河内和泉 包囲脱出遠征 その2

令和2年11月22日〜23日



雨山城にて




〇11月23日

 朝食はホテルのバイキング。…バイキング?、HPではコロナ対策で個別に定食をご用意、とかあった筈なのだが、大阪府でコロナ患者が爆発的増加という状況下でバイキングだった。本当にバイキングは人件費が安くつくということなのだな。一応コロナ対策ということで、並べられた料理の上にビニールシートが被せられ、また使い捨てのビニール手袋が準備されていたが、手袋を使っている人は数えるほどしかいなかった。実際使ってみたが、食べにくくて仕方が無い。








雨山・土丸城


左:北端の堀切、右:雨山城の東側の郭


左:主郭の西側、右:東側


左:南の谷にある井戸、右:南西下の郭群の土塁


左:土丸城、右:主郭東下の郭


左:主郭北下の郭、右:北方向を望む


左:主郭東側、右:西側




 ハイキングコースになっている。比較的人気があるようで、登る際には我々だけだった車が、戻った時には10台以上停まっていた。車は斜めに停めるのがしきたりらしい。
 南西のピーク周辺を土丸城として分けているが、雨山城の一部のような感じである。南側斜面は険しく、高所恐怖症の自分にとってはヒヤッとする景色が拝める。高所にある為だろうか、防御施設はそれ程発達していない。





根福寺城


左:東端、右:登り口?




 城郭放浪記の記事に従って山の東麓へ。確かに登り口があり、手すりすら設置されている。これは楽勝か?と思った瞬間、その手すりが藪に埋もれつつあるのを見て嫌な予感がした。藪は進むにつれて酷くなり、数メートルの手すりが終わった辺りで、道がどこに繋がっているのかわからなくなった。真っすぐだと藪が酷いので、そこから斜面を登ってみるも道らしきものはなく、仕方なく真っすぐ進むと藪の向こうに蜂の大群が。往時の形をそのまま残した畝状縦堀に未練があるも、さすがにこれは無理と、撤退することに。





興蔵寺城


左:興蔵寺、右:罠が発動した辺り




 ここは登り口の情報が無く、最初から不安な場所だったが、車道から山に入る道があっさりと見つかり、これは行けるかもと期待を抱いた。ところが、これまた進むとすぐに藪に。そして道端に幾つかの罠の標識が。山そのものは、直登すれば登れないこともない樹木の薄さであり、道が藪に飲まれて消えた辺りから、尾根へと直登しようと斜面を登ったところ、「バチ」という音と足に軽い衝撃が。罠が発動したのである。幸い、ウサギなどの小動物向けだったようで、怪我も何も無かったが、これ以上は危険かつ仕掛けた方に迷惑になりかねないと、撤退することに。





千石堀城


左:東斜面の2段目の横堀、右:東斜面の1段目の横堀


左:手前が1段目、奥が2段目の横堀、右:主郭


左:主郭北東側を回り込む1段目の横堀、右:主郭北下の土橋




 駐車スペースが無い。仕方ないので北東のロータリーの隅に停めさせてもらった。
 縄張図を見ると、二重の横堀に囲まれているが、西側は藪になっており、確認できたのは北から東にかけての横堀だけである。またこの参照した縄張図は測地ミスがあり、最近(50年くらい前?)に作られた一番東麓の堀というか溝と、2段目の横堀とを混同してしまっている。おかげで狭い城域にも関わらず迷ってしまった。城というよりも陣城という感じである。
 城の石碑と看板は、南東にある遊歩道を挟んだ逆側の丘に建てられている。





積善寺城


左:城域の中心部付近、右:看板は川を挟んで北にある




 南の池のほとりにある公民館に車が停められるかと思っていたのだが、ロープが張ってあり、その脇に路駐する羽目になった。
 城の痕跡らしいものは殆ど無い。歩いて地形を見る限り、北西を南北に走る道路が西の境、池から北東側の一段低い地域が東の境だったのだろう、というくらいか。城域だと狭くて看板も建てる場所が無かったのか、川を挟んで北側に建てられている。





稲葉城


左:神社境内の南側、堀跡?、右:菅原神社


左:主郭部を取り巻く土塁、右:土塁、奥が主郭部


左:主郭部周辺の堀、右:奥上が主郭部


左:北東端から主郭部を、右:北東端の堀




 菅原神社の南西奥に主郭部の丘があるが、藪が酷くて入れない。いや、無理すれば入れたのだろうが、一面藪で写真を撮っても何を写したか分からないのが明白だったので、気が萎えてしまい、主郭部に入らずに撤収した。
 城域の南側がなだらかな登り斜面になっており、南側からの防御をどうしていたのか、疑問が残る縄張だった。





曽根城


左:東から、右:南東面の堀跡と土塁


左:土塁を内側から、右:南西面の堀跡と土塁




 池上曽根史跡公園の北西隣にある曽根神社が城跡である。駐車場は公園のものを使うと良い。
 南西と南東面にかすかに堀跡らしい凹みと、その内側に土塁が残っているのみである。





陶器城


左:遺構らしいものはフェンスの向こう、右:土塁?


