる。

那覇の松山にあるホテルまで、初めは金をケチってバスで行こうかと考えてバスに乗り込んだのだが、大荷物を抱えて歩くのも馬鹿馬鹿しくなり、発車前にバスから降りてタクシーで向かう事にする。この辺り優柔不断である。タクシー代は980円。



左:松山の街並み、右:情報センター

松山に着いて見ると、スナックやらキャバクラやらがずらっと並んだ那覇の歌舞伎町とでも言うような繁華街である事がわかった。ただ、1泊3000円という低料金なので仕方が無い。ホテルに荷物を預けて、国際通りへと向かう。

Mさん達の乗った羽田発の便が到着する1400過ぎまで、後3時間弱しか時間が無い。この間に個人的な趣味である軍用品や食料品を漁らなければならないので忙しい。
事前にネットでチェックしていた国際通り沿いの軍用品販売店5軒を片っ端から回るが、大した物が見つからず、おまけに川の東側に以前はあったアメリカヤが潰れていた。
仕方が無いので目標変更。東端にあるスーパーまで行って、スパム缶や沖縄料理のレトルト食品を買い漁る。色々な面白い物が手に入ったのだが、当然のごとく大荷物。背負いバッグの紐が切れるのではと思われる程の重量だった。




左:ブリートライス、右:300gのダブルチーズバーガー…食えねぇって(笑)

一通り用事も終わったので、橋の東のアメリカ屋の跡地にあったアメリカンなレストランで昼食。沖縄には「タコライス」というタコスの中身を飯に載せたゲテモノ名物料理があるのだが、この店ではひき肉の代わりにチリビーンズの載った「ブリートライス」(650円)というゲテモノお勧め料理があり、300gダブルチーズバーガーとどちらにするか迷ったものの、これに決定。
このブリートライス、見た目は悪いのだが、それほど味は悪くなかった。ただ載っているチリビーンズが水っぽく、もう少し豆の量を増やして煮詰めると良いのかもしれない。


昼飯を済ませた後は市場をうろつき、更に缶詰、焼き物、軍用品等を物色。山羊の牛乳が売られていたので飲んでみるが、牛乳に脱脂粉乳を足したような複雑な味がした。100ccほどで250円。


左:市場のアーケード、右:山羊乳、豚の頭がラブリー



その内に集合時間が迫って来たのでホテルへ戻る。
ところがホテルから携帯に電話をしてみると、飛行機が大幅に遅れて、今やっと那覇空港に到着したところだと言う。30分ほどホテルで本を読みながら待機。


1530にやっと2人と合流。早速チェックインを済ませて荷物を整理し、再び国際通りまで出る。沖縄料理屋でMさん、Oさんの昼飯。Mさんはゆし豆腐定食、Oさんはソーメンチャンプル―とぜんざい。自分は先ほど食べたばかりなので、Oさんと同じくぜんざいにする。


左:ゆし豆腐定食、右:ソーメンチャンプル―とぜんざい

この沖縄のぜんざいは、白玉の入った金時豆の甘い汁にカキ氷が載っている。暑い中で食べると美味いのだろうが、冷房の効いた部屋で食べても、冷えすぎて後頭部が痛くなるだけである。

飯を食いながら、翌日以降の予定を考える。Mさんが3日目にレンタカーをすでに手配しているということなので、2日目には渡嘉敷島へ行く事にし、電話で船の予約を済ませる。同時に4日目の久米島行きの切符も予約しようとしたが、こちらの方は直接売り場で予約するか、旅行代理店で購入して欲しいとの事で電話での予約はできなかった。


国際通りと公設市場、やちむん通りの辺りを歩きまわる。ヨモギジュース(200円)を飲んでみるが、漢方薬みたいであまり美味いものではない。
しばらく歩いた後、ビアバーで沖縄の地ビールやゴーヤービールを飲みながら、今晩の夕食の算段をする。
初日だし、自分は公設市場で沖縄料理でもと思っていたのだが、MさんとOさん共に「アメリカンな料理が良い。しかもボリュームのあるやつ」と主張。アメリカンな料理は昼間に食ったばかりだったので今晩は遠慮したかったのだが、民主主義なので仕方が無い。ガイドブックに載っていた「ステーツサイド」と言う歴史のあるステーキ屋に行く事にする。



