琉球グスク遠征 その1

平成15年12月26日〜28日


玉城城の門跡から麓のゴルフ場を望む



●遠征まで

自分を城マニアに染めた張本人、もとい、自分に城巡りの素晴らしさを紹介してくださった窪谷さん(仮名)は、これまでに多くの城々を攻略しており、海外も含めてその総数は1000以上にもなる。しかし、ここまで多くの城を回っているにも関わらず、沖縄県にだけは仕事ですら行った事が無い。つまり沖縄独特の城である「グスク(グシク)」を攻める事こそが、最近の大きな目標の一つであった。
しかし、琉球の地は鹿児島の遥か南方。往復飛行機でなければとても行けないという金銭的制限と、熱帯気候の為に冬以外には気温が高すぎてグスクなど回れないという季節的制限とによって、なかなか遠征を企画する事が出来なかった。諏訪・伊那遠征を行った昨年年末も、本来なら琉球攻めを行う予定だったのだが参加人数が集まらずに断念。急遽東京から便の良い諏訪・伊那へと目標変更となったのであった。
にもかかわらず、琉球攻めを断った張本人である自分がGW毎に沖縄へと赴き、首里や座喜味、糸数といった世界遺産クラスのグスクの写真をWebに上げ、城攻めで顔を合わせる度に「沖縄のグスクは良いですよ。飯も美味いし、もう最高ですよ。」と自慢していたものだから、終いには「ええい、忌々しい奴だ。だったら今年の年末こそは参加しろ。お前が露払いだ。」と指名されてしまう。運良く年末に他の企画も立たず、それに薬田さん(仮名)も参加可能になり、3人して冬の沖縄へと旅立つことになったのであった。



●年末の沖縄事情

冬の沖縄は海で泳げない微妙な時期なので(ダイビングは別?)、観光客の数はぐっと少なくなるが、年始年末は沖縄への帰省客が集まるから、思った程に飛行機が空いていない。今回の遠征期間である12月26日から28日の間は、航空会社の安売りチケットも期間外であり、ツアーもシーズン並の値段に跳ね上がっている。といって他の時期には休みも取れないので仕方ない。しかも3日間しか時間を取れないので、値段が張っても羽田を往路早朝発・帰路深夜着にして沖縄に居る時間を少しでも長く取り、時間を有効利用しなければならない。薬田さんにツアーを探していただいた結果、5万7千円で初日8時に羽田出発、最終日20時に那覇出発、ホテル2泊にレンタカー付きというものを取っていただいた。

自分は神戸なので東京までの往復という余分な出費も増えるが、同じ空港発着でなければツアーとして予約できなかったので仕方が無い。ムーンライト長良を使って交通費を抑えると共に、ついでに東京で遊んで元だけは取る事にした。(別サークルの先輩であるSさん宅に押しかけて一泊させていただく事にして、宿泊費すら浮かすというアコギさ。申し訳ありませんでした>>Sさん)



●ハブ
それから、沖縄独特のものにハブがある。日本でも毒蛇としてマムシが居るのだが、その被害者の数は比べ物にならない。その為に今回の琉球遠征では以下に注意する事にした。
(1)草むらには入らない
(2)どうしても、というときには杖で草を叩きながら歩く
(3)誰かが噛まれたら、被害を最小限に抑える為に置いて逃げる
3番は冗談にしても、草むらに埋もれたグスクは選択から外し、また折畳式のステッキを購入して持って行くことにした。



○12月25日 羽田まで
会社が終わったその足で大垣まで行こうと考えていたのだが、当日になっても、肝心の青春18切符を購入できてなかった。これまでにも何度か街へ出る度に探していたのだが、発売されてから時間が余り経っていない為に、上京に必要な残2回物の切符は売られておらず、有るのは残3回物や4回物だけ。使い残った券を再び売りに行くのも面倒だったので残2回物に拘りつづけ、遂に当日まで買いそびれていたのだった。
出発2時間前になって神戸・三宮間のチケット屋を梯子して回ったのだが、残4回物と未使用の切符しか売られていない。午後7時の閉店時間も迫ってきたので、諦めて三宮駅前の甲南チケットで残4回物を9300円で購入する。ところが、よく見ると使われた一回分の日付が今日だったので、結果一回分得した事になった。

