キクとミツ(遠藤周作著「女の一生―第一部・キクの場合―」(新潮文庫))   



キク「あんたはどなたかは知らん。ばってん清吉さんが崇めとる女たい。女ならうちのこん気持ち、わかってくだされ。おねがいします。 清吉さんば辛か目に会わさんごとしてくだされ」

ミツ「なして、そいのわかるとね。そんなら、あんたの信心しとるこんマリアさまがデウスさまにとりなしてくださるやろ。マリアさま は人間の母しゃんごとあるて、あんたは、いつも言うとったやろが・・・」



「女の一生―第一部・キクの場合―」のあらすじ

キクとミツは、幕末の浦上に住む農家の娘たちで、従姉妹同志だった。キクは勝ち気で美しく、義侠心に富んでいる。ミツはおとなし く素直で、疑うことを知らない。幼いある日、キクは、男の子にいじめられている子猫を助けるために木に登って降りられなくなり、通 りがかった少年に助けてもらう。しかし、彼の住んでいる中野郷の人々は、なぜかキクたちの住んでいる馬込郷からは「クロ」と呼ばれ て蔑まれていた。
年頃になり、長崎へ奉公に出たキクとミツは、かつての中野郷の少年、清吉に再会する。キクは清吉に恋し、彼のところへ嫁ぎたいと 思うが、清吉たち中野郷の人々が、禁制の隠れキリシタンであることを知る。その頃、長崎の大浦教会の神父になったプチジャンは、日 本の隠れキリシタンを探しあて、彼らにひそかに洗礼やミサを行っていた。やがて長崎の役人にも露見し、多数の隠れキリシタンが囚わ れ、津和野をはじめ全国に流刑になる。その中に清吉もいるのをキクは見た。

清吉を助けたいと強く願うキクは、プチジャンに出会い、大浦教会で働く。しかし、神父たちが祈り、母国を通じて日本政府に抗議し ても、清吉たちは釈放されなかった。キクは教会を飛び出し、役人へのつてを求めて、丸山で芸子になって働く。そこには津和野で清吉 たちを迫害する役人、伊藤清左衛門も来た。自分と寝れば清吉を楽にしてやると言われ、キクは伊藤に身を任せてしまう。辛い思いをし ながら、津和野の役人を買収するために、身体を売って金を作った。伊藤はその金を使い果たしてしまうが、キクの手紙や差し入れは清 吉に渡す。清吉にとってキクの存在は大きな希望になる。

伊藤清左衛門はキクの無償の愛に心を動かされるが、清吉への嫉妬も募る。また、迫害に屈しないキリシタンたちへの屈折した気持ち から、ますますキリシタンたちを拷問して棄教を迫る。きびしい気候と貧弱な食事、そして拷問により、棄教したり死ぬものが何人も出 た。しかし、清吉らは信仰をもちつづけていた。

一方、ミツは、奉公先の店の近くで熊蔵という男に会う。中野郷の隠れキリシタンで、奉行所に捕らえられるときに逃げ出したのだっ た。自分を責める熊蔵をミツはかわいそうに思い、慰める。のちに二人は夫婦となる。

キクは、清吉に送る金を作るために身体をさいなみ、労咳にかかってしまう。店にも戻れなくなり、雪の降る日、大浦教会のマリア像 のそばで死んでいく。

キリシタン迫害について、外国から明治政府への非難は高まり、政府は無視できなくなった。キリシタンたちは釈放され、信教の自由 が認められることになる。清吉も長崎に帰り、キクを探すが、彼女はもうこの世にはいなかった。
伊藤清左衛門は、キリシタン迫害の責任をすべてかぶらされ、処罰される。失意の彼は、自分がだまし傷つけたキクが忘れられず、ま た、プチジャンが、神は伊藤のような人を愛しているといった言葉も、反発しながらも忘れられない。

大正二年になってから、老人になった清吉のもとに伊藤清左衛門から手紙が届き、二人は津和野で再会する。伊藤は清吉に、キクに対 する仕打ちを告白し、その後も悪事を重ねながらも洗礼を受けたと打ち明ける。伊藤への怒りが改めてこみあげる清吉だが、伊藤を信仰 に導いたキクの一生は無駄ではなかったと思うのだった。



キクは愛する清吉のために、信仰を越えて愛を捧げます。冒頭の言葉は、キクが清吉からもらったマリア像のメダイヨンに、彼女流の 祈りを捧げる言葉です。信仰に基づいてはいないのですが、必死な愛情と懸念が表れています。キクは伊藤をはじめさまざまな男たちに 身を売って汚れた女になったと自覚し、清吉と結婚する夢も諦めますが、清吉のためにとった行動は後悔していません。清吉に会えずに 死んでいくとき、どんなに無念だったかと思いますが、彼女はその愛のために決して汚れてはいません。現代でも、愛する人が世の中に 偏見をもたれていたら、キクのように自分の身を犠牲にして愛することは難しいのではないでしょうか。
息を引き取ったキクを、マリアが天国にいざないます。キリシタンではありませんでしたが、やはり彼女は天国へ旅立ったことでしょ う。

ミツの冒頭の言葉は、後悔して自分を責める熊蔵にかけられたものです。キクとは性格が違っておとなしいミツですが、やはり、偏見 にさらされて糾弾される男を、自分自身の気持ちに正直に哀れみ、愛するということではキクと共通するものがあります。キクのように 目立つ行動はしないミツですが、その頃熊蔵と結婚するためには家を捨てなければならず、勇気が必要だったはずです。「人間の母しゃ んのごとある」というマリアの姿は、ミツにも重なるような気がします。

悲しい物語ですが、全編を流れる長崎弁のリズムが快く残ります。頭がよくて口が達者なキクが、ミツの兄市次郎や、ときに清吉に向 かって機関銃のようにまくしたてるシーンにも、ユーモアが漂っています。

「女の一生」には、ミツの孫サチ子が登場する第二部もあります。第二次世界大戦に巻き込まれ、キリスト教徒でありながら、人を殺 す兵役にとられる青年の苦悩と、彼を愛するサチ子の思いが中心です。浦上の迫害のはるかあとで、原爆を投下される長崎の苦しみが描 かれていて、ともに、犠牲になった多くの人たちがいたましくてなりません。
「女の一生」第三部にあたる惨事が長崎、そして日本を見舞うことがないように、祈らずにはいられません。
(小説としては、第二部はやや散漫なところがあって、キクの第一部の方がまとまりがよいように思います。)


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