伊予讃岐遠征 リターンズ

平成22年1月9日〜11日


九十九山城から有明浜を望む



また、伊予讃岐である。

いい加減に四国は飽きたとはこぼされたものの、今年も四国を脱出できなかったのだから仕方ない。また逆に、こちらが四国に居る内に四国を終わらせてしまうというのも一つの方策ではないだろうか。

そこで遠征の主催者である窪谷さんに四国で残っている場所を見繕ったいただいたところ、未攻略の城が比較的多く残る西土佐の他に、昨年の遠征の際に時間の都合で諦めた西長尾城、天守閣が再建されて以降まだ行った事の無い大洲城、そして発掘後大々的に整備された河後森城といった候補が挙がった。そこで移動限界を考慮して西土佐を諦め、初日に坂出集合で西讃岐、2日目に宇和島から河後森城周辺、3日目に大洲城とその周辺を落として坂出解散という、1年前の遠征とあまり変わらない形に落ち着いてしまったのである。

それはともかく、今年こそ四国を脱出できたらいいなぁ…。





○1月9日

1010に坂出駅集合。
今回の遠征参加者は東京からの窪谷さんと楽田さん、それに自分の3人である。
またいつものレガシィが故障で廃車となってしまった為に、今回から車がアテンザに替わった。車体寸法が大きくなって室内が広くなって居住性は良くなったものの、反面狭い道が苦手になった。城屋としては車のサイズを極限まで小さくすべきなのだろうが。

ともかく国道438号線を南下し、レオマワールドの南西に位置する西長尾城を目指す。




西長尾城


左:主郭、北西方向を望む、右:主郭、南東方向を望む



左:主郭から北東方向を望む、右:主郭の東下の郭



左:北東へ伸びる郭群、右:同左の北東端の堀切



左:北へ伸びる郭群を南東から、右:北へ伸びる郭群を北下から



左:北東へ伸びる郭群を北西から、右:2つの郭群の間の竪堀



左:南東のピークにある郭、右:同左の東の堀切



左:南東のピークから東へ延びる郭、右:同左を東下から




レオマワールドへ続く道の南側に林道の登り口がある。一応山の上まで狭いながらも車道が通じているが、一般の車が入れないように鎖がかけられており、歩いて登るしかない。登り口から道路を挟んで北にある貯水タンクの西側が少し広くなっており、車が2台くらい停められるようになっている。麓から20分程。全体的に良く整備されている。
頂上の主郭はかなり見晴らしが良い。主郭から北東と北とに郭群が伸び、その間には大きな竪堀が走り、幾つかの水場がある。また主郭のあるピークの南東にあるピークと、そこから東に続く尾根上にも幾つかの平坦地がある。ピーク平坦地の東側の掘切は良く残っているが、尾根の東端にあった筈の堀切と虎口は林道によって削られ何も残っていない。ただ全体的に良く残っているものの、凝った造りでは無い。
それから中世城郭辞典の西長尾城の図面は北の方角が間違っており、図の右が北になる。(本文も方角が間違った方で書かれているので注意)

応安元年(1368年)に、白峰合戦で手柄を立てて栗熊、岡田、長尾、炭所の4村を新しく領した長尾元高が築いたといわれている。天正7年(1579年)に長宗我部氏が中讃に進入した際には、長尾氏は羽床氏と共に抵抗し篭城するものの後に降伏する。讃岐攻略後は西讃の固めとしての役割を担った。



国道32号線を西進し、そのまま32号線を南へ折れる。十郷交差点のすぐ西にある小山が丸山城である。




丸山城


左:南東端の堀切を上から、右:同左の堀切の南側



左:主郭、右:同左、綺麗な平坦面ではない



左:主郭の北西下の平坦地、右:同左から更に北西下の大堀切



左:大堀切の南西側、右:大堀切の北東側



左:コインランドリーの駐車場から丸山城を望む。電柱脇の看板らしきものが登り口


この周辺は駐車スペースが殆ど無い狭い場所だが、奇跡的にもJAの西にコインランドリーがあるのでここに停めさせて貰った。山の南の電柱付近に登り口の看板があり、そこから消えかかった山道を尾根沿いに登ると直ぐに堀切に出る。主郭まで5分ほど。
小さな城で主郭はハッキリとした平坦地ではないが、西に伸びる尾根を切った大堀切はこの規模の城にしては見事である。

阿波国飯尾村の飯尾国盛が天正年間に長宗我部氏に追われて讃岐に逃げ、丸山に城を築いたといわれている。飯尾氏は後に庄屋となり、姓を永原と改めて現在に至っている。



丸山の南から国道32号線を外れて西に進み、国道377号線を跨いで県道23号線に入り更に西進する。




麻城


左:主郭から北の大麻山を望む、右:主郭東側



左:主郭から西方向を望む、右:主郭の東下の郭から主郭方向を



左:更に東へ伸びる郭を東から、右:同左を東下から



左:東に独立した郭の西側、右:同左の東にある堀切



左:東に独立した郭の東側、右:独立した郭を北東下から




県道23号線を西に進み、樫谷にある産地直売所付近で北に入る。直売所付近から城のすぐ北東にある駐車場らしき場所(左側の青四角)まで麻城の看板が続いているものの、途中から道がかなり狭くなるので、運転に自信が無ければ広い場所(右側の青四角)に車を停めて歩いた方が確実である(下見の際に誤って最奥部まで進んでしまい、泣きそうになった。一応アテンザでもたどり着くことは出来たのだが、二度と行きたくない)
ここも規模が小さいながら良く整備されている。丸山城と同様に構造は簡単で凝った造りは見当たらない。