左:ステーツサイドの店構…怪しい、中:入口…怪しい、右:ディスプレイ…怪しい

結構寂しそうな場所にあったので多少心配になったのだが、実際に店を見つけると、その廃れた外見に心配が更に募る。
この店のあるすぐ北には、別の立派なステーキ屋(ステーキハウス88)があったので、安全策を取ってそこにしましょうかと提案をしたが、ネタにするならこっちでしょうと、初志貫徹する事になった。




左:ステーキ、右:正体不明なスープ

店の外見と同様、中も30年前から全く変っていないのではと思うような内装で、本当にネタだなとメニューを見る。お勧めとして「ジョートーステーキ」(240g、1500円)というものがある。何でも「ジョートー=上等」という事で、最上級のステーキという事らしい。それにしても240gもあって1500円とは安いと、3人ともこれにする。そして他にサラダや飯を注文しようとすると、店の人から「ご飯かパン、サラダ、それにスープまで全部ついて1500円です」と説明を受ける。安いのはびっくりドンキー以上なのだが、本当に大丈夫なのだろうかと益々心配になる。


注文から1分も経たずに出てきたスープは、コーンスープとポタージュスープを混ぜたような変てこなスープで、少し水っぽくもあって、それほど美味いというわけでもない。次に出てきたサラダも、普通にレストランに出るようなサラダ。安いだけはあるかと落胆しかけていたら、肝心の肉だけは良かった。 包丁を入れて食べやすくしたニューヨークスタイルというやつで、肉はやわらかくて硬い筋も無く、肉汁もたっぷり。ソースなどの調味料は一切かかっておらず、好みで塩コショウ、ソース、醤油等をかけて食べる。冷めない内にと慌てて食べるのだが、240gもあるので食べても食べてもなかなか減らない。コストパフォーマンスがかなり良いステーキだった。


ホテルへは腹ごなしに歩いて戻る。途中で2軒の古本屋を発見し、2人の先輩を道連れにして古本を物色。それから酒屋で飲み物を購入してホテルに戻る。
寝る前に翌日の予定を話し合う…筈だったのだが、Mさんが旅の疲れからか、部屋に戻ったとたんにベッドに横になったまま寝てしまう。仕方が無いので隣のOさんの部屋でTVを見ながらMさんの復活を待つが駄目で、とうとう起こして一度寝る準備だけはしてもらい、翌日は午前7時起床という事だけ決定して、2230過ぎに就寝する。



・4月27日
0700起床。朝食代わりに昨日市場で買った田芋餅と粟餅を食う。田芋餅は昨年年末に台湾の九粉で食べた芋餅と同じようなものだった。
OさんとMさんは、ホテル前のコンビニでパンなどを購入。そのままトマリンへ向かい、予約しておいた切符を購入し乗船する。
0900に出航。海は静かで酔う事も無く、40分ほどで渡嘉敷島へ到着。阿波連ビーチ行きのマイクロバスに乗る。途中、土砂崩れで不通の道路を迂回する。復旧工事が大分進んでいたが、それでも崩落した部分が生々しかった。

1030に浜へ到着。早速にパラソルとシートを借りて、ベースキャンプを設営。準備が済み次第、順次海へと攻撃をかける。



ベースキャンプ設営中



阿波連ビーチ全景

海は遠浅。珊瑚は死んだものが多いが、沖の方では青色や黄色の生きている珊瑚もあった。魚の種類と数は昨年の古座間味よりも多かった。お気に入りのクマノミも3ヶ所で10匹くらい見る事ができた。

