四の君(田辺聖子著「舞え舞え蝸牛−新・落窪物語−」(文春文庫))   



「でも世間には、ちょいちょい、あるんでしょ。親の知らぬうちに、美しい公達が、姫君を盗みにくる、というような。私、「伊勢物 語」の芥川みたいなお話が好きよ・・・」



「舞え舞え蝸牛―新・落窪物語―」のあらすじ

中納言家には、現在の北の方の子供たちと別に、母君が亡くなったために邸に引き取られてきた姫君がいた。年頃になると、姉妹た ちより美しく賢くなっていく姫君に、継母の北の方はねたましさを覚え、子供たちと引き離して粗末な着物を与え、縫い物をさせて半 分下女のようにこき使う。床が落ち窪んだ粗末な部屋にいたために、姫君は落窪の君と呼ばれていた。

毎日何の楽しみもなく、暗い日々を送る姫君だが、小さいときから側に仕えていた阿漕という侍女はいつも姫君の味方だった。姫君 を大切にしてくれるような相手が見つかれば、姫君はこの生活から逃れて幸福になれると信じ、恋人の帯刀(たちはき)とともに、帯 刀が仕える右近の少将に姫君の存在を知らせる。初めは好奇心から姫君に近づいた少将だったが、姫君と心から愛し合うようになる。

ところが、帯刀の不注意から、北の方は姫君に身分の高そうな恋人ができたことを知ってしまった。北の方は怒り、姫君を監禁して 見張り、自分の叔父で好色な医師の典薬の助を近づけようとする。姫君と阿漕、少将は、力を合わせて危機を逃れ、北の方の虚をつい て姫君を邸から救い出す。姫君は右近の少将の妻となり、裕福な邸に迎えられて少将の愛を一身に受け、幸福になる。

しかし、少将と阿漕は、北の方に復讐をしないと気持ちが治まらない。北の方が、娘の四の君と右近の少将の縁談をすすめているこ とを利用して、四の君に思いをよせていた従弟の資親とかけおちさせてしまう。資親は身分が低く、容貌も優れていないので、中納言 家は大恥をさらすことになった。また、阿漕は中納言家の侍女や家来に声をかけて、右近の少将のもとで仕えるように引き抜いてしま う。中納言家は人が減って淋しく、また、よくないことばかり起きることを不思議に思う。

最後に、阿漕は右近の少将(その時は新中納言)夫婦とその若君を、中納言、北の方に再会させる。中納言は、行方不明になってい た娘が無事で、幸福そうな様子を涙ぐんで喜ぶ。四の君と資親にも子供が産まれて、幸福に暮らしていた。北の方は阿漕と少将の復讐 を怨み、心を開かずにいたが、姫君と四の君のとりなしで、気を取り直す。



古典の「落窪物語」に、田辺聖子さんがいきいきと現代によみがえらせたすばらしい作品です。おっとりとしていながら賢い姫君、 頭の回転が速くて気が強く、姫君に忠実な阿漕、明るくて気さくで、利かん気の右近の少将、陰湿ながら辣腕の北の方など、どの人 物も実に生き生きとしています。もとの話にあった執拗な復讐劇も、田辺さんはさらりとしたものに変えて、現代の庶民にも愛され るような物語にしました。

とりわけ出色なのが、四の君と資親のエピソードだと思います。四の君は物語のような恋に憧れる美少女、資親は馬面で身分が低 く、朴念仁ですが誠実でデリケートな人柄となっています。資親は美しい四の君をかいま見て憧れ、彼女を得て大切にしたいと願う ようになります。四の君は、親の決めた縁談に心が弾まなかったのですが、少将ではなく資親が現われ、彼女への愛を誓ったことに 心を動かされ、彼と共に邸を出て行きます。四の君が資親の愛と誠意を受け入れる場面は、何度読んでも胸にしみます。

四の君は、姫君に似て美貌ながら、夢見がちで、どこか世の中の他の女性と変わっていたということでした。姫君とは逆に、結婚 してからはやや裕福でなくなったようですが、最後の場面では子供を抱いて幸福そうな様子で再登場します。きっと、資親との愛は 一時的なものではなく、お互いに理解しあった夫婦だったのでしょう。まじめな資親は浮気をすることもないでしょうし、四の君の 影響で少しは洗練された人になったかも知れません。

脇役の四の君と資親にまで、いきいきした性格と幸福な未来を分け与えた田辺さんの人物造形力、そして登場人物にそそぐやさし さに、深い敬意を覚えずにはいられません。


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