奥山百合(杉本苑子著「絵島疑獄」(講談社文庫)   



「はい、気が触れております。旦那さまがひどい目にあわれてからこっち、われながら逆上して、何を言うやらするやら、取りとめがなく なりました」



「絵島疑獄」のあらすじ

奥山百合は水戸藩士奥山喜内の娘で、将軍家の侍医奥山交竹院の姪である。弟の千之介が、子守りしている時に怪我をして足が不自由に なってしまい、それがもとで継母の兼世に憎まれ、交竹院に引き取られた。
交竹院は幕臣白井平右衛門と碁敵で、その妹美喜(のち絵島)は百合の名づけ親でもあった。弟への罪の意識にさいなまれる百合を、絵 島は優しく労る。美喜はその頃、平田彦四郎という武士と愛し合っていたが、美喜が年上のために周囲の反対を受けて引き裂かれ、稲生文 次郎という武士との縁談をすすめられる。美喜は断り、百合を養女にして、交竹院のつてで、甲府宰相綱豊の愛妾お喜代の方に奉公するこ とにする。

やがて、五代将軍綱吉が死に、綱豊は六代将軍家宣となる。美喜は御年寄の地位につき、絵島と呼ばれていた。百合も絵島の部屋子とし て仕えることになる。利発で働き者の百合は、絵島に仕える若江、俊也といった同僚ともうちとけ、楽しく働く。百合が絵島に仕えるよう に、絵島もお喜代の方の理知的で明朗な性格に心酔し、心を込めて仕えていた。お喜代の方は江戸の町医者の娘で、家宣が甲府宰相になる 前に、家臣の子として育てられていた時代に見初め、正室熈子や他の側室お須免の方・お古牟の方にも増して愛し、心を通わせていた。

やがてお喜代の方が妊娠し、鍋松(のちの七代将軍家継)を産む。家宣は、正室や他の側室との間に何人か子をもうけていたが、みな、 家宣の虚弱な体質を受け継いで早世していた。家宣の喜びは大きく、お喜代の方への熈子やお須免の方らの憎しみは募る。熈子は京都の近 衛家から嫁ぎ、お須免の方はもとその侍女であった。お喜代の方や彼女に仕える者たちが江戸生まれで、明朗で淡白、やや単純であるのに 比べて、熈子は仕える者たちまですべて御所風であり、陰湿なまでに緻密であった。早くから、お喜代の方とその周りの者を陥れるような 出来事が起こるが、お喜代の方らは勝者の余裕もあってあまり気に止めない。鍋松も虚弱だったが、交竹院が侍医となって世話をしたため まずまずつつがなく育って行く。

家宣は将軍になってから三年ほどで死ぬ。綱吉の「生類憐みの令」を撤廃し、官学の林派に対して私学の新井白石を登用した家宣は、庶 民の立場に立った善政を行っていたが、綱吉の時代に作られた財政難は解決していなかった。革新的な政策には反発する者もあり、紀州徳 川家の吉宗、林派らが巻き返しを狙っていた。家宣は尾張徳川家の吉通を信頼し、家継が幼いうちの後見を依頼していたが、吉通は急死す る。毒殺の疑いがあった。

絵島がお喜代の方に奉公してから七年目に、白井平右衛門が大阪で刃傷沙汰を起こし、弟の豊島平八郎が絵島に助力を求める。弟の妻お 艶は、かつての恋人平田彦四郎の妹であった。久しぶりに会ったお艶の顔には、平八郎に突き飛ばされたために負った火傷の跡があった。 お艶は、兄彦四郎が妻と別れ、二度と他の女性と結婚する意思はないことを絵島に伝える。絵島は動揺する。また、平八郎がかつて絵島と 見合いをした稲生文次郎に、絵島に会わせるようなことをほのめかしては博打の金をせびっていることも知り、釘を刺す。
お艶はまもなく亡くなるが、絵島と彦四郎はその後ひそかに会うようになる。

家継やお喜代の方(家宣の死後落飾して月光院)に仕える絵島らの周辺には、余録にありつこうとするさまざまな人々が渦巻いていた。 百合の父奥山喜内と妻兼世、豊島平八郎のほかに、いかがわしげな商人栂屋善六らであった。平八郎らは絵島を慰労するための花見や舟遊 びを企画する。絵島は平八郎に金を渡していたが、平八郎はその金を使いこんで、栂屋に出費させていた。

絵島は奉公をやめ、彦四郎と結婚する決意をする。そんな矢先、絵島のまわりは芝居熱が高まっていた。新たに召し抱えた藤枝という女 が芝居通で、まわりの女たちを煽ったのだった。月光院の許可を得て、墓参りにかこつけて芝居見物に行った絵島たちだが、酔いつぶれる 者などがいて、城に帰る時間が遅れる。それも暗黙の了解で許されるはずだったが、警護の役人らと藤枝が小競り合いを起こし、事件が明 るみに出てしまった。このほか、絵島と歌舞伎役者生島新五郎が帯を交換し合ったことや、商人たちが絵島らに莫大なつけとどけをしてい たことなどが次々に問題になり、絵島のほか多数の人々が罪に問われる。絵島の兄平右衛門と百合の父喜内は死罪、奥山交竹院、生島新五 郎、平田彦四郎父子らは流罪となる。絵島も高遠に流される。