1300過ぎに昼飯。すぐ近くの海の家で食べても良かったのだが、折角だからとガイドブックに載っていた店に行く。


沖縄そば、カレー丼、タコライス

あまり食べ過ぎても吐くだけなので、沖縄そばだけを注文。一緒に沖縄唐辛子の泡盛漬けが出てきたので、かければそれなりに美味くなるのかと試してみたが、ただ辛くなっただけで味には貢献しなかった。Mさんは沖縄(ゲテモノ)名物タコライス、Oさんは日替り定食のカレー丼とソーメンサラダ。見た目はあれだが、それなりに美味しかったそうである。浜に戻る途中でおやつにサータアンダギーを2つほど購入。

再び泳ぐ。遊泳範囲は広いのだが、どこも代わり映えが無かったので飽きるのも早く、食後の休憩などと理由を付けながら寝っ転がっていた。5時間程は浜に居たものの、海には4回しか潜らなかった。

迎えに来たマイクロバスで港に戻り、高速船で那覇港へ。
一度ホテルに戻って荷物を置く。今夜の夕食なのだが、毎回ガイドブックに載っている店ばかりというのも何なので、ホテルのフロントで美味しい沖縄料理屋を聞いてみる。すると国際通りへ行く途中にある店を紹介してもらえたので、ここへ行く事にする。



左:表の様子、右:店内の様子


「綾門」。読みは「あやじょう」らしい。店の雰囲気からして高級そうだったのだが、メニューを見ると平均で1000円、三枚肉の煮込みや豚足煮込み等の高価なものは1500円もして、3人してびびってしまう。東京でこの値段なら納得できるが、物価の安い現地沖縄でこれはちょっと納得できない。そのまま何も注文せずに出るのも失礼なので、一通り簡単に食べてから別の店で再度食べ直す事にする。



ゴーヤと葱の白和え、不明(もやしと何かの炒め物)、豆腐よう


ゴーヤチャンプル、豚バラの黒胡麻焼き


チラガーイリチ(豚顔皮の炒め物)、モズクジューシー(モズクの雑炊)


サーターアンダーギーとお茶

高いだけあって、突き出しから凝っていて、しかも美味しい。モズクジューシーは具にモズクに椎茸、豚肉、昆布等が入っており、去年食べたジューシーとは別物のような深い味がした。最後に出てきた口直しのサーターアンダギーすらも生地を丁寧に練って揚げてあるので、口当たりも上品な別の菓子になっていた。これだけ良ければ本来は喜ぶべき事なのだろうが、値段を考えるとどうも釈然としない。根っからの貧乏人である。
結局、酒も入れて3人で8500円。


店を出て国際通りに行き、琉球珈琲館でブクブクコーヒーと古酒カレーを食う。
他にもブクブク茶、トロコーヒーといった(ゲテモノ)名物があるので、手分けして注文。


左:ブクブクコーヒー、右:ブクブク茶

ブクブクシリーズは泡が載っているものの、ウィンナコーヒーのようにホイップクリームが載せてあるわけではなくて、コーヒーを強引に泡立てた泡で、あっさりとしていた。自分の注文したトロコーヒー(500円)は、脂分が多くて苦味が少ない以外はただのコーヒーで、ブクブクコーヒーに比べてインパクトに欠けていた。


古酒カレー

古酒カレー(880円)は古酒でスパイス煮込んだカレー。Oさんは古酒の味がきついと言っていたが、蓄膿で鼻がやられている所為に酒の味はわからなかった。
他にもシナモンスティックがそのまま入っていたり、ライスがサフランライスだったりと凝っていて良いのだが、いかんせんルーが少し水っぽいのと、平皿に盛られていたのが気になった。平皿は見栄えが良いのでよく使われているが、表面積が増えるので冷めるのも早くなる。普通に底の深いカレー皿に入れて欲しいものだ。
食後に、Oさんが頼んだフルーツケーキを分けてもらって食べたが、こちらも焼き立てで美味しかった。喫茶店としては店内のセンスもある良い店であった。
土産にコーヒー豆を売っていたが、値段が高かったのと、自分ではコーヒーは淹れないので止めて置く。

