清少納言(田辺聖子著「むかし・あけぼの」(角川文庫))  



「あたしは日ごと夜ごと、人をいい負かして喜んでるように思われるかも知れないけど、これでもけじめをつけて、あと先をようく見 てるわよ。決して人を傷つけるような、無思慮なことはいってないし、しないわよ。何しろ、いつも何ンかかンか、やらかすから、い ちいちについておぼえてはいないけれど、でも、大本の心持としてはそうよ。――人をいやな気持にさせたり、憎しみを買ったりする ようなことは、決してしなかったつもりよ」



「むかし・あけぼの」のあらすじ

海松子(みるこ、のちの清少納言)は平安時代の歌人として名高い清原元輔の娘。父を慕い、父との会話の中で感受性を磨いた。年 頃になって父の勧めで結婚した橘則光は、気のよい男だがもののあわれを解さず、海松子には物足りない。それでも、則光の子供を育 てながら、海松子は、心にひらめく思いを感じるままに草子に書きつけていく。やがてそれが、女友達の弁のおもとを通じて、定子姫 の目に止まる。姫は時の権力者藤原道隆の娘で、即位したばかりの一条帝に入内することになっていた。輿入れするときについていく 女房として、海松子にも宮仕えの誘いがかかる。初め則光は反対したが、結婚して10年たつ頃、子供たちも大きくなり、則光には親 戚の娘が新しい若い妻となって、海松子とは別の生活が始まっていた。則光は今までの10年の生活に対して海松子に感謝し、あとは 自分の生きたいように生きることをすすめる。

海松子は清少納言となって、中宮定子に仕える。清少納言より10も若い定子は、美しく教養が高く、明るい性格だった。清少納言 はたちまち定子に魅了され、彼女にもっとも愛されるようになりたいと願う。定子も、頭の回転が早くて感性の鋭い清少納言が、自分 に対しては忠実で純な心を寄せていることをよく理解し、清少納言をそば近く仕えさせ、引き立てる。定子の兄伊周、中将藤原実方、 源経房らの貴公子たちとの、華やかで知的な交流も、清少納言の心をときめかせるものであった。

しかし、やがて定子の父道隆が病死し、続いてその弟道兼も死んで、末弟道長が右大臣となる。定子の兄弟は政争により地位を追わ れてしまう。定子と一条帝の愛情と信頼は変わらず、定子は女児と男児を生む。清少納言らも定子を引き立て、華やかで明るい雰囲気 を保とうとする。しかし、道長はやがて、長女彰子を一条に入内させる。彰子はまだ若く、一条と定子の間に割って入ることは難しそ うではあったが、道長の娘である彰子の周囲は華やぎを増してくる。

一方、清少納言には新しい恋人がいた。藤原棟世という貴族で、彼女よりずっと年上であり、余裕をもって彼女を可愛い少女のよう に扱う。どこか、亡くなった父元輔を思わせる。棟世の娘は清少納言に憧れ、宮仕えを望む。彼女と清少納言は、かつて元輔と海松子 のように心が通い合う。棟世の娘が宮仕えしたいのは、定子ではなく彰子のサロンだった。清少納言は寂しさを覚えながらも、これも 時の流れと思い、宮仕えへの口利きをする。

やがて、定子は三人目の子供(女児)を出産し、それがもとで亡くなる。清少納言をはじめ、人々は悲嘆にくれる。清少納言は宮廷 を退き、津の国で棟世と暮らす。そして、「春は曙草子」に、中宮との思い出や、さまざまな美しいものへの思いを書き留めることに 生きがいを見出す。棟世の娘も、清少納言のつてで宮仕えが決まった。

その後棟世は亡くなり、老いた清少納言は尼となって暮らす。さまざまな人が亡くなっていた。清少納言にも昔の面影はなく、その 凋落を無礼な若い公達に嘲笑されるが、彼女の誇りは衰えていない。「春は曙草子」によって、中宮定子は永遠に年老いることなく、 いつまでも美しく聡明なまま生き続けていることが、清少納言の喜びであった。



清少納言を嫌いな人をときどき見かけます。多くは、紫式部日記にあるような軽佻浮薄、目立ちたがり、また、身分が低い人に対す る蔑視を理由にしているようです。けれど、紫式部は中宮彰子に仕えていて、先に定子の女房として名高かった清少納言に対するライ バル意識もあったでしょうし、日記の中で清少納言を悪く書きながら、自分については存分に自慢しているようなところがどうもいた だけません。私は、この小説にあるように、清少納言は前向きで明るくて、定子に対してどんな時でも純な思慕の気持ちを失わない人 だったように思えてなりません。家庭だけに満足せず自分の活躍の場を求めるところや、自分が最も愛する人から自分も「一の人」と 思われたい、という気持ちは、現代の私たちにこそよくわかるのではないでしょうか。

田辺聖子さんの清少納言を見る目の温かさも、この小説の好きな点のひとつです。清少納言と父元輔の仲のよさは胸にしみて、元輔 が亡くなった時の清少納言の悲しみが自分のことのように感じられます。定子が亡くなったのち、藤原棟世が亡き元輔を思わせる様子 で清少納言を愛しむところも心を和ませてくれます。

即物的で情緒のない則光や、乱暴者の兄致信もユーモラスでかわいげのある男たちとして描かれ、彼らなりに清少納言のことを心配 したり、意見をしたりしています。則光の子で、法師となった末っ子を致信が清少納言のもとに連れて来て、清少納言がその成長ぶり に涙ぐむと、「お前も涙もろくなったな。鬼の目に涙だ」と致信が笑う場面が好きです。

清少納言が定子と過ごしたのは7〜8年ほどで、彼女の一生のほんの一部に過ぎませんが、定子と出会ってからの彼女の人生は定子 で満たされています。そのことを思うと、清少納言は充実した人生を生きる力をもっていたといってよいでしょう。


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