往きの切符も手に入ったので一安心と、地下街の焼き鳥屋で鶏の味噌焼きと鶏雑炊とで遅い夕食を摂り、20時過ぎの快速で東へと向かう。


大垣でムーンライト長良に乗り換え。切符を取ったのが遅かったので座席は通路側だった。窓側に座っていた若い兄ちゃんは一見まともそうだったのだが、おもむろにカバンから「しいなへきる」の写真集を取り出して読んでいたのでオタクに違いないし、左前の座席に居た太男は、スキャンしたエロ漫画をノートパソコンで読んでいたので言うまでも無くオタクだし、どうも自分も含めて年末の大垣夜行のオタク率は、かなり高いようである。



○12月26日


早朝のJR-京急の乗換え口

午前4時半頃に品川駅で下車。京急に乗り換えようとしたら、乗り換え口が閉まっていた。この時間だと、まだ走っていないのかと思いながら、念の為に正面の入り口に回ってみるとこちらは開いており、始発電車がホームに止まっていた。危うく乗り換え口で待ちぼうけを喰らわされる所であった。
この始発に乗って蒲田まで行き、蒲田で支線に乗り換えて羽田へと向かう。そして午前5時半過ぎには集合場所であるANAのロビーに到着する。
集合時間まで1時間半以上もあるが、これと言って何もする事が無い。取敢えず朝飯を食う事にして、レストランが開くまでの1時間ほどボォーっとしたり本を読んだりして時間を潰す。
6時半にレストランで朝食。胃が悪いので中華粥にでもしようとしたが、中華料理屋は開いていない。イギリス風なレストランに入ったが、パンごときに1000円以上の金を払うのも嫌だったので、1200円のチキンカレーセットを注文する。「ひよこ豆入り」という謳い文句に惹かれて選んだのだが、ぼやけた味で満足感は余り無かった。


午前7時過ぎに薬田さん、窪谷さんと合流。チェックインを済ませてB747に搭乗するものの、年末の混雑で25分遅れての離陸。ただでさえ時間が無いというのに、城1つ見て回れる時間が潰れてしまう。
午前11時過ぎに那覇へ到着。レンタカー屋に移動して配車してもらい、12時前には出発。車は昨年年末と同様にヴィッツ。


空港から国道331号線を南下。気温は20度程と本土では秋の気候で、大変にすごし易い。ただ天気は曇りで、途中で雨がパラついていた。街中では車の数も多くなるが、渋滞する程ではなかった。
糸満市街手前まで南下して県道82号線から7号線へと回りこみ、南山城を目指す。



南山城


南東部の石積、南部中央の石段、北東部の石積




現在は高嶺小学校になっている。南部から東部にかけてに石積が残り、他に拝所がある。一つ目としては、ちょっと地味なグスクであった。
14世紀から15世紀初頭の三山分立時代の南山王の居城と伝えられているが、大里城がそうだとも云われており、実際には良くわかっていない。


そのまま南下して、白梅の塔の付近を通って真栄里へと向かう。


真栄里城


左:拝所と石垣、右:一番東側の石垣


左:割れ、右:案内をしてくださったKさん





Webで調べた際の目印だった、グスクのある尾根の南にあった老人ホームは移転してしまい、現在は建物の基部のみが草に埋もれている。おかげで場所が判らずに辺りを彷徨う。
地図には何も無いが、尾根の東側(図書館の南東)は現在は公園となっており、初めはそこかと思って回ってみたが、石垣の欠片も無い。仕方が無いので傍の図書館で資料を探していたところ、司書にグスクに詳しいKさんという方がいらして、ありがたいことに直接案内してもらえる事になった。