食後、近くの土産物屋で物色。泡盛とチョコちんすこうを購入する。

歩いてホテルへ帰ると、ホテルの周りでやたらとポン引きに声をかけられて閉口する。当然のことながら其々が相当にしつこい。Tシャツに短パンと、どうみても金を持っていなさそうな格好をしているのに、どうして無駄と分かりつつも声をかけてくるのだろうか。



夜食、ブルーシールアイスクリームと宮平牛乳

3人で2部屋なので、交代で寝ようと言う事になり、今晩は自分がOさんの部屋に移動して寝る事に。 2300過ぎに就寝。



・4月28日
本日はレンタカーで島内観光。 0900過ぎに迎えの車が来てレンタカー屋に移動。配車はGMのクルーズ(恐らく1300cc)。何が悲しくて旅先で実家と同じ車に乗らないとならないのだろうかと思うが、曲がりなりにも新車。古いボロボロのカローラが回って来るよりも増しだし、運転しやすい車なので良しとする。
本日の第1目標は、石川市にある植物園、ビオスの丘。そこへ向かうついでにガイドブックに載っていた「まるみつ食堂」で朝食を食べる事に。
Mさんがハンドルを握り、那覇ICから沖縄自動車道を北上、沖縄北ICで下車し、国道329号線に入る。そのまま石川市内に突っ込んで「まるみつ食堂」を探すのだが、あるべき場所に見つからなかった。どうも潰れてしまったようで、仕方が無いのでそのままビオスの丘に向かう。

蘭をメインにした植物園で、川を堰き止めて造った人造の池を回る遊覧船によるクルーズなどがある。

駐車場へ向かう途中、直前に糞な運転をするレンタカーが走っていて苛付いていたのだが、この車から降りてきた家族連れが、実は那覇空港の荷物受け取り所で自分の前に割り込んできた糞家族だと言う事が分かり、驚くと共に呆れる。矢張り糞は糞なのである。

ともかく入場。
まずは食い損ねた朝食を摂るべく、園内の軽食処で沖縄ソバを注文。ところが、最後に自分が金を払っている最中に、パートのおばちゃんがレジ打ちに失敗して戸惑っていた所へ、更に横から客のおばはんが蘭の植え方をそのレジ打ちのおばさんに聞き始め、あーだこーだで2、3分が過ぎてしまう。折角出来上がった沖縄ソバがすっかり冷め、麺も伸びてしまった。朝っぱらから全くついていない。

一応腹ごしらえも済み、1100から予約していた遊覧船までの時間を待つ。待ちながら、ソフトクリームにオリオンビールと、普段なら考えられないような高カロリー食を摂取する。こんなハイペースで飛ばしていると、連休が終わった後にダイエットしなければならなくなる。
広場の端に竹馬が置かれており、MさんとOさんがチャレンジしていた。


竹馬に興じる御二人



1100から遊覧船クルーズ。池の周りに植えられた色々な種類の蘭や水生植物等を、職員の兄ちゃんがユーモアたっぷりに説明してくれて面白かった。



遊覧船クルーズの様子

クルーズ後、根の無い植物を購入したり、スタンプラリーで判子を稼いで商品を貰ったりして、1230頃にビオスの丘を後にする。道に間違いながら、歴史の道へと向かう。


国道58号線を南下し、山田の集落に入る。ここには400年前の琉球王朝時代の街道が走っており、そこに残っている街道そのものや石橋、墓、山田城跡等をまとめて「歴史の道」と称して保存している。


石橋と道

気温も上がり20度後半と蒸し暑くなっていたが、全長500mほどの道を端から端まで歩き通す。ただ、自分がひそかに期待していた山田城跡は、碑に記述はあっても看板がなく、石垣を拝む事すら出来なかった。

