加賀能登遠征

平成21年 9月19日〜22日


柚木城の麓から北方城を望む。刈入直前の稲




九月連休での遠征は実に4年ぶりである。
今回の遠征先は加賀北部と能登。参加者は窪谷さんに保科さん、薬田(仮名)さん、それに泊り込みの遠征では初めてご一緒する古川(仮名)さんの計5人である。日程は五連休の混雑を避ける為に連休なか日の二泊三日。まだ新婚の保科さんは初日と2日目のみ日帰りで参加ということになった。


※本筋とは全く関係ないが、能登麻美子は苗字が能登であるにも関わらず、出身地は加賀(金沢市)である。






・9月19日(0日目)

丸亀から金沢まででレールアンドレンタカーの割引を使うと、使わないのとそれ程変わらない事が判ったので、途中下車して越前岬まで行くことにした。
本当は全部車で行って、行きと帰りに舞鶴に寄ろうかとも考えたが、肉体的に辛そうだったので諦めて越前岬に絞ることに。


武生駅でレンタカーを借りる。SSで借りていたのだが、連休で車両が手配できなかったために1ランク上のプリウス(2代目)を貸してもらえることになった。やったーということで意気揚々と越前岬へ。
しかし福井県はマナーが悪いというか何と言うか、都市部の様子は知らないが、四国よりもひどい。おかげでプリウスの加速の良さをあまり体感することが出来なかったが、サスペンションがもう少し硬ければ運転しやすくてよいのではないだろうか。




越前岬 特設見張所


左:越前町自然文学資料館、右:同左、駐車場の辺りにあったらしい



左:駐車場を資料館側から、右:越前岬灯台




越前岬灯台周辺は現在は水仙ランドとして整備されている。オフシーズンには無料で開放されており、展望台や各種施設を利用可能だ。
結果からいうと惨敗。近くで農作業をしているおばあさんに話を伺ったところ、越前町自然文学資料館のある辺りに海軍が居たらしい。一応周辺を探索してみたが遺構の破片すら無かった。どうも2回に渡って観光地として整備されたようで、現在は閉鎖されている遊歩道沿いにある廃屋周辺の遺構も軍事施設とは言えないものだった。一段上にある水仙の館に展示してあった古い灯台の写真にもそれらしきものは写っておらず、手がかりが一切無い。

越前岬のこの場所には、日露戦争時には海上見張の望楼が、太平洋戦争時には舞鶴鎮守府管下の対空見張の特設見張所が置かれていた。特設見張所の装備は資料が無く不明。町史によると昭和20年7月には電探が装備されたらしい。



結局丸1日を潰して得られたものは、近くの畑を耕していたおばあさんの証言と、越前市の図書館で見つけた越前町町史の記事くらいで、泣きながら武生駅でレンタカーを返して福井名物の羽二重餅を購入し、金沢へと向かう。


駅前のホテルにチェックインした後、同じく前泊される薬田さんと飲みに行くことに。時間つぶしに金沢駅周辺をうろついていたが、地方都市とは思えないおしゃれさに驚かされる。そして駅ビル内の土産物売り場のすごさ。金沢はやる気だ。

薬田さんとホテル近くの飲み屋で2時間ほど飲む。色々と愚痴やらを聞いてもらった。




・9月20日(1日目)

金沢駅に午前8時集合。夜行急行能登で早朝に到着の東京組の窪谷さんと古川さんは一足先に松任城を攻略し、レンタカー屋で待機。そこへ前泊の薬田さんと自分、そして金沢市在住の保科さんとが合流し、レンタカーに乗って出発。金沢市街を南西へ抜けて県道207号線を南西へ進み、北陸電力加賀変電所へと向かう。





鷹巣城


左:横郭(最も南東側の郭)の堀の北側、、右:同左の南側



左:南から二の丸の南東の土塁を望む、右:本丸



左:二の丸と三の丸の間の堀と段差、右:三の丸の堀




加賀変電所の南東にある標高245mの高地周辺に幾つかの郭が東向きに並んでいる。林道が直ぐ脇を通っており、また堀や土塁などが比較的良く残ってはいるが、それほど整備されていないので余り夏場に行くところではない。

