伊賀甲賀遠征リターンズ 〜二回目も辛かった〜
平成30年10月6日〜8日
稲垣氏城の火炎茸(猛毒)
Google Mapより: 赤色が初日、黄色が2日目、緑色が3日目の攻略目標
〇10月7日
昨日買っておいた朝食を食べて出発。まずは西に進み、増地氏館を目指す。
増地氏館・
菊岡氏城
左:西側の郭?、右:主郭の北西にある櫓台から
左:主郭内部、右:主郭西の土塁から内部
左:主郭南の土塁、右:同左下の堀
左:主郭南の虎口、右:同左の土橋と堀
左:南下の郭の北東角、右:南下の郭の北縁の堀
登り口が民家の敷地にあるので分かりづらいしアプローチしにくい。尾根筋に獣柵があるが、主郭は獣柵をくぐらずに行ける。
尾根から南に下がる形で単郭があり、またその南下に単郭があるのだが、下の郭は藪になっている。上の方の主郭は杉林で写真が撮影しにくいが、凹凸を充分に楽しむことができる。
増地氏館の東には、菊岡氏城がある。見えづらいが車道から昔の道が菊岡氏城方向へ向かって出ている。ただ藪になっており、鉈鎌が無いとアプローチが難しい。今回は手ぶらだったため、頑張って藪漕ぎをしたものの、菊岡氏城の直前で敗退した。
稲垣氏(石打)城
左:三の郭、火炎茸が群生、右:大手口
左:三の郭北西上の土塁、右:二の郭
左:本郭、右:同左
左:本郭の西の堀切、右:西端の堀切
城の南麓まで車で寄せられるが、道幅も駐車スペースも狭い為、運転に自信が無いか車が大きい場合は広い道の端に車を停めて歩いた方が良い。また三の郭には猛毒の火炎茸が群生しており、ワイヤーで囲われている。火炎茸は触っただけでも炎症を起こすので気を付けること。
小粒だがメリハリの利いた縄張をしている。
千賀地氏城
左:主郭東側、右:南側
左:東側から西を、右:北東隅
千賀地氏城一帯は道が狭くて駐車スペースが無い為、JAの西隣にある公民館のような施設の駐車場に停めさせてもらい、歩いて回った。
公園として整備されている。車道脇に小さいながらも案内が出ている。
浅井氏城・木原氏城
左:浅井氏城、平坦部、右:南の土塁
左:南の堀、右:西の堀
左:木原氏城、南の堀、右:土塁の西角
左:北西面の土塁、右:北西面の堀
左:北東面の堀、右:平坦部
浅井氏城は民家の裏手にある。偶々畑をしていたおばあさんを見つけ、声をかけて入れてもらう。竹藪になっており、探索は難しい。
木原氏城は浅井氏城からも行けるのかもしれないが、竹藪が酷くて引き返した。西側に薬師寺跡という寺があり、そちらからだと入れた。こちらも竹藪だが浅井氏城程酷くない。
勝島氏城
左:土橋、右:南面の堀
左:南面の土塁、右:南面の土塁から郭内部を見下ろす
左:東面の土塁、右:東面の堀
左:北面の堀と土塁、右:西面の土塁
左:南西隅の虎口、右:西麓の登り口
西麓に登り口があると書かれていたのだが分からず、北東下を通る車道から出ている保守用の階段を上がり、そこから直接侵入した。土塁、堀、共に良く残っている。下りは西へと出たが藪に埋もれつつあり、登り口がわからなかったのも仕方なかった。
杉山八三郎城
登り口がわからず撤退する。
「コンビにで昼食」とメモにあるのだが、予野から丸山までの間にコンビニは無い(予野のファミリーマートは2020年11月開店)。撮影した写真の日時を見ると1時間空いており、昼食場所を探して周辺を走り回り、結局見つからずコンビニで飯を食べたのかもしれない。
丸山城
左:南東に伸びる尾根上の郭、右:主郭の東下の平坦地?
左:主郭の南下の平坦地?、右:主郭中央部の櫓台?
左:櫓台?の土塁、右:同左
左:主郭北側、右:主郭南の虎口?
小粒な城が多い今回の遠征で、最も規模が大きくて期待していた城だったのだが、実際に行ってみると、櫓台?のある場所までの遊歩道沿いのみしか整備されておらず、他は深い藪で入れなかった。主郭ですら殆どが藪。手が足らないのは仕方ないのだけど。
小泉氏館・狭間城・
城山・北の城
左:小泉氏館を南から、右:内部
左:西面の土塁?、右:北東隅?
左:城山を北から、右:狭間城の内部
猪田道駅の駅前に車を停めようと考えていたのだが、当日は何かのイベント会場となっていて停められなかった。仕方ないのでコインランドリーの駐車場の停めて足早に回ることに。
小泉氏館は依名古神社になっている。周囲に土塁っぽい土盛が残っているだけである。
他3城を目指すも、道を間違えて関係ない神社に突入してしまう。狭間、北の城、城山いずれも竹藪になっている。狭間城はどうにか内部に入ったものの、他は竹藪が酷すぎて手も足も出ず。
音羽氏城・
音羽北城
左:主郭南側、右:北側
左:北上の土塁から主郭内部を見下ろす、右:北の土塁
左:南東隅の虎口?の石垣、右:同左
音羽氏城は遊歩道が整備されている。南東隅の虎口に石垣があるのだが、後世に積まれたもののような気がしてならない。城域にもあちこち大きな石が転がっているが、ここは採石場だったのでは…。ただ一方が高い土塁に囲まれている地形は、この地方の城のそれであり、城があったことは間違いなさそうだ。
音羽北城は、北の尾根に取りつきがあるらしいのだが、防獣柵などで寄せるのが難しく、何とか尾根に辿り着いたものの藪が酷くて諦める。
直居氏館・竹島氏館・木津館
左:直居氏館、堀、右:土塁
左:竹島氏館、西側の土塁、右:南東から
左:木津館、北西の土塁、右:同左を北から
左:木津館、東から、右:北東から
それぞれ、堀や土塁が残っているのだが、いずれも民家で周りからしか見ることが出来ない。
日曜は民宿1階の食堂が休みである為、夜は部屋でスーパー飯。
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