伊上洪作・宇田先生(井上靖著「北の海」(新潮文庫))   



洪作「他校の知らん奴とぶつかると、いつも勝ちそうな気がする。敗けそうな気はしない。どうして勝とうかと思うだけですよ」

宇田先生「僕はまだ喧嘩で気絶するのも、腕をへし折るのも見たことはない。ぜひ、やってくれ。やって見せてくれ」



「北の海」のあらすじ

伊上洪作は大正十五年に沼津中学を卒業した。静岡高校を受けて不合格だったので浪人生活に入る。一緒に卒業した友達の藤尾、金枝、 木部は京都や東京の大学へ行った。洪作の両親は台北にいるが、幼いときから両親と離れた生活が長かった洪作は、台北に行く気が起こ らない。昼間は卒業した中学の柔道部へ通い、夜は受験勉強をすることにする。柔道部には同じ学年で、落第した遠山がいた。不良っぽ いがさっぱりした性格の遠山と洪作は、以前より親しく付き合うようになる。
ある日、中学で中年の化学教師の宇田に呼び止められ、自宅へ招ばれる。宇田には驚くほど若くて美しい夫人がいて、洪作を歓迎して くれた。宇田夫妻は、卒業しても上の学校にも行かず、勉強しているようにも見えない洪作を心配するようになる。

柔道部に、金沢の四高生蓮見がやって来て、洪作と遠山が相手をする。蓮見は立ち技は全くできないが、寝技か強く、洪作と遠山は手 も足も出ない。蓮見は二人に、寝技とは練習量がすべてを決定する柔道だといい、いっさいものを考えずに高校の三年間を柔道だけに捧 げる生活をしているという。洪作は、強そうに見えない蓮見の不思議な柔道に心を引かれ、四高に入って柔道をすることを考える。
宇田は洪作の両親に手紙を書いていて、返事が宇田のところへ来ていた。両親も洪作を台北へ呼び寄せたいのだが、洪作が親の手紙を ろくに読みもせず、返事も書かないので業を煮やして宇田とやりとりをしているのだった。宇田は、洪作が沼津や金沢にいても勉強など はせず、柔道ばかりやることになると見抜き、台北へ行くことを勧める。夫人によって送別会もされてしまった。

それでも沼津を離れる気が起きない洪作に、蓮見から夏稽古の知らせが届き、洪作は金沢に旅立つ。ほんの二三日行くだけのつもりで 参考書も持たなかった。柔道部の夏稽古は烈しく、洪作は三年生の富野から寝技をみっちり叩き込まれる。一年生の杉戸や鳶とはいつも 一緒で親しくなった。二人とも高校に入ってから柔道を始めたのだが、杉戸のねばりと鳶の闘志は群を抜いていて、いい選手になると期 待されていた。
杉戸や鳶といっしょに、洪作は受験生の大天井を訪れる。彼はもう社会人の年齢だったが、柔道部に入りたいがために何年も四高を受 験しては落ちていたが、柔道の技はすばらしく、柔道部でも早く入学してほしいと思っている男だった。大天井は天狗のような風格があ り、彼といると洪作も気が大きくなっているように思った。
洪作はとうとう夏稽古が終わるまで金沢にいた。柔道部員たちともすっかり親しくなった。帰ったら四高に合格するために猛勉強する 決意で沼津に帰る。

沼津では洪作が行方不明になったと皆が思い、大騒ぎになっていた。宇田や遠山、藤尾らに怒られたり呆れられたりしながら、台北へ 行く準備をする。洪作に思いを寄せていたトンカツ屋の美少女れい子とも別れを惜しむ。
台北へ行く船は、嵐のため揺れた。眠りにつく洪作の頭の中を、四高の寮歌が一瞬よぎって行った。



「北の海」は、著者井上靖自身がモデルになっていますが、洪作の人間像は井上靖そのものではなく、かなり誇張されているようです。 浪人しても勉強せず、お金があってもなくてもあまり気にせず、他人のものも自分のものもあまり区別しないといったずぼらさで、どう も、本人が何か気にする前に、周囲が世話を焼きたくなるタイプのようです。同級生の藤尾は、悪いことも教えたが結局は親代わりにな って洪作の面倒をみたと言っていますし、宇田先生は藤尾の後釜のように洪作の親代わりになってしまっています。体つきも小柄で、少 年の面影を残していたのでしょう。宇田夫人やトンカツ屋の内儀さん、杉戸の下宿の小母さんといった、年上の女性にも可愛がられてい るようです。

ただ、それだけではなく、洪作には人に好かれる何かがあったようです。柔道部の富野が、あっさり立ち技を棄てて寝技の練習に励む 洪作を、素直だといって褒めていたように、さっぱりした思い切りのよさ、悪気のなさなどが表れていたのでしょう。柔道に関しては人 一倍強く、自負もあるのですが、負けたときに恥じたりこだわったりは全くしていません。宇田先生とは別の教師が、「惜しいものだな、 勉強の方もそうだといいんだがな」と慨嘆しているのがよくわかります。


宇田先生はそんな洪作にかなり振り回され、洪作が金沢に行っている間も、台北行きについての準備や、洪作の両親との連絡をしてい ます。すっかり親代わりになっていて気の毒ですが、中学の先生としてのプロフェッショナルが感じられます。洪作が金沢に行く目的を すぐに看破したり、洪作と遠山が学校で喧嘩したとき、少しもあわてずに冒頭の言葉で機先を制したり。めったに笑わず、ときどき人を 笑わせるようなことをいう、人を食ったような先生、というのが洪作の印象でした。それだけ中学生を扱い慣れていながら、洪作のこと では親身になって心配したり怒ったりしています。この先生が出てきてこそ、「北の海」は面白いのだと思います。
よけいなことですが、宇田先生と、いきいきした美しい夫人とがどういう経緯で結ばれたのかも、ちょっと興味あるところです。


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