北京攻略記 その2

平成13年8月15日〜23日


8月17日

昨晩、水下痢をした割には体調は良し。

1000頃にホテルを出て前門前まで歩き、都一処焼麦舘の焼売で朝食。
お忍びで食べに来た皇帝に都一番の味だと評されたことから「都一処」の名前を付けたという店で、名物の4種類の焼売に粥、ビールなどを注文。ところがSさんが酷い水下痢で衰弱。実質二人で計48個の焼売を食べなければならなかったので、終りの頃は拷問に近いものがあった。


焼売の大群

Sさんが弱っていたが、折角の時間がもったい無いからと、事前情報で良い雰囲気であると勧められていた交通口付近の同胡(フートン:昔の街並)を見に行く。ところが、見学可能な館が開いておらず、次に見に行った前海の古物市も道路工事の為にやっておらず、2時間近く炎天下を病人を引きずり回しただけに終った。
2回も外して物足りなかったが、「さすがにもう駄目。帰る」というSさんの漏らした言葉の弱々しさと、また今日合流するOさんとの待ち合わせ時間も迫っていたこともあり、それ以上の観光は諦めて、タクシーを拾ってホテルに帰る。

1430にホテルのロビーでOさんと合流し、再度チェックインをやり直す。ところが客で混んでいる為に、4人共がシングルというケッタイな部屋割になってしまう。

体調の悪いSさんを部屋に残して、OさんMさんと3人で近所の天壇公園へ歩いて向かう。途中乞食の子供に金をせびられるも、心を鬼にして振り払う。
天壇公園。とにかく広い。一辺2kmほどの敷地に、遺物が点在している。2時間近くかけて端から端まで歩く。くたくたになってホテルへはタクシーで帰る。


イメージ画像:天壇公園

ホテルで幾分か回復したSさんを拾って、夕飯へ。今晩は王府井にある全聚徳火考鴨という北京ダックの店。事前情報によると、ここのが北京では一番らしい(あくまでも庶民が食いに行ける範囲として)。確かに店の前に並んだベンツやBMWやリムジンを見ていると、いくら中国とは言え懐の具合も心配になる。
10分ほど待たされる。北京ダック一匹一式合わせて168元。すごいもので、目の前でシェフが切り分けてくれるのである。一番良い腰の皮の部分と、頭と、胸と、その他の部分という4皿に分けてくれる。これを餅で巻いてタレを付けて食べる。幸せの一文字あるだけ。他にも色々と注文して、一人当たり100元ほどだったが、他のメニューは大したことがなかったので、ここでは北京ダックだけを食べていれば良さそうである。




Sさんは、気分が悪いからと先に一人で帰り、残り3人で王府井をぶらぶら。同じように10時前の閉店後にタクシーでホテルに帰り、翌日の作戦会議を開こうとしたが、先に帰った筈のSさんがまだ帰っていない。「どこかで何かにあったのか!?」と心配するが、部屋に居ない、携帯も使えないとなると連絡のしようが無い。放って寝ることにする。

今晩も水下痢。




8月18日

朝一番でSさんの部屋に連絡を入れたところ、ちゃんと帰っていたのでひと安心。9時頃ロビーに集合したが、Sさんは気分が悪いと言うことで、またも3人で出かけることに。
今日の午前中の目標は、潘家園の古物マーケットとすぐ側にある古玩城。古物マーケットの方は事前情報だけだったので心配であったが、迷うこともなくあっさりと見つかる。

新宿の花園神社の露天市の各大版のようなもので、半分は露天、半分はバラックのような屋根付の店が出ている。どこからか盗んできたかわからないような土付の石仏から皿、骨董品、古本。何でも鑑定団などに良く出てくる、中国で偽物を掴まされた観光客はこういう場所で物を買ったのか、と思わせられるような雰囲気であった。
あまりに数が多い上に人で混み、また一緒に行った他二人は骨董品には余り興味も無かったので、時間をかけて回る訳にも行かず、目をあわただしく流しながら歩く。すると軍事品の店があり、ガスマスクやモーゼルの木製ホルスター兼ストックなどを見つける。
早速値段交渉を始めるものの、向うも物の価値を十分に知っているだけあって、なかなか値を下げない。マスクは二つで250元まで行ったものの、モーゼルストックは450元から下げようともしない。欲しかったものの旅行の前半から1万円近い金を突っ込むのも抵抗があったので、マスクだけ購入する。それからもう一軒ほど軍事品を扱う店があり、そこでは同じモーゼルストックの、使い込まれて黒ずみ皮ベルトの付いた物が出ていた。値段を聞いてみたところ、こちらは600元。こちらもあまり値を下げなかったので、その場では諦めたのだが、よくよく冷静に考えると、例え600元をブチ込んだとしても日本のヤフオクなどで流せば必ずそれ以上で売り飛ばせる訳で、そう思うとこの文章を書いている今でも悔しく思われて仕方がない。


潘家園の古物マーケットの入口と中の様子


ガスマスクとストックの値段交渉中

それから古玩城へ。ここは100軒以上の骨董品店が入った建物で、建物に入っている分だけ先ほどの露天市よりかは信用が置ける。ここでOさんが家のお土産に書の巻物を一本購入。そうこうしている内に昼も回ったので、タクシーを拾ってホテルへと帰る。

弱り切っているSさんを拾って昼食。泊まっているホテルに入っている時珍苑というレストランで、薬膳料理を食べる。
回転テーブルのある個室へと案内され、メニューを渡されてびっくりする。薬膳のコースはどれも1人200元からなのだ。日本で3000円というとコースでも普通であるが、高級な北京ダックを食べても一人100元で済む北京で、200元というのはかなり高額である。
しかし日本で同じ薬膳料理を食べたらえらいことになるのは分かっていたので、清水の舞台から飛び降りた積もりで食べることにする。
高いだけあって、朝鮮人参、スッポン、冬虫夏草、タツノオトシゴ、牛のペニスなどの珍しい食材がふんだんに入っていた。味はそれほど美味しいというわけでもなかったが、とにかく値段にしては珍しいものを食えたので良とする。



魚の胃袋、スッポンと朝鮮人参、牛の睾丸、龍の落し子の唐揚、袋茸とチンゲン菜、キクラゲとクラゲのスープ、春巻、羊羹(写真に写っていたもののみ)

一休みした後、ホテル前でタクシーを拾って、い和園へと向かう。ところが若い運ちゃんだったのだが、どう見ても途中の道端でタクシーを止めて車を降りる。まさかここで降りてバスに乗っていけとかとでも言われるのではないかと思って心配していると、戻って来てまた運転を再開する。そして、かなりい和園に近付いてからもまた車を止める。良く良く見てみると、どうもこの運転手、道を知らないらしい。「い和園って、北京でも一、二を争うくらい有名な観光名所ですよね?」とその無知ぶりに呆れながらも、早く行かないとすでに時計も3時を回っており、下手をすると行ったは良いけどほとんど何も見れなくなってしまうかも知れない。
こちらは地図で現在地と目的地を完全に把握しているので、戻ってきた運転手に片言の中国語で右とか左とか指示をして、やっとのことでい和園の昆明湖のほとりまでやってくる。「後はこの一本道をまっすぐ!」と運転手を含めて一同ほっとしたところ、今度は渋滞。20分くらいのろのろ運転をして、それでも入口につかなかったので途中で降ろしてもらって歩くことにする。降りて10分ほどで入口に到着。そしてこの頃から空の具合も悪くなり、雨が降り始める。

石舟や十七孔橋などの有名なものが多いのだが、時間がないのと広過ぎるのと人が多過ぎる上に雨なので、初っ端からゲッソリとする。とにかく人のすき間を縫って、排雲殿から仏香閣を抜けて蘇州街へと行った辺りで、閉園10分前になる。慌ててい和園を出たものの、有名な石舟と十七孔橋は見ることが出来なかった。


左:い和園、右:蘇州街

出口前でタクシーを拾って前門へ。
前門付近にある、事前情報によるとなかなか美味しい広東料理店へと向かったのだが、潰れていたらしく同じ名前の店が見つからない。仕方がないので付近にあった適当な店へと入る。
北京中橋潮州酒楼という店で、ぱっと見で入ったにしては良い店で、茹で海老や鱸の清蒸などが美味しかった。
店を出る頃に夕立ちが来たので、店の出口で雨が小降りになるのを待つ。どうも夏の北京の気候は日本のものと同じらしい。小降りになるのを待って前門へと出て、雨が止むまで百貨店などで時間を潰し、タクシーを拾ってホテルまで帰る。

寝る前に下着と靴下の洗濯。水下痢は治らず。


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