天正(1572年〜)の初めの頃に築城されたのではないかといわれている。対越中の防衛拠点の一つで、佐久間盛政が尾山城(現金沢城付近)に入った際にはこの鷹巣城を修築して上杉に備え、また後の佐々と前田の攻防の際には前田側の防衛拠点であったこの鷹巣城を、佐々成政が攻めて火を放ったといわれている。



元来た道を戻って、山側環状道路(県道22号線)に入り、県道209号線が分岐する田上町交差点東の榊原神社へ。





田上館


左:神社南側を東から、右:東側を南東から



左:西側を南から、右:神社境内の西端



左:境内東側にある堀?、右:北東端にある堀跡?


左:戦後の米軍写真(昭和21年11月、M323-A-6-111)、右:昭和37年頃(MCB625-C10-20)、どちらも国土地理院




現在は榊原神社となっている。境内の東側に南北に堀らしき幅5mくらいの溝が走り、また北側の民家との間の道も堀跡っぽいが、実際にどうかは不明。

田上入道の居城といわれている。守護の富樫正親が一向一揆に敗れて自害した際に、これに殉じたといわれる。



県道27号線を東に、途中から県道211号線に入り北上、柚木町の集落に入り、柚木町の集会所に車を停めて歩く。





柚木城


左:本丸の東隅の櫓台、右:南東下の郭から本丸



左:本丸から南東下の郭、右:東へと下る郭と竪堀



左:土橋(手前)と堀切、右:北東隅の段差と堀切



左:東西に走る堀切(東から本丸方向を望む)、右:集落から柚木城を望む




右:本丸にあった案内板の縄張図(北を上に描き換え処理)

現在、直江谷健康の森の一部として整備されており、夏場でも行きやすい(ただし蚊は居るが)。健康の森の駐車場(地図の点線ルート)で行くのが正攻法だが、少しでも楽な道をということで集会所に車を停めて歩いてみた。ただこのルートで通る山道は夏場は猪が居るということで立ち入り禁止になっている。
郭は東に向かって配置されている。一向一揆の城といわれているが詳細不明である。





北方城


左:頂上付近、右:三角点の標柱



左:北西側の郭?、右:林道からの登り口




柚木城の北、約1.5kmの権殿山の山頂付近が北方城である。林道の脇から道らしきものが出て山頂から南東へ下る尾根沿いに登ることが出来るが、かなり藪に埋もれつつあるので鉈鎌は必要だ。頂上周辺にもはっきりとした平坦地もなく、また一面熊笹で堀切などの地形も確認できなかった。

小原越道の要所に築かれたらしいが、多少離れている感もないではない。
詳細不明。



県道211号を北上し、国道304号線に入り、国道359号への分岐の手前付近から林道に入る。





切山城


左:林道の終点、、右:同左の北上の尾根にある堀切



左:主郭の西下にある虎口、右:主郭の土塁



左:主郭、右:主郭から二の郭を望む




林道の実質の終点(切り返し可能な広さがあり、その先は藪に埋もれている)から北上にある尾根に直登すると、尾根上に郭と堀切とがあるので、その尾根を東に登ると主郭に至る。主郭の周辺には虎口や土塁、堀や土橋、二の郭とあるものの、藪に埋もれて地形がはっきりとしないところが多い。整備さえすれば良い遺構ではないかと思うが、何分場所が悪いので林道があるだけありがたいと思わなければならない。

小原越道の直ぐ脇に築かれた国境防備の城。佐々氏の松根城に対して前田氏が天正12年(1584年)に築き、不破彦三に守らせた。



そのまま国道304号線を西進し、金沢森本ICの北、国道159号線森本トンネル入り口のの西脇付近を目指す。
午後1時前だったので国道脇で飯屋を探していると、少し奥まった場所に趣味満開の料理屋を発見。ここで昼食。
飯は安くて美味しかったが出てくるのが遅く、昼食で1時間半も潰れてしまった。


鰆の西京漬、天ぷらは苦瓜の海老詰と茗荷に薩摩芋、千切り大根の和え物、サラダ、茗荷の味噌汁に茗荷の漬物、他。
食後にコーヒーも出て1000円しなかった。趣味の店とはいえ安かった。





