北京攻略記

平成13年8月15日〜23日


自分で撮った写真以外に、同行した先輩方の写真を多数使わせていただいております。

盆休みを利用して、北京に行こうと言う話になる。以前上海に行った時には4泊5日でも短かったので、今度は長めに行こうという話をしていたが、まさか7泊8日になるとは思わなかった。しかも関西から参加する自分だけは、更にもう一泊必要となる。しかも15日出発なので、23日神戸着。少なくとも有給を3日取らなければならない。この不況の時代に、一体どこのに盆休みに続けての三連休などと言うふざけたわがままを許す職場があるのだろうか。
しかし、今の職場だといとも簡単に盆休み後の三連休を取れてしまう辺り、少々情けなくなってくる。



○2001年8月15日


0500起床。普段の生活を考えると死ぬほど早起き。本当に血ヘドを吐きそうになりながら電車を乗り継ぎ、三の宮からリムジンバスに乗り伊丹空港へ。飛行機の待ち時間を利用して朝飯。アンデルセンでカスタードデニッシュとアップルパイ、そしてどうみても97式手榴弾にしか見えないGEOGEAのペットボトルのカフェオレを購入し、待合室で食う。それなりに美味しいのだが、日本を離れる前くらい、米の飯を食っておけば良かったと少し後悔。
飛行機に乗り込み、離陸。飛行機が動き出してから携帯をかけていた馬鹿女がいたので注意したが無視される。余りに腹が立ったので「飛行機が落ちたら手前の所為だからな!」などと決めセリフを吐くがこれも無視される。どうしてこう馬鹿が多いのだろう。まったく、早く自滅してしまえ。
馬鹿女の電波妨害の為か(笑)、15分遅れたものの無事に飛行機は成田空港へ。待ち合わせ場所である国際線のカウンターでMさん、Sさんと合流。チケットの関係で一人日航で行くMさんと別れ、Sさんと二人で全日空の1045成田発北京行の飛行機に乗り込む。無事離陸。
4時間と飛行時間が短いので、水平飛行に移ると、あわただしくドリンクサービスと機内食のサービス。機内食の飯がまずいのは相変わらずだが、全体的にそれほど食えないほどではなかった。また、酒が弱いのに合わせて2本の白ワインを飲み、北京に着く前からヘベレケに酔っ払ってしまう。

時間を1時間戻して、1400頃到着。正確な時間は覚えていない。早速入国手続きと両替を済ませて、リムジンバス乗り場へと向かうが、どのバスに乗って良いのか全くわからない。バスの前で客引きをやっている親父にホテルの地図を見せて、やっとのことで中華民航の本社行きのバスに乗り込む。16元(1元=15円)なり。他二人は荷物を車内に持ち込んだが、自分一人だけバッグが大き過ぎたのでバスのトランクへと入れる羽目になる。座った席もバスのトランクが見えない位置だった為に、バックの盗難が心配で仕方が無い。終点まで4、5箇所のバス停に停まって客が数名降りていたものの、バッグは盗難に遭わずに済んだ。

事故も無く、終点に到着。目的のホテルまでは歩けない距離では無いが、大荷物をかついで炎天下の移動は辛いので、とりあえずタクシーを拾うことにする。ところが、タクシーが拾えない。
民航本社前にタクシーがあまり来ない上に、来ても先に拾われてしまう。仕方がないので大通りに出たものの、空車タクシーは腐るほど走っているのに一台も止まらない。「どういうこと?。共産党の陰謀か、これは!?」と状況がよく理解が出来ないまま、交差点まで場所を移動し、そこでも拾おうとするが止まらない。
どうしようもないので、大荷物を抱えたまま炎天下をホテル方向へ移動する。移動しながら走ってきた空車タクシーを止めてみるものの、今度は止まることは止まっても、目的のホテルの場所がわからないと言って乗車拒否をされる。
「着いて早々、いきなり、これかい…」とげっそりするが、とにかくホテルに行かなければならない。ウンウンうなりながら更に数台タクシーを止めつつ南下。そして何台目かでやっとホテルを分かるタクシーを捕まえて乗車。おかげでホテルまで歩くのと変わらないくらい時間がかかってしまった。

チェックイン。ガイドブックには「天橋賓館」となっていたが、いつの間にか「北緯飯店」という名前になっていた。おまけに「RAINBOW HOTEL」などと言う英語名もついている。一応三星ホテルであるものの、何か建物の作りが古い。大丈夫かと心配になったが、安いのだから仕方がない。
荷物を整理して一休み。ここですでに1600近くになっていたので、買物と夕飯に行こうと王府井へ行く事にする。ホテルの前だとタクシーはすんなりと捕まえられてしまう。全くもって、北京のタクシー事情は良く分からない。

王府井。北京で一番の繁華街。広い通りは歩行者天国になっていて、露店なども出ている。どう見ても中国とは思えないくらい明るくて、奇麗である。金持ちしか来ていないのかもしれない。
適当に何軒かの百貨店や本屋を回って、夕食に行く。王府井にある、香港美食城。
今回の旅行での飯屋選択の基準は、「高級店しばり」。折角に金もあるのに、何を好き好んで1元2元の飯を食わなければならないのだ、というMさんの強い意見による。確かにその通りと言うことで、一軒目から底々有名な店にする。一皿100元もする豚皮焼きなども頼むが、しかしそれでも一人100元ほどしかかからなかった。またナマコと牛アキレス腱の煮込みの唐辛子にやられる。


デザートに頼んだ雪哈(温)


夕飯後、腹ごなしにまた王府井をぶらぶら。ホテルの部屋で飲み食いしようと、酒やお茶、干し棗、それからペットボトルの水、烏龍茶なども購入する。百貨店が閉まる10時前までぶらぶらして、タクシーを拾ってホテルへ帰る。ここでもなかなかタクシーが拾えず、更に捕まえても「分からない」と乗車拒否されること数度。これからの旅の苦労を予感させた。

ホテルに帰って、翌日からの作戦会議。早速に先ほど購入したお茶等を開けてみが、芽台王子酒(安物の芽台酒)が飲めるのが自分だけだったり、思ったほどお茶が美味しくなかったりと踏んだり蹴ったり。唯一、干し棗だけが甘ったるくなくて美味しかった。




○8月16日

1000頃起床。前門まで散歩を兼ねて歩いて行く。裏路地や地元市場などを覗く。汚くて臭いが、活気だけはしっかりしていた。前門通りにある第一楼という小龍包の店で朝飯兼早い昼飯を摂る。ここで3種類の小龍包とビールを頼んだが、スープもたっぷりでなかなかに美味しかった。それなりに量があったのに、全部で40元といのも素晴らしい。

それから前門の裏通りなどもぶらぶらし、15元の急須を買ったりする。
前門の駅から地下鉄に乗り、軍事博物館へと向かう。3元で乗り放題。駅や車内のマナーは相変わらず関西の約1.5倍の悪さ。
博物館前で、行列の存在しないチケット売場で券を購入し、荷物を預けて入る。入ってすぐに、屋外展示兵器のお出迎え。各種砲、機関砲、ロケット砲、ミサイル、魚雷艇。日中戦争中にドイツから購入したと思われる、150mm牽引カノン砲などもあって一人だけ興奮していた。


ドイツ製150mmカノン砲、後ろにカチューシャ、右端のは日本の90式野砲、ついでに左端のは同じく日本の37mm対戦車砲

それから屋内へ。ここもまた鼻血が出そうなものばかりだった。92式歩兵砲、41年式山砲はもとより、91式10cm榴弾砲に92式10cm加農砲まである。それからスーパー大戦略でお馴染みの中国軍62式軽戦車に63式水陸両用戦車、Mig15、17、国産のF7、F8-IIの各種戦闘機、シルクワームの地上発射型、そして無数の小火器群。中にはこれまで見たことのない試作品っぽいサブマシンガンまであり、デジカメを買っていない事を猛烈に後悔する。


謎のマシンガン

荷物を引き出してタクシーを拾い、蘆構橋へと向かう。マルコポーロの時代からある古い橋で、日中戦争のきっかけにもなったと言われている所なので、さぞかし壮大な風景が拝めるものと期待していたのだが、橋自体幅10m、長さ250mほどの大きさで、対岸から普通のライフルで十分に狙える距離しかなかったことに失望する。おまけに対岸では怪しげな土産物売りが乱立し、とても抗日記念日の翌日とは思えない状態だった。
それよりもすぐ側の復元された宛平城の方が面白く、城門から城壁に登り、反対側の城門まで1kmほど壁の上を歩く。城内も保存区に指定してあるらしく、古く汚い家並も住人の生活も昔そのままに残っていた。


左:蘆構橋、右:宛平城城門

タクシーを拾って北京駅へ。駅前だから何か面白いところでもあるだろうと思ったものの大したものもなく、北京友誼商店へ向かう。
「買物するなら友誼商店へ行け」というくらいに中国各地の物産が揃い、しかも安いと言う話であるのだが、確かに品揃えは他の百貨店に勝るものがあったものの、値段は百貨店と変わらないか高いものが多かったので、相場のチェックをするに止める。

6時と良い時間になったので、夕飯を食おうと「地球の歩き方」に載っていた地元でも人気の家庭料理の店へと向かうが、店の建物は取り壊し寸前の有り様。ガイドブックがショボイのか、北京の開発スピードがそれにも増して早いだけなのか分からないが、周りに他に行きたい店もなく、腹も減っていたので近くにある適当な店に入ることにする。
ところが、広東料理の店に入ったつもりだったにもかかわらず、何故かタイ料理の店。どうやら入口が微妙に分かれていたようで、誤ってタイ料理の店に入ってしまったらしい。値段も高く、中国でタイ料理を食うのも何だったので、2品とビール、デザートを頼んで早々に退散。それなりにうまかったが、着いた2日目からタイ料理なんか食わなくても。

時間も早いので、王府井に次ぐ繁華街である西単へと向かう。パソコン用品の怪しい店を探すものの、携帯販売店がやたらと多く、あっても日本よりも古い上に値段も高いと言う有り様であった。日本の秋葉原は世界に誇れる名所であることを再認識させられる。
通りの店で壷入りヨーグルトを食べる。灰色の壷に蓋紙をのせて輪ゴムで止めてあるだけのシンプルなもので、蓋紙にストローを突っ込んで飲む。1つ2元。味はチチヤスヨーグルトという感じで安くて味も良いものの、日本でも味わえそうなものに限られた胃袋を使うのはもったいない事である。

9時すぎまでぶらぶらし、成都小吃というファーストフードの店で遅い夕食を摂る。中国では安い店でもそれなりに美味しい店が多いので期待していたのだが、これが日本でもこれだけ不味い中華は無いのではというくらいの酷い代物。おまけに四川料理でやたらと辛かったので半分以上残す。豆乳ジュースだけが美味しかった。


惨敗後の食卓

ホテルに帰って翌日の作戦会議。閉店前のデパート地下で購入したビールや菓子類を食う。思いっきり「キノコの山」を真似たパチ物には笑わされた。パッケージは何の工夫も無く開けにくいが、味はそのままだった。

水にやられたのか強烈な水下痢をする。
(後日、現地で使われている精製されていない調理油が原因かもと教えられた)



ここから以下のページへいけます。