昔は東の公園の辺りから尾根を西へ降りていたそうなのだが、現在は間に民家が出来てしまったので、南東の老人ホーム跡地から拝所の為に整備されたコンクリートの階段を登った(赤矢印)。
西側半分は拝所、東側は藪。一番東側の石垣は一部しか残っていない。その向こうは民家である。
このグスクは石灰岩(?)の岩盤の上に建っているのだが、年々割れが酷くなり、一部崩落の危険が高くなっているらしい。人が落ちないように手摺がつけられていたが、注意を要する。

詳細は不明。司書のKさんの専門は民俗学でグスクが専門ではなかったものの、付近にある(無名な)グスクを指差しながら教えて下さった(忘れてしまった、というか覚えきれない)。Kさんの話によると、視界に入るそれっぽい丘という丘は全てグスクと見ても良いそうである。時代によって城砦であったり、生活の場や墓(拝所)であったりするようである。
また、これから向かう糸満市南部のグスクも、地図を見て判るものに関しては正確な位置から寄せ方まで詳細に教えていただく。真栄里城そのものは位置が判らず30分弱のロスをしたものの、Kさんに出会えたのは本当に幸運であった。お忙しい中わざわざ案内していただき、ありがとうございました。>>Kさん



そのまま国道331号線を南下。旧道に入ってカーナビと看板を頼りに具志川城へと向かう。


具志川城(糸満市)


左:石垣、右:南西側の眺め


左:門跡、右:石垣




石垣が大きく、整備も進んで見やすくなっている。展望も良い。
城郭大系によると、この具志川城を記録した文献が無く、また遺物が出土しない事から完成直後に廃城になったと推測されるらしい。



上里城(失敗)


道が藪に覆われてしまったので諦める




具志川城の北東に位置する。Kさんから「公民館の北にある道を入る」という話を伺っていたので、それらしい丘とそれらしい道を見つけて寄せてみたが、道が藪に覆われてしまい、ハブの危険性が増したので断念する。侵入…もとい進入ルートが間違っているかもしれないので、地元の人に聞いて見るのが良いだろう(その時には人が居なくて聞けなかった)。



伊原城


左:入り口、右:唯一まともな石垣の写真




国道331号線へ戻って東へ進み、伊原集落で北に上がる。採石場のT字路の所に入り口がある。
一応階段がついているものの、すぐに終わってしまう。地図を見るに東西に長細い縄張りを持っていると思われるのだが、さすがにハブが怖くて藪こきはやらず。


国道331号線に戻って東へ。途中、ひめゆりの塔付近の食堂で沖縄そばを昼食に摂る。一応有名店だったらしく、ここの店の名前の入ったインスタント麺が飾ってあった。



米須城


左:門跡、右:門の段下の石垣


左:上グスク部北東側の石垣、右:上グスク部と真中の郭との間にある石垣




ここも迷う。初め本当の入り口から少し東側にある石積みに惑わされて何枚も写真を撮っていたのだが、どうも雰囲気が違うので辺りを調べてみたところ、東側に本当の入り口を発見する。杭の碑が建ち、2、3台の車を置ける駐車場の横から北に歩道が延びている。
大系の地図と異なり、上グスクの郭の東側に、更に2段程の郭が東へと連なり、その端は小学校の北側まで出ている。真中の郭までは石垣も良く残っているが、基本的に上グスク部以外は藪が濃くなるので、ハブへの注意が必要である。
上グスクの南側にある門跡の遺構は、沖縄戦に巻き込まれたグスクとしては良く残っている。米須按司が築いたとされるが、詳細は不明である。


引き続き国道331号線を北東へと進み、具志頭から南下。



多田名城(失敗)


