「玉川兄弟」の男たち−1(若手篇)(杉本苑子著「玉川兄弟」(文春文庫))  



彦太「旦那こそ、お腰のものの新調が痛ごとだったでしょう。こんどはポキンといかねえ鍛えのいいやつをお求めになりやしたかね?」

栄三郎「話題にしなくたっていずれ雨季はきます。お天道さまのなさることに、手かげんはありませんからね」

波之助「むりじゃない、そのつもりできたんです。一人で江戸にほっとかれるより、泥ンこまみれになったって親方のそばにいられるほ うがいいから、働く覚悟でいたんですよ。それをまるで、遊山気分ででも来たみたいに叱ったからって、承知できません」

中尾欣之助「ここは公儀ご用の普請場です。どのようなわけがあれ、一時の怒りにかられて刃傷沙汰に及ぶなど、ご軽率ではありません か」



「玉川兄弟」のあらすじ

少年公方家綱の時代の江戸では、人口が増えたのに用水が十分でなく、庶民は水不足に苦しんでいた。幕府は上水の工事を行わせることに し、土木業者たちに見積りを出させる。その中で、枡屋庄右衛門の出した六千両の見積りは、よい材料を使ってかつ利益を含まないもので あり、採用される。ただし、幕府はこの工事は民間から願い出たという形式を取り、不慮の事故などで六千両を越える金額が必要となった 場合でも余分の金額は出さないことにしていた。関東郡代の伊奈半十郎は、見積りの精度を検証するためにその場に呼ばれ、枡屋の案を良 心的と推したが、金の出し方については批判を口にする。

枡屋庄右衛門は三十一歳。武州羽村の生まれで、多摩川の水に育てられたといってもよかった。多摩川の水を江戸市中に引きこむという計 画を聞き、この仕事は他人には渡せないと意気込む。弟で、工事の人足を管理する割元の清右衛門とともに、水の取り入れ口をどこにする か検討する。第一案は日野、第二案は福生と決まった。 幕府の閣僚の一人松平伊豆守信綱は、玉川上水を自領の川越藩に引き込むことをもくろんでいた。水の取り入れ口を羽村にすれぱ実現でき るため、信綱は羽村出身の庄右衛門に工事を行わせたいと思っていた。これは玉川上水の開鑿に便乗するともとられるが、信綱の家臣で土 木工事にくわしい安松金右衛門によれば、取水口を羽村にすれば江戸市中にも川越藩にも十分な水が配水できるという。 庄右衛門の案は日野と福生で、羽村ではなかったが、信綱と安松は取水口を変えさせるような働きかけを始める。

枡屋が工事を請け負うことが決まると、さまざまな欲が渦巻き、庄右衛門を取り囲む。取水口を自分のところにして利益を得ようとする日 野・福生の村役たちは、賄賂を贈ったり相手の村について工事に適さないという讒言をしたりする。羽村の実家の父は、羽村を取水口に選 ばなかったことに腹を立て、資金の援助を断る。仲間の土木業者の妬みも受ける。そんな中、庄右衛門は安松が書いた精密な実測図を見せ られ、取水口を羽村に変える案をもちかけられる。プライドも手伝い、庄右衛門は安松の提案をにべもなくはねつける。

伊奈半十郎は、まめに領地をまわって民衆の声に耳を傾け、幕府と民衆の間の誠実な橋渡しになろうとする良吏であった。その代わりに、 幕府の閣僚であれ民衆であれ、私利私欲に走るものに対しては容赦しない。庄右衛門ははじめ伊奈を煙たく思ったが、玉川上水の普請につ いての初心、水不足に苦しむ江戸の町民に多摩川の清らかな水を配りたいという心を忘れて、欲に巻き込まれては、この大事業の完成はお ぼつかないと諭される。庄右衛門は心を打たれ、迷いが吹っ切れる思いがする。

日野・青柳村での普請が始まる。その工事で負傷した源次という組子が破傷風で死んだ。若い組頭の彦太は責任を感じて悔やむ。源次を葬 った場所について、上級役人の中条理太夫に咎められ、あわや乱闘になりそうになる。伊奈半十郎の若い書役中尾欣之助らが間に入ったこ ともあり、伊奈の両成敗によって決着する。
工事は順調に進むかに見えたが、あるところで断層にぶつかり、中断せざるを得なくなる。庄右衛門は日野について福生の農民たちが口に していた口碑「悲しみ坂」の伝説を苦々しく思い出す。やりきれない思いで酒を飲み、酌婦の小芳と一夜を過ごす。商売に似合わない、か いがいしく無欲な小芳に心が慰められる。伊奈半十郎も工事を第二案の福生に変えるために、閣僚の間を奔走し、追加の資金を出す許可を とりつけようとしていた。庄右衛門は気を取り直して福生へ向かう。

福生では着工を祝っての酒宴が行われていた。庄右衛門と清右衛門がそこに赴くと、江戸から清右衛門を追って、小姓の波之助が来ていた。 陰間上がりで、清右衛門に寵愛されている美少年の波之助は、普請場の空気にそぐわず、清右衛門は追い返そうとするが、波之助は言を左 右にして帰らず、居着いてしまう。
福生の普請場で、たちの悪い夏風邪が流行り、組子たちが次々と倒れる。清右衛門も無理がたたり、瘧を併発してしまった。波之助はかい がいしく看病する。

そんなさなか、掘り進める先に岩盤が立ちふさがる。日野のように、ここにも「水食らい土」の口碑が伝わっていた。衝撃を受ける庄右衛 門たちをなだめ、江戸に向かった伊奈は、ほどなく腹を切る。しかし、それは単に工事の責任をとるというだけでなく、松平伊豆守信綱の 案に切り替えて羽村での普請を行うためでもあった。工事をすみやかに再開し、資金を幕府から出させるために、伊奈の死は絶大な効果が あった。羽村を取水口にするという案も、玉川上水の開鑿に便乗するというわけではないことがわかった。伊奈の死を受け、庄右衛門、松 平伊豆守、安松らは心を一つにして工事を再開する。羽村の庄右衛門と清右衛門の父も、今度は援助を惜しまない。

流行り風邪は、医師井沢蘭考の熱心な治療の成果もあって、梅雨明け頃からおさまっていた。しかし、年老いた組子の幸衛右門は、若い者 のような抵抗力がなく、亡くなった。死の前に、今までつましい暮らしをしてためた金を娘に渡してほしいと言付ける。その娘は酌婦の小 芳で、若い頃道楽者だった幸衛右門が金に困って売り飛ばしてしまったのだった。庄衛右門の口添えで、小芳は酌婦をやめ、幸衛右門の残 した金を元手に物売りをすることになる。
しかし、府中で小芳に一方的に熱をあげた若い百姓が、羽村まで小芳を追ってきて、無理心中のような形で小芳を刺し、自分も死ぬ。小芳 は、駆けつけた庄衛右門の腕の中で死んでいく。

安松を加えた上水の工事は順調に進み、病から回復した清右衛門も加わる。その頃、公儀から下げ渡された六千両の資金が尽きる。二千両 ほどの不足が出ていたが、公儀は追加分を出す意思はない。実家の父から五百両を借りることにする。そこへ、伊奈家と松平家からもそれ ぞれ五百両を個人の資格で貸すと伝言が届く。庄衛右門は、店を売って残りの五百両を作ろうと決意する。江戸の町民に多摩川の水を届 けるためにすべての手を尽くすつもりだった。

承応二年十一月、江戸の四谷大木戸までの上水路が完成し、試水が試みられた。庄衛右門、伊奈半左衛門、松平、安松らが四谷で待ち受け、 羽村で清衛右門が水門を開く。通過点を次々に通りぬけ、羽村の水は四谷大木戸に達した。どよめく群集の中に、庄衛右門を祝福する同業 者たち、妻の佳寿など、多くの人々の姿があった。


「玉川兄弟」の登場人物はたいへん多くて、それぞれ個性的で魅力ある人たちなのです。ここではまず、いずれも前途ありそうな若者た ちについて。

彦太は清右衛門の組下の若い組頭です。清右衛門はきっぷがよくて親分肌、組子たちの人望が厚いのですが、兄の庄衛右門に比べるとやや 気が早いところがあります。彦太の性格は小型の清右衛門といったところがあり、粗忽なところは清右衛門に輪をかけていて騒々しいので すが、やはり親分肌でもあり、組子の源次が怪我をして、その手当てがずさんなために破傷風で亡くなった時はあとまでひどく悔やんでい ます。源次のこととなると、こわもての侍中条も怖くなくなるほどです。源次の遺骨を埋める場所について中条と争いになった時、彦太は 1ヶ月給金を差し止められ、中条は中尾欣之助に刀を折られた上、江戸へ戻らされます。あとで再会し、憎まれ口をたたく中条に対して彦 太が負けずにやりかえしたのが冒頭のせりふです。なかなか小気味よい応報ではありませんか。
伊奈半十郎自裁の急報を聞いたとき、庄衛右門は熊川から伊奈の屋敷のある江戸へ駆けつけます。伊奈の死に動揺し力の抜けてしまう庄衛 右門に対し、彦太は、自身も強い衝撃と悲しみにゆすぶられながら、懸命に庄衛右門を励まします。庄衛右門も、相手が彦太でなかったら それほど動揺したところを見せられなかったかも知れません。明るくおっちょこちょい、人情にあつく、頭の回転も速い彦太は、よき江戸 の「兄い」の典型といえるかも知れません。

栄三郎は庄衛右門の店の手代で、清右衛門の組子たちなどと比べると対照的におとなしく、陰気に見えるほどだということです。しかし、 予期せぬ地形による工事の頓挫が起きても動じず、それによる損失をすばやく計算するほど、何が起きても動じない冷静さと数字への強さ をもっています。公儀からの資金が切れること、そしてその直前の公儀の様子から、不足分を出す意思がないことをいち早く予測するのも 栄三郎です。庄右衛門にとって片腕ともいうべき、なくてはならない存在ですし、若いに似合わぬその沈着さは、小説の中でもいぶし銀の ような異彩を放っています。

中尾欣之助は関東郡代伊奈半十郎の若い書役です。この人も落ち着いた人で、さきの中条と彦太の争いがあった時は冒頭の言葉で仲裁に入 り、逆上した中条に殴られてしまいます。群衆の中で殴られる辱めを受けた場合、武士としては果たし会うのが普通らしいのですが、中尾 はそうせず、中条の刀を石の間に差し込んでねじ切ってしまいます。その方が武士の魂である刀を傷つけたことになり、仕返しとしてはは るかに痛烈だということです。結果的にも、中条と果たし会えばお互いに自裁しなければならなくなり、工事作業への影響や周囲への反響 は甚大ですから、とっさの行動とはいえこの行動がもっとも効果的で、処罰も軽くてすむ方法でした。この時の中尾は、伊奈のもとで働く 同じ武士同士だからというような理由で中条の肩をもつことはせず、彦太と中条に公平に対していますが、それも立派だと思います。 中尾は、伊奈に部下たちがすべて(中条も含め)そうであるように、伊奈を敬愛し、その手足となって骨身を惜しまず働きます。伊奈半十 郎の死後、その打撃を克服して、上水の竣工のために力を発揮したひとりです。

彦太、栄三郎、中尾はそれぞれの上司の懐刀のような腹心ですが、波之助は彼らとはいささか異なる存在です。彼はまだ前髪の少年ですが、 子供の頃から陰間として生活し、さまざまな苦労をなめ、猟奇的な体験さえも経ています。清右衛門は、当時の伊達者の流行りに習って波 之介を小姓にして、夜の相手も務めさせようとしたのですが、清右衛門は「どうも子供は性が合わない」と感じ、波之助を自由にしようと します。ところが波之助は清右衛門を愛してしまっていて、そばを離れようとしません。とうとう清右衛門を追って普請場に押し掛け、居 着いてしまいます。けれど、組子たちのためになまずを大量に釣り上げて食事に供したり、洗い物の雑用を手伝ったり、風邪に倒れた清右 衛門を看病したり、普請場での彼の働きはめざましいもので、その場に必要なことや、自分にできることを的確に見抜いていて、庄右衛門 にも「波之助ってやつはなかなか巧者だな」と、呆れ半分ながら認めさせています。小説の初めの方では、華やかな振袖に薄化粧で、娘よ りも色っぽい波之助ですが、庄右衛門の息子が同業者の手下に怪我をさせられたときは怒って、泥まみれの無残な姿になりながら一人をと りおさえたりもしています。単に美しいだけではなく、愛する人のために親身に尽くし、手を汚すことをいとわない波之助なのです。
ただ、美少年の波之助もだんだん大人になっていくわけですし、いつまでも清右衛門のお飾り小姓でいるわけにもいかないのでしょう。普 請場に来てから、彼は亡くなった組子の源次の母お慶と親しくなり、息子の代わりのように、まめまめしくその仕事を手伝ったりしていま す。お慶はまた、庄右衛門の愛人だった小芳の小さな娘をひきとり、育てていくことにします。身寄りに縁の薄いこの三人が、肩を寄せ合 って一緒に暮らしていくのではないかという予感もします。波之助は才覚のある少年ですし、小芳がはじめた物売りを引き継いで、うまく やっていけるのではないでしょうか。


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