裁きが異例の速さで行われ、連座者がおびただしく出たことについては、裏で糸を引いているものがあった。藤枝は天英院熈子の間者で 稲生家とも結びつきがあった。家継と月光院をひきおろそうとする天英院や紀州吉宗、また新井白石や間部詮房に反感を持つ林派などが結 託して絵島らを陥れ、勢力の逆転を狙ったのだった。

百合は絵島を追って高遠へ行き、身分を偽って絵島に仕える決意をする。弟千之介と、交竹院の門弟香椎半三郎も交竹院のいる御蔵島へ 渡る。交竹院が貧しい島の人々の力になり、信頼されている様子を、二人は手紙に書き送る。
高遠で再会した絵島は、自分の軽率を悔やみ、自分たちの巻き添えとなって無実の罪に落とされた多数の人々への慙愧の念にあふれてい た。百合が監視の目を盗んで、決まり以外の食べ物や、江戸から持って来た綿入れなどを渡しても、絵島は決して手をつけず、厳格な規制 を守って尼のように暮らしていた。
絵島は百合にも江戸へ帰るようにと言うが、百合は言を左右にして帰ろうとしない。幼いとき、千之介の足が不自由になったことを悔い る百合に、絵島は、悔いて許されない罪などないと言った。百合はその言葉を絵島に返したい気持ちだった。

五年たち、香椎半三郎が高遠にやってくる。交竹院が亡くなったのだった。半三郎は、高遠で医院を開業し、百合と所帯をもちたいと話 す。百合は、絵島に仕えることは変わらないが、それでもよければと承諾する。百合と半三郎は絵島が幽閉されている囲み邸の近くに所帯 をもち、睦まじく暮らす。

絵島は高遠に流されて二十八年後、六十一歳で亡くなった。百合夫婦は絵島の墓を守って高遠で暮らしたものと思われる。



小説の前半は、百合や絵島が持ち前の才気と明るさを生かして、家宣とお喜代の方のもとで自由闊達に、心をこめて働く姿が描かれてい ます。華やかな大奥でありながら、もともと町娘だったお喜代の方のまわりは、堅苦しくなく、気さくな信頼感に満ちていました。

けれど、門限違反事件を機に、絵島らの運命は暗転してしまいます。作者の杉本さんは、さまざまな勢力対立の結果のほかに、絵島らは 江戸っ子気質でさっぱりしているが大まかで単純、それに対して天英院側は京女でかためていて、優雅なようでいてそつがなく、策略の面 では一枚上手だったという見方をしています。

いずれにしても、将軍というひとりの権力者に複数の妻がいれば、お互いがライバルになってしまうのは必然的ですし、それぞれをかつ ぐ勢力がふくらんでいくこともありかちなことです。平安時代に帝をめぐる妃たちをめぐって貴族たちが権謀策術をめぐらしたのと、構図 としては全く変わっていません。その歪んだ一夫多妻制こそがそもそも悲劇を生む元凶でしょう。絵島たちの、現代でも理想的に思える知 的で生き生きした職場の基盤が、権力闘争の中にあえなく潰え去ってしまうことはとても残念です。

ただ、絵島にしても百合にしても、働く喜びとして現代とは明らかにちがう意識が見られます。それは、よき主人に仕えるということに 対する喜びです。絵島は月光院に、百合は絵島に、一生を捧げても悔いないほどの仕える喜びを見出しています。絵島は高遠に流されるこ とによって、月光院に仕えることが許されなくなってしまいましたが、百合はなおも絵島に仕え続けます。おそらく百合にとって、絵島が 失脚しようと罪人となろうと、一生を捧げて悔いない主人だったことにはなんら変わりがなかったにちがいありません。

それでも、香椎半三郎という伴侶を得たことを、百合のために喜びたいと思います。杉本さんは、百合の同僚の若江や俊也といった女性 たちについても、それぞれ結婚させたり家を継がせたりしています。不幸な末路をたどった人々が多い中で、これらのエピソードはほっと 心が温まるもので、杉本さんの優しさを感じさせます。


杉本さんについてもうひとつ特徴的なのは、食べ物についての描写がとても魅力的なことです。質素な食事でも、杉本さんの筆にかかる と、すべて旬の美味になってしまいます。

たとえばこの小説の中では、西瓜やまくわ瓜の寒天寄せのお菓子が出てきます。切り子の器に盛られた、それ自体ギヤマンのような寒天 に、果物の芳香がほのかに漂う、といった描写で、思わず、一緒にお相伴できたらと思ってしまうほどです。


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