ロワゼル氏…ギー・ド・モーパッサン著「モーパッサン短編集(ニ)」より「首かざり」(青柳瑞穂訳・新潮文庫)



「ともかく、お友達のところへ手紙を書くほうがいい。首かざりの留め金をこわしたから、修繕にやったという意味のことをね。そうす れば、まだ余裕があるから、そのあいだに工作するとしよう」



「首かざり」のあらすじ

文部省の小役人の妻マチルド・ロワゼルは、垢抜けた美しい女性だったが、いわゆる玉の輿に乗るような縁がなく夫と結婚した。結婚 してからも、自分の美貌や優雅さは、ぜいたくで洗練された生活に似つかわしいと思い、今の生活が惨めに思えてたまらない。

ある日、夫がマチルドを喜ばせようと、文部大臣邸で催されるパーティの招待券を手に入れてきた。マチルドは着ていくものがないか らと出席を断るが、夫に新しいドレスを作る金を出してもらい、出席することにする。ただし装身具までは手が回らないので、女学生時 代の友人で裕福な生活をしているフォレスチェ夫人に、ダイヤモンドの首かざりを借りた。

 パーティの場ではマチルドは際立って美しく、あらゆる男性に注目されて、甘美な快楽に酔いしれて踊る。しかし、家に帰ってみると、 借りた首かざりをなくしたことに気づき、愕然とする。手を尽くしたが見つからず、マチルドと夫は、借りた首かざりにそっくりなもの を探し出して借金をして買い、フォレスチェ夫人に返す。

 マチルドと夫は借金の返済のために生活を切り詰め、マチルド自身も家政婦の仕事に出たり、買い物を値切ったりしなくてはならなく なった。生活は一変し、マチルドは貧乏暮らしが身について、優雅さを失って荒っぽいおかみさんのような外見に変わってしまう。それ でも、その発端となった大臣邸でのパーティは彼女にとって夢のようななつかしい思い出だった。

 10年が過ぎて借金の返済も終わった時、マチルドはフォレスチェ夫人に再会する。マチルドの変わりように驚くフォレスチェ夫人に、 マチルドは初めて首かざりをなくしたことを打ち明ける。フォレスチェ夫人はすっかり驚いてしまい、実は首かざりは模造品だったと打 ち明ける。

 


 モーパッサンの短編集には、よくも悪くも性格のはっきりした女性と、その女性にふりまわされる男性が多く登場するように思います。 特に、都会暮らしを扱った作品に顕著で、「首かざり」もそのひとつです。結末を見ているとあまりにも救いがないと思われるものも多 く、「首かざり」の夫ロワゼル氏も、極端に言うと妻の虚栄心のために借金をしてひどい目にあったともいえますが、この夫婦は離婚も せず、いっしょに働いて借金を返しているので、まだましな方ともいえます。

 せっかくパーティの招待券を手に入れたのに、着ていく服や装身具がないと暗い顔をする妻をなだめて、お金を出したり知恵を出した りするロワゼル氏。その挙句首かざりをなくしてしまったマチルドに対して言った言葉が冒頭のものです。えらい災難にあって自分自身は 疲労困憊しながらも妻を責めたりせず、一緒になって苦労する彼は、人としてのスケールは小さいし地味ですが、なかなか男らしい、と 思ってしまいます。マチルドの多少の虚栄心やわがままも、かわいいと思って愛していたのでしょうか。こんな夫婦であればこそ、モー パッサンもあまり悲惨な結末にはしなかったのでしょう。

 私は中学生の時初めてこの作品を読み、せっかく夫が喜ばせようとしてくれているのにマチルドはわがままだからバチがあたった、と 思ったのですが、今はもう少し彼女に同情的になっています。めったにない社交のチャンスであるパーティに、自分の最高の美しさで参 加したい、と思うのは女性として自然な感情で、そう責められるものではないでしょう(責められるのは、首かざりをなくした不注意と、 素直に友人に告白できなかったこと)。だからこそ、彼女は、変わり果てた10年後にも、パーティの夜のことは美しい思い出として、 悔いなく思い出すことができたのでしょう。フォレスチェ夫人に首かざりの一件を話したあとも、彼女は「あなたは気づかなかったのね。 ふふん!、むりもないわ、そっくりだったもの」と、得意げににこにこ笑っていたとあり、やはり憎めない無邪気さがあるようです。借 金も返せたのだから、また美貌をみがいて夫を喜ばせてあげればいいのに。

 マチルドは10年の生活で変わってしまったのですが、ロワゼル氏は相変わらず役所づとめで、おそらく、首かざりをなくす前とあま り変わっていないのではないかと思います。愛する人にふりまわされることができる人は、本当は強いのです・・・。


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