堅田城


左:主郭西端の櫓台、右:主郭



左:主郭の東下の郭、右:同左の更に東下の堀切



左:主郭からの北西を望む、右:二の郭



左:北西下の畝状竪堀、右:南西端の竪堀




森本トンネル入り口の南西下に、墓地の駐車場があり、登り道の書かれた看板が建っている。ここから登山道が整備され、山頂まで10分ほど。
整備されているものの、夏で草が生い茂って遺構を回りにくかった。またやぶ蚊も多く、冬場に来た方がより楽しめるだろう。

詳細不明。一向衆が築いたものともいわれている。



県道213号線を東進する。





朝日山城


左:上が本丸、右:本丸東側の堀切



左:右側が二の丸、三の丸、右:北東端の堀切




県道213号線を進むと朝日町の集落に出るが、その北東にある三叉路から北に、そして直ぐに右の林道へと入り次の三叉路まで進むと、採土場の北に東西に長い丘があり、これが朝日山城である。私有地で立ち入り禁止の看板があり、また藪も酷いことから城域に立ち入ることなく撤退する。
採土で本丸周辺が大幅に削り取られているが、二の丸と三の丸はどうにか無事のようではある。また林道脇からは2ヵ所の堀切を確認することは出来る。

一向一揆によって築かれたといわれており、天正元年(1573年)に加賀に侵入した上杉軍によって攻撃されている。佐々・前田の戦いの際には佐々方だったものを、前田方の村井長頼が松根城と共に攻め落とし、その後の佐々方の攻撃を撃退している。



一度国道359号線に出た後、県道212号線で北上し、再び県道214号線を東進。富山県との県境から林道に入って枡山のすぐ西まで寄せる。





一乗寺城


左:二の郭(主郭西下)から主郭方向、右:主郭の平坦部



左:主郭から富山方向を望む、右:二の郭



左:三の郭の北側の凹部、右:三の郭



左:三の郭西端の土塁、右:同左から西下の堀切を見下ろす



左:三の郭の西下の斜面、右:林道脇の碑




午後5時近くなり日が大分傾いていたものの強襲。
主郭のある東側は藪に覆われており主郭以外は殆ど探索できなかったが、西側は整備作業中で程よく藪も切り払われて見やすくなっていた。特に三の郭の西側の落差は素晴らしい。南側を東西に通る林道は、田近道といわれる北国街道の脇道である。

南北朝時代には築かれていたといわれている。佐々・前田の戦いの際には佐々側の城だったが、後に朝日山城の村井長頼に攻め落とされている。



来た道を国道359号線まで戻り、金沢国際ゴルフクラブを目指す。





松根城(2回目)


左:南東端の虎口、右:本丸の南側の郭



左:本丸、右:本丸から富山方向を望む



左:本丸北下の堀切付近、右:西下にを南北に走る堀



左:二重馬出の南下の平坦地、右:南を望む




言わずと知れた松根城。加賀越中の国境付近の城郭の中では、最もアクセスしやすく見がいもある城である。整備されているので本日最後の城として立ち寄る。城内を小原越道が通っている。

一向一揆の城といわれている。佐々・前田の戦いの際には佐々方の城だったが、後に前田方の村井長頼に攻め落とされている。



本日の予定も無事に終了し、戦闘後前進で羽咋へ。途中の駅で金沢の自宅に帰る保科さんと別れる。
駅前のホテルに投宿して夕食を摂れる場所を探すが、丁度祭りの最中で近所の店がことごとく閉まっており、仕方なく近くにあった大型スーパーまで行き惣菜を買って帰り、部屋で関ヶ原の戦いを見つつ酒盛り。祭りの為とは言え、在りし日の城郭班の夕食風景となってしまった。
スーパーは刺身が安く、半額シールがついていなくても十分な程だった。


東京組は夜行列車(しかも座席)での移動による疲労もあったので早々にお開きとなり、10時過ぎには就寝。ところが駅前の広場に神輿が出て太鼓や鐘を打ち鳴らし始め、とても寝るどころではなくなる。北陸の祭りはこんなものなのだろうか?
それでも11時過ぎには寝付く。



夜中の神輿。UFO教の祭りではない




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