シェークスピアの男装する女性たち−1 ポーシァとジェシカ(中野好夫訳・岩波文庫「ヴェニスの商人」)



ポーシァ「これこれ、もし奥様が側にいて、そんな話を聞けば、あまり有難いとは申されんだろうな、きっと」

ジェシカ「晩づくしの言いっくらなら、絶対に私負けないけど」



「ヴェニスの商人」のあらすじ

 ヴェニスの商人アントーニオは、親友バッサーニオのために、ユダヤ人の高利貸しシャイロックから3000ダカットの借金をする。 バッサーニオは女富豪のポーシァに求婚したかったが、財産を蕩尽してしまい金がなかった。アントーニオは商船が航海中で手元に現 金がないので、やむなくシャイロックに借りることにしたのだった。しかしシャイロックは、アントーニオが日頃彼を軽蔑して、かつ 無利子で人に金を貸し、自分の商売の邪魔をすることを恨んでいた。シャイロックは、金が返せない場合は、アントーニオの身体のど こからでも肉1ポンドを切り取ることができるという証文を作る提案をする。バッサーニオは止めるが、財産に不安のないアントーニ オは証文を受け入れる。

 ポーシァにはたくさんの求婚者がいたが、父の遺言で、自分で夫を選ぶことができない。金、銀、鉛の箱の一つにポーシァの肖像画 が入れてあり、肖像画の入れてある箱を選んだ者がポーシァの夫になると決められていた。求婚者のうちモロッコの王は金の箱、アラ ゴンの王は銀の箱を選び、いずれもその中に肖像画はなく、ポーシァのもとを去って行く。バッサーニオは鉛の箱を選び、そこにポー シァの肖像画を見出し、ポーシァの夫と決まる。金や銀などの表面の美しさに惑わされないものがポーシァの夫にふさわしいという理 由だった。相愛となっていたバッサーニオとポーシァは喜び合う。バッサーニオの友人グラシアーノと、ポーシァの腹心の侍女ネリッ サも夫婦となることに決まった。

 一方、アントーニオやバッサーニオの他の友人ロレンゾは、シャイロックの娘ジェシカと愛し合っている。ジェシカは父を捨て、キ リスト教に改宗してロレンゾの妻になる決意を固め、父の財産を持ち出してロレンゾと駆け落ちする。シャイロックは金と娘を奪い去 ったキリスト教徒(アントーニオとその仲間)に対して怒りを新たにする。

 ポーシァとバッサーニオのもとにアントーニオからの手紙が届く。船がすべて難破し、財産を失ってシャイロックへの借金が返せな くなったという内容だった。ポーシァは倍の金をバッサーニオに持たせて送り出す。

 シャイロックは証文の権利を強硬に主張し、アントーニオはヴェニスの公爵のもとで裁判にかけられる。形勢は不利であった。 そこに、法学博士ベラーリオの書面をもった若い法学士とその助手が到着し、裁判は彼等に委ねられる。ベラーリオはポーシァの従兄で 、法学士と助手は、男装したポーシァとネリッサだった。二人に気づくものはなく、バッサーニオやグラシアーノは温情判決を懇願し、 シャイロックは権利を主張する。法学士(ポーシァ)は、法を曲げることはできないと言い、シャイロックの言い分を認める。シャイロ ックがまさにアントーニオの心臓近くの肉を切り取ろうとしたとき、ポーシァは、「証文には肉1ポンドと書いてあるが、血を一滴も 与えてはいない」と言い、血を流さずに肉を切り取るようにと注意する。

 愕然とするシャイロックに、ポーシァは逆に、ヴェニス市民の生命を脅かした罪を問う。アントーニオは、ジェシカとロレンゾの結 婚を許し、財産を譲ること、また、キリスト教に改宗することを条件に、シャイロックを許すように公爵に願い出て、認められる。

 バッサーニオたちはポーシァに礼をしようとするが固辞され、それでもと言ううちにポーシァはいたずら心を起こし、バッサーニオに 自分が贈った指輪を所望する。バッサーニオは困り果てるが、アントーニオにも懇願されてついに指輪を渡してしまう。ネリッサも同 じように夫グラシアーノから指輪を取り上げる。

 ポーシァの邸宅で、アントーニオの友人たちは、アントーニオの無事と、ロレンゾとジェシカの結婚が許されたことを祝福する。 しかし、バッサーニオとグラシアーノは、妻たちから、指輪を手放したことを責められる。平身低頭でわびる彼らに、ポーシァとネリ ッサはその指輪を見せて、名裁判官が現れたことの種明かしをするのだった。



 有名な戯曲ですが、ポーシァの機知やジェシカの果敢さに比べて、男性たちが凡庸であまり魅力がないと思います。アントーニオは 潔いですがやや軽率、バッサーニオやグラシアーノは女性たちに愛を誓いながら、法廷では、「アントーニオの命に比べれば、妻も 貴いとは思えない」という発言をして、裁判官に仮装したポーシァに冒頭の言葉で咎められます(ここは、笑いの起きるシーンでしょう) 賢いポーシァがこんなバッサーニオのどこを好きになったのかよくわからないのですが、膨大な財産を持つ彼女が無事にそれを守るために は、彼女にぞっこんで、その掌の上で踊っているような男性でちょうどよかったのかも知れません。(発端となったバッサーニオの借金 に対して、ポーシァは「それっぽちの借金、二十倍にして返すだけのお金差上げますわ」と言っています。ここも笑いの起きそうなシー ンです)鉛の箱の意味はなかなか奥深いようです。

 一方、ジェシカはロレンゾと駆け落ちする際に、少年の仮装をしています。ポーシァに比べると規模は小さいですが、これも男装とい えます。女性たちが今までの自分の殻を脱ぎ捨てて、いきいきと生まれ変わって行くシーンに、男装が登場するように思えます。

 美しくて賢く、裕福でもあるポーシァに対して、ジェシカは目立たないようですが、愛する人のためにすべてを捨てる行動力はみごと ですし、ロレンゾとも仲良く、軽妙で対等な会話をしている様子には親近感を覚えます。「ヴェニスの商人」で誰の役を演じてみたいか、 と訊かれたら、それはこのジェシカかも知れません。

 なお、この作品のエピソードは、シェークスピアの完全なオリジナルではなく原話があるということです。関連はないかも知れません が、ポーシァが求婚者たちの悪口を言うシーンは、グリムの「つぐみのひげの王様」を連想させるし、ネリッサとの姉妹のような関係は 「落窪物語」の落窪の姫君と侍女の阿漕の関係に似ているように思います。一般的に受け入れられやすいモチーフなのでしょうか。


「物語の中のともだち」に戻る

「流星何処へ行く」に戻る