天霧城の香川氏に属していた近藤国久の居城といわれている。天正年間に長宗我部氏に攻められて落城した。



国道377号線に戻り南西に進む。




神田城


左:西端の登り口、右:主郭、余り明瞭ではない



左:主郭の西の堀切を西から、右:主郭の西の郭の西の堀切



左:主郭の西の西の郭、右:主郭の西の郭から主郭を




国道377号線の砂川交差点の西にある尾根上に神田城がある。規模は小さいものの良く整備され、ハッキリとした2本の堀切が残り、美しい。
ただ竹の子山なので、竹の子の時期には遠慮しておいた方が良い。

財田本篠城の支城といわれている。



国道377号線を更に南西に進み、南東に折れて財田町総合運動公園を目指す。




橘城(天王城)


左:財田町総合運動公園の駐車場から城を望む、右:本来の大手の虎口



左:主郭、右:主郭南西端の櫓台っぽい場所



左:櫓台っぽい場所の南にある堀切、右:主郭西側



左:主郭北西の堀?、右:同左の北西の郭



左:主郭の北東下の郭、蜜柑畑、右:主郭から西を望む




財田町総合運動公園の北側の小山が橘城である。別名天王城。
南側が削られているものの、全体としては良く残っている。現在は神社の建っている主郭の周囲には土塁が残り美しい。また主郭の北西には池のような堀がある。

大平氏の居城。後に矢野氏のものとなる。



国道377号線に戻って、再度南西へ。
粟井町で東に折れて粟井神社を目指す。岩鍋池の土手を渡って藤目不動院を目指す。




藤目城


左:北東端の不動院、右:同左の南西上の郭と社



左:主郭、右:主郭



左:主郭の南西下の堀切、右:主郭の南東下の郭



左:寺のある郭から北を望む


神社跡らしき場所までは舗装されている。その先は未舗装の部分があるものの不動院の南西下までは車で行く事ができる。頂上は八十八箇所のミニ遍路になっている。

斉藤氏の居城。斉藤氏はいち早く長宗我部氏に従うが、天正6年(1578年)奈良勝政率いる羽床氏、長尾氏、香川氏らの讃岐勢に攻められ、斉藤師郷は阿波大西へと逃れる。しかし同じ年に長宗我部元親は藤目城を攻め落とし、再び斉藤師郷を藤目城へと入れたとある。



観音寺市市街地を迂回しつつ室本へ。




九十九山城


左:主郭、右:主郭にある空井戸



左:主郭を南西側から、右:主郭の南西下の郭



左:南西下の郭の土塁、右:最西端の郭、展望台になっている



左:展望台から有明浜を望む、右:紫雲出山を望む



左:主郭の北東下の郭、右:同左の北西下にかけての石垣?



左:北西斜面の郭群を下から、右:北東端付近の郭



左:登山道分岐付近の旧軍施設の基礎跡、右:同左南の石垣



左:地下壕、奥はあまり深く無い、右:北東麓の羅漢寺連光院の駐車場から城山を望む



室本の集落にある羅漢寺連光院の裏手にミニ遍路が作られており、この遍路の最奥部から九十九山への登山道が出ている。かなり北側に回されるが、再び東側の尾根筋に戻る。有明浜方面への分岐付近には、戦争中の陸軍の施設跡がある。ただの通信施設なのか警戒機甲の受信施設なのかは不明。
旧軍施設からは尾根道になる。幾つかの郭があり、ところどころに石垣らしい物が伺える。山頂は比較的良く整備されており、南西端には展望台が作られている。展望台からの眺めはかなり良い。

細川氏の居城。長宗我部氏が藤目城と本篠城を攻め落とした天正6年(1578年)末から7年頭にかけて落城したと考えられている。



時間が余ったので、すぐ南にある興昌寺の裏山に登る。




興昌寺山城?


左:南端の平坦地、右:山頂付近、右奥は古墳の石室



左:古墳の北側の土塁?、右:古墳南東の平坦地




興昌寺の裏山が興昌寺山城の参考地である。寺の駐車場に車を置くことができ、寺の北西側にある墓地の奥にミニ遍路の遊歩道がある。
山頂付近に幾つかの平坦地は見られるものの、全般的に掘削して平坦地にした部分が少なく、これを城というのは難しいのではないだろうか。




以上で第1日目の日程を終了。
寺の近くにあるスーパーマルナカで翌日の朝飯を購入し、大野原ICから高速道路に上がり、一気に宇和島を目指す。2時間ちょっとで宇和島のホテルに到着。

チェックインを済ませて土産物を駅前で購入した後に、ほづみ亭で夕食。ここは値段が多少高いものの、それだけの価値がある。マナガツオの唐揚げが美味しかった。


午後11時前には就寝。



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