それから渋るMさんOさんを説得して、座喜味城へと向かう。



座喜味城


左:二の郭南側の門、右:一の郭の門




山田城の護佐丸が15世紀初頭、ここに新しく座喜味城を築き、読谷山按司を称したと謂われている。しかし城が完成するかしないかの1440年頃に護佐丸は更に中城へと移封され、また16世紀頃には廃城になってしまったようである。
戦争中には陸軍の対空砲陣地に、戦後も米軍の施設に利用された為に遺構はかなり破壊されてしまったが、現在では綺麗に復元されている。独特のカーブを持つ石垣は美しく、また城からの眺めも良い。さすが国指定遺跡と感心するが、興味の無いMさんOさんには余り受けが良くなかった。

1400前になったので、昼飯を食いに行く。


チーズバーガー、タコス、インチラーダ

米軍トリイステーションの門の前にある、ローヤルレストランという店で、すでに昼食には遅い時間ではあったが米兵も食べに来ていた。ここでハンバーガーを各自1つづつに、タコスとインチラーダ(餡掛けタコスとでも言うか)を1皿づつ注文する。
ハンバーガーは350円という値段にも関わらず、肉もバンズもかなり大きく、しかもフライドポテトまでが付いている。アメリカンなだけあって大味な所もあるが、「肉を食った」という満足感に浸れるものだった。
タコスは硬い揚げ皮のもので、食べている端から割れて中身がこぼれてしまう。アメリカ人は体が大きいから一口で食べてしまうのだろうか。ともかく柔らかい皮のタコスの方が断然食べやすい。
インチラーダはタコスにチリソースを掛け回した物で、硬皮タコスよりかは食べ易くて良かった。




左:海中道路から平安座島を望む、右:やられてるOさん

それから去年行きそびれた海中道路を走りに行く。
浅瀬とは言え、道路が海中を5kmにも渡って走っており、景色は壮観であった。
そして折角ここまで来たのだからと言う事で、その先の伊計島まで行く。浜まで出ようとしたのだが、行き止まりだったり、駐車場が有料だったり、閉園時間だったりで、結局浜には出られず。1700を回ったので那覇へと戻る。

下道を走ると渋滞が面倒なので高速で帰ろうとしたのだが、カーナビでルート計算時に高速優先への設定変更方法が分からず、全部下道の指示が出て変更が出来なかったので、指示された通りの下道を地味に走る。
その内に夕方の渋滞に引っかかりそうになり、これだったら地図を見ながら高速に入れば良かったかと後悔する。しかし、たまたま北中城ICの緑看板を発見し、ここから高速に上がり那覇ICまで一気に南下した。
それから急いでレンタカー屋に向かうが、1800には間に合わず、おかげでホテルまでの無料送迎サービスは受けられなかった。


ホテルに一度帰って再度国際通りまで出直すのも面倒なので、直接に国際通りへと向かう。

今夜の夕飯処は、自分が買ってきた「沖縄・離島情報2003」という情報雑誌に大きく紹介されていた「あかさたな」という郷土料理屋に行く事にする。




耳皮刺身、突き出し(苦瓜の和え物)、アーサー天


ラッキョウイリチ―、ヒラヤチー


田芋俵、ヒラヤチー(沖縄風お好み)


ドゥール天(田芋天)、ナーベーラーチャンプル(ヘチマ炒め)、ゴーヤ天

他、焼酎(残波、久米島)

小さ目の落ち着いた店で、値段も味もほどほどに良かった。ただ、来る客来る客、皆同じパンフレットを手に持っていたのには笑えた。
3人で7000円ほど。


2100過ぎにはホテルに戻る。
今夜は部屋に自分一人だけだったので、早速に有線放送の番組欄をチェックするのだが、今晩に限って碌な番組が無い。試しに2、3見てみたが駄目であった。こんな事なら昨晩の内に一人になればよかったと後悔するも遅し。悔しいので明け方まで粘るが矢張り駄目。おかげで寝不足になる。




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