吉本ふさ子・千葉桃子(川端康成著「川のある下町の話」(新潮文庫))   



ふさ子「今どんな顔しているか、ちょっと見たいんです。まるで私、子供のころのような気がするんですもの」

桃子「どこにも行かないで、義三さんを待っていてくださらない・・・?それがね、いちばんいいことだと、私は思うの」



「川のある下町の話」のあらすじ

医学生栗田義三は、インターン先の病院の近くを流れる川でおぼれかけていた男の子を助けて、その姉のふさ子とめぐりあい、お互いに ひかれ合う。義三は貧しく、伯父の援助を受けて勉強していた。従妹の桃子は義三の許婚のように見られていて、桃子自身もひたむきに義 三を愛している。しかし義三は、安易に伯父の後継者におさまる生き方を望まない。

ふさ子も両親がなく、パチンコ屋に勤めて貧しい生活をしている。義三に対する愛とは別に、桃子に対する遠慮や、自分が義三にふさわ しいかという疑問ももっている。桃子に励まされ、勇気を出して義三の下宿に行くが、そこで財布を盗まれ、不安のためと、迷惑を恐れて 身を隠してしまう。

ふさ子は福生のキャバレーに勤めている友人を頼り、自分もキャバレーのダンサーになる。キャバレーには、義三に似た顔立ちのボーイ の達吉がいた。達吉はすさんだ生活をしていたが、ふさ子には純粋な思いを抱く。ある日、達吉は米兵からふさ子を守って怪我をし、その ことがきっかけで二人は打ち解けるが、達吉は怪我がもとで破傷風にかかり、死んでしまう。ふさ子は、母や弟、達吉など、自分につなが る人はみんな死んでしまうと思い、ショックを受ける。

義三は国家試験に合格して医師となり、貧しい人のための医者になろうと療養所に勤める。探していたふさ子は、医学生時代からの友人 で、義三を愛していた民子が見つけた。ふさ子は精神を病んで、入院していた。ときどきうわごとのように、義三と桃子の名を呼んでいる というのだった。



義三は美青年で、ふさ子、桃子、民子の三人から愛されますが、三人の女性たちは嫉妬しあうことはほとんどなく、義三が愛しているふ さ子と結ばれるように協力しあうような形になっていきます。これはなんといっても、桃子が自分の気持ちよりも義三の気持ちをくみとっ て、ふさ子に手をさしのべたことが大きいでしょう。桃子が、義三のためにふさ子を探しに長野から上京し、ふさ子と話し合う箇所は、心 あたたまる場面で忘れられません。ふさ子にとっても、そんなにあたたかい心遣いを受けたことは初めてで、精神が錯乱したあとまでも、 桃子のことは心に強く残っていたようです。ふさ子自身も、桃子のためなら義三をあきらめられるように思います。

桃子は義三の従妹ですが、義三とちがって裕福な家庭で育っていて、そのよい面だけが性格に表れているように思います。人の善意を信 じ、恵まれない人や不幸な人にも偏見を持たずに、ごく自然に力になろうとします。義三は民子に向かって、もしも自分が人生に難破する ようなことがあったら、最後に自分を救ってくれるのは桃子で、それも、義三を憐れむのではなくて、桃子自身の楽しい温かい夢に包んで くれるだろうと言います。桃子には夢想家の一面がありますが、その夢ははかないようでいて、絶えることなくあとからあとから湧き出て くるもののようです。


義三とふさ子が互いの愛を確認し、桃子という味方もいながらも別れ別れになってしまうのは、ふさ子が苦労して育ち、自分の幸福を信 じたり、つらい環境から羽ばたく力を弱くさせられていたせいのようです。桃子とふさ子は同年代で、十七歳ぐらいですが、医者の娘とし て裕福に育った桃子に比べて、生活保護を受けながら暮らし、両親に死に別れたふさ子は、自分がなにも持っていないとか、できないとい う気持ちが強くあったようです。この小説の舞台は終戦直後で、まだ貧しい人が多く、豊かな人との差が激しい頃でした。ふさ子の不幸や 義三が貧しい人のための医者になろうとする気持ちは、時代と深く関わっています。義三が一度助けたふさ子の弟も、その冬には風邪をこ じらせてあっけなく幼い命を落としてしまいますが、ふさ子も同じように、運命に翻弄されて力尽きてしまったようでいたいたしく思いま す。

ふさ子の病気は治るのか、はっきりしたことは書いてないのですが、ふさ子は「自分につながる人はみんな死んでしまう」と思い込んで いて、それでも義三の愛を受け入れることは難しいだろうと民子は言っています。義三や桃子に会ったらどうでしょうか。時間はかかると は思いますが・・・。


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