左:堀と主郭部?、右:たぶん主郭部




 東陶器幼稚園の西隣が陶器城である。駐車スペースは無い。北にあった東陶器小学校が移転したので、その門脇にでも停めるしかないのだろうが、狭い。北西に駐車場っぽいものがあるが、この公園用の物かどうかわからない。
 公園までは入れるのだが、主郭等のある部分はフェンスに囲まれて入れない。隙間から写真を撮っては見たものの、何が何だかあまりよくわからない。




田園城


左:堀跡?、右:堀跡?を逆側から


左:ここも堀跡っぽい?、右:西端の堀切?




 この辺にあった、ことくらいしかわからない。城域も不明確である。西側に堀跡っぽい長細い窪地がある。ここも駐車スペースが無い。東側の団地内の比較的広めの道路脇に駐車して徘徊した。




 以上で全予定が終了。雨山・土丸城の後で2回続けて失敗したり、その後も段々と内容がしょぼくなり、最後の最後が城なのかどうか良くわからない所だったこともあったが仕方ない。

 ともかくレンタカーを返すべく、新大阪駅へと北上する。都市高速には無事乗れ、あの複雑なルートを迷うことも無く、出入橋ICで高速を降り、梅田を回り込んで新御堂筋を北に向かう。20年前に良く遊びに来ていた梅田界隈を車で走ることになるとは思わなかった。無事に淀川を渡り、一度新御堂筋を逸れてガソリンスタンドで給油をする。後はすぐ北東にある新大阪駅前まで行けばゴールという段階で、ついに大阪が牙を剥いた。



 新大阪駅の南側のロータリーに行くには、南からと北からと2つの入り口がある。しかしレンタカー屋がある部分に行くためには、北からの入り口から入らなければたどり着けない(と思っていた)。そこで一度北に抜けて南へと折り返さなければならないのだが、新御堂筋の新大阪駅付近は高架になっている。東海道線を越えたら直ぐに側道に降り、Uターンしなければならない。そういう事を考えながら新御堂筋に突き当たったのだが、新御堂筋の道が手前と奥とで2本に分かれている。どっちだ?となったが、とっさには分からず手前の道に入る。その瞬間、こちらは東海道線を越えない側道だと気づく。しかし幸いなことに、右に奥の道との合流部があり、直ぐにそちらに車を寄せるが、交通量が多くてなかなか合流できず、少しパニックになる。どうにか合流し、東海道線を越えて直ぐに側道に降り、信号でUターンし、再び新大阪駅の南側へと向かう。一番左の車線を走り、新幹線を潜り、駅前ロータリーへと出た。
 そう、確かに新大阪駅南口のロータリーへと出た。ところが、そこは2階だったのである。駅レンタカーのあるのは1階。え?、1階に降りる場所、どこかにあった??、と、パニックになっている内に、道は東から南へと回りながら下へと降り、ロータリーの出口へと向かっている。このまま外に押し出されると、もう一度新御堂筋に出て北上して高架を越えて側道に出て信号でUターンして新大阪駅の南口のロータリーに出て…でもまた2階に出るから、そのままロータリーを出て新御堂筋を北上して……ここで精神が崩壊した。
 ここまで喚き散らしたのは生れて初めてかもしれない。ただ幸いなことに、下に降りたところで右に行く道があった。その先がロータリーの1階になっており、突き当たりに目的のレンタカー屋があった。ここまでの精神ジェットコースターは他に無かっただろう。ものの1分で、どん底から回復した。

 レンタカー屋に車を着けると、直ぐに返却の手続きをした。予定よりも1時間弱早く到着していた。切符通りに帰るKさんと別れ、直ぐに早い出発の切符に取り換え、広島へと向かった。帰りは三連休最終日ということで乗客も多く、丁度EXのグリーンポイントが貯まっていたので、グリーン車に乗る。精神共にくたくたで、楽が出来て良かった。




総括:

 とにかく、新大阪駅での一件に尽きる。もう二度と新大阪駅でレンタカーの手配をしない、させない。更に、大阪の市街地を通るようなルートも金輪際御免だ。とにかく道が酷い。運転が酷い。

 城についても、根福寺城を攻略できなかった為、まともなものが飯森山城と雨山・土丸城くらいしかなかった。無理に河内和泉遠征を強行せずに、素直に延期で良かったかもしれない。

 とにかく、精神的疲労の濃い遠征だった。





戦果
	攻撃対象	14城

	うち 棄権	2城

			12城	攻略



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