「この坂の上にある」と言われても…




かなり大規模なグスクなのだが、寄せ手を間違えて落とせず。地図を見る限りは具志頭から南下して社会体育館脇から登るものかと思われるし、実際に体育館の直ぐ南に「多々名城」の看板が出ている。しかしこの看板には「この坂の上に多々名グスクがあり…」としか書かれているだけで地図も無く、目の前の急斜面に道らしきもの無い。少し東側に沖縄戦跡があったので回ってみたが、日本兵が最後に立て篭もった洞窟地帯を回るばかりで、一向にグスクへの道は開けなかった。
結局、看板だけ写真に撮って具志頭城へと向かったのだが、本土へ帰ってから検討し直すと、玻名城で南下してグスクを南西から回り込むのが正解だったように思える。郭の写真がWebにあり、たどり着ける事は確かなようだ。



具志頭城


左:公園、右:南西側の展望




多田名城と同じ丘陵の北東端に位置している。沖縄戦の最後の戦いの有った場所で、現在はグスクというよりも平和公園として整備されており、熊本と高知の部隊の慰霊碑が其々建てられている。
拝所の石垣は見つかったものの、グスクとしての遺構は跡形も無い。西の集落内に見事な石垣が幾つか有るのを見かけたが、グスクの遺構かどうかは判らない。大系には尾根部を南北に仕切るように石垣が連なっていると書かれているので、我々が見落としていただけなのかもしれない。せめて公園に地図を記した看板が建てられていれば、こうも苦労をせずに済むのだが。

伝説によると具志頭按司代々の居城であったが、6代目の時(14世紀後半)に山南王に攻め滅ぼされたという。



日も暮れてきたので切り上げて、ホテルのある那覇市へと向かうが、国道507号線の脇に長嶺城があったので、駄目元で突っ込んでみる。



長嶺城


左:全景、右:本土の山城と変わらない風景




嘉数の集落から東に延びる小道を進むと、杭の碑と登り口がある。
本土の山城の、それも狼煙台跡といった小ぶりの遺構で、平坦部はあるものの石垣や堀、土塁と言った物は一切見当たらない。いや、有るのかもしれないが草木に覆われて、それらしいものは見つからなかった。頂上からの眺めは良く、暮れつつある那覇市街を一望できた。
詳細は不明。


「嘉数」というと、「かかずゆみ」を思い浮かべてしまう。かかずゆみ自身は埼玉の生まれなので、先祖がここら辺なのだろうか。



ホテルへ。とまりんの建物の上にあり、シーズン中ならまず泊まれないランクが上の方のホテルだった。ボーイが荷物を部屋に入れてくれ、チップを出すべきかどうか一瞬迷ってしまったりもする。


荷物を整理して少し休んだ後、飯を食べに外に出る。
以前に行って美味しかった「綾門(あやじょう)」に再び行く。


「綾門」





ジーマミ豆腐(ピーナツ豆腐)、島ラッキョウ、スクガラス豆腐(発酵した小魚と豆腐)、ドゥルワカシー(田芋の和え物)、ナーベーラチャンプルー(糸瓜の炒め物)、ソーキ肉の煮付(アバラ肉の煮付)、モズクの天婦羅
他にも何品か頼んだのだが、カメラの容量が勿体無かったので前回写真を撮った物は撮らなかった。おかげで他に何を食べたのか思い出せない(現在2004年5月)。黒胡麻のたっぷりと載った豚バラ肉とモズクジューシーは食べたように記憶するが、はっきりとしない。値段は高かったが美味しかったのと、デザートがサーターアンダギーで無かったのだけは確かだ。


それから国際通りまで出て観光名所の商店街を歩くが、窪谷さんも薬田さんも興味を持たれず、逆に窪谷さんの発案でダイエーへと行く。国際通り傍のダイエーは営業時間も24時までと遅く、沖縄食品も幅広く取り揃えており、中々に当りな選択だった。東京でお世話になるSさんの為に、色々と怪しげな食品を買い漁る。


ホテルに帰って、ダイエーで買った菓子を食べた後、遅くならないうちに就寝。伊予松山のような事はやらず。

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