雷弐の死



 この写真は1週間ほど前に撮ったものである。これが彼の最後の写真になってしまった。せっかく新しい水槽が手に入ったのに、せっかくのびのび成長できる場所に移ったのに・・・。実をいうと引っ越しのときにヒレに白いぽつぽつがあるのに気付いていたのだ。「白点病?」そう思ったときにすぐに手を打っていれば、彼は助かったのかもしれない。たった一ヶ月の間だったが、彼は僕に多くのことを教えてくれた。ライギョの捕食それは僕を魅了するのに十分だった、このことは「雷弐の捕食」を読んでいただければそのすばらしさがわかってもらえると思う。そして、ぷかりと浮いて息を吐く彼のしぐさに、なにか永遠のときすら感じていた。今日帰ってみると、その彼が水槽の底にうずくまっているのである。そして彼の半身は真っ白であった。「やばい、こんなに病気の進行が速いとは・・」、あわててヒーターをいれて水温を安定させようとしたものの手遅れであった。わたしと目が合うと「雷弐」はふらふらと泳ぎだし、しかしその泳ぎはすでに力弱く水槽の水の流れに翻弄されていた。ふたたび「雷弐」は水槽の底に伏した。そして、勢い良く舞い上がったと思うとふらふらと背びれを下にして砂利の上に落ち二度と動くことはなかった。まるで私が帰ってくるのを待っていたような、あっけない彼の死であった。彼の最後を見届けることができただけ幸せだったのかもしれない。
 「ライギョを飼うのは難しい」これが私の感想である。いぜん私はライギョを飼っていたことがある。そいつは牛久沼で台風の増水の後の水たまりに取り残されていたものを持ち帰った30 cmくらいのライギョで「雷太」と呼んでいた。彼は水換えのときに死んでしまったのだが、いま思えば彼が僕の水族館の始まりであり、うちの魚達のネーミングの仕方の始まりでもある。そんなこともあり、「雷弐」への思い入れも強かったのだが、またもや死なせてしまった・・。
 魚達というのは実にか弱い存在である。病気や環境の汚染などが彼らの生存を脅かしているのである。僕がこの水族館をインターネット上におくときに思っていたことがある。このページよって魚達がどの様に暮らしているかがわかっていただければ、興味を持って実際に魚を飼ってみる人が一人でも増えればと思っていた。何人かこのページをみて、バスやギルを飼いはじめたというメールをいただいて大変うれしく思う。魚達は僕に多くのことを教えてくれている。そして、僕はその感じたことをより多くの人たちに伝えることで、みなさんの心の中で自然や魚達への愛が育っていってくれればと思っている。ぜひみなさんも自然や魚達への愛を忘れないでいて欲しい。そうすれば、「雷弐」の死も報われることだろう。

「雷弐」の冥福を祈る! 1996年11月22日午前0時20分 Kiyo


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