津田典子(伊藤整著「典子の生きかた」(角川文庫))   



「叔父さんの家を出るのよ。もう二三日したら、私、一人で働こうと思っているの。その方が、その方が、もっとよく生きていけるよう な気がするんですもの。ね、いいと言って下さいな。私、大丈夫なの。私、ちゃんとしているんですもの」


典子のプロフィール

「婦人たちのくらし」でみたように、典子は昭和十年代に二十歳になっている女性です。小さいときに両親と別れ、伯父夫婦にひきと られた典子には孤児としての翳と、人を頼るまいとする姿勢と、年より大人びた感じがあります。

小説の中の典子は、いつもいたいたしいほどに物事をつきつめるのですが、反面、とっさの判断で人には大胆に見える行動をとったり します。総じて、なかなか他人に理解されにくいタイプのようです。小説を通じても、典子には、友達といえるような相手がなかなかで きません。似たような立場で、思いを寄せていた速雄は亡くなってしまうし、恋人の鈴谷ともほんとうに心が通ったのではなく、別れる 決意をすることになります。最初から最後まで、典子は心を許し会える友だち、恋人にめぐりあえず、孤独の中で張りつめて生きていま す。

鈴谷の描かれ方は少し中途半端で、人物像がつかみにくいのですが、最初の印象では文学青年、しかし実態はあまり物事を真剣に考え るタイプではなく、仕事にも熱意のなさがうかがえます。悪い人ではありませんが、典子とは理解しあえなかったのでしょう。

そんな中で、喫茶店で働いていた典子に、子供たちの家庭教師を懇望する砂田という人が、私は気になりました。周囲の人々も、家庭 教師は口実で、愛人にしようとしているのではないかと疑っていたようです。けれど、いわば若い女性であることを売り物にして働く職 場にいた典子に、家庭教師の資質を見出した砂田は、彼女をよく見ていたと思うのです。子供たちも母がなく、孤児の典子と心が通いあ いそうですし、典子も子供たちを甘やかさず、叱るべき時には叱るように見えます。身寄りのない若い女性が母のない子供たちの家庭教 師になるという設定は、ふと映画「サウンド・オブ・ミュージック」を思い起こさせます。砂田が典子にとってトラッブ大佐になるかど うかは不明ですが、砂田家での新しい生活が典子にとってよき転機になるようにと願わずにはいられません。



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