マックス・デミアン(ヘルマン・ヘッセ著「デミアン」(実吉捷郎訳、岩波文庫))   



「ねえ、小さなジンクレエル、しっかりきくんだよ。ぼくはいずれここを出てゆくことになる。きみはたぶん、いつかまた、ぼくを必要 とすることがあるだろうね――クロオマアやなんかに対してさ。そうなってぼくを呼んでも、ぼくはもうそんなとき、そう手がるに、馬 にのったり、また汽車にのったりして、きはしないよ。そんなときはね、きみ自身の心に耳をかたむけなければいけない。そうすればぼ くがきみの心のなかにいるのに、気がつくよ。わかるかい。」



「デミアン」のあらすじ

エミール・ジンクレール(文中の「ぼく」)は、幼いときから、世の中は明るい善の世界と、暗い悪の世界のふたつのから成っている と思う。ジンクレール自身は、善の世界から生まれたのに、自分の中にも暗い悪の部分があることを自覚していた。

ある日、学校に不思議な少年マックス・デミアンが入学してくる。デミアンは年より大人っぽく、他の子供たちとちがう雰囲気を身に つけていた。デミアンはジンクレールに、聖書に出てくるカインを、世の中の人よりすぐれた、「額にしるしのある人」だったのではな いかという解釈を話す。善と悪を統合するようなデミアンの考え方に、ジンクレールはひきつけられる気持ちと恐れを共に感じる。

ジンクレールはふとしたことから、悪の世界の象徴のような少年フランツ・クローマーに脅され、金をせびられる。デミアンはジンク レールの態度からこのことを察し、クローマーがつきまとわないようにする。

デミアンによると、自分が心から願っていることに意志を集中させれば、他人の意志にも働きかけて、願いを実現することができると いう。彼はまた、世の中の明るい善の世界だけに目を向けて、暗い悪の世界をないものと見なしてしまってはならないという。

ジンクレールはギムナジウムに進み、故郷を離れて寄宿舎に入る。ここでも同級生は子供に見え、友達はいない。ジンクレールはやが て悪い仲間と酒を飲むようになり、荒れた生活をする。しかしある日、不思議な少女を見て心をひかれ、彼女の絵を描くことに熱中する。 その少女は大人っぽく上品ながら、どこか不遜な少年じみた面影があった。ジンクレールが描いた肖像は、だんだん彼女の実像を離れ、 自分にとって最もひきつけられる姿になっていく。それはいつかデミアンの顔になっていて、しかもジンクレール自身にも似ていた。

ギムナジウムで、善と悪を統合する神アプラクサスの話を聞く。その後、不思議なオルガン奏者ピストリウスに出会う。ジンクレール はピストリウスを師としてアプラクサスについて学ぶが、従来の考え方を下敷きにするピストリウスにやがて限界を感じる。

ジンクレールは大学に入り、その街でデミアンに再会する。ジンクレールはデミアンの母(エヴァ夫人)に会う。自分の中からほとば しり出るものに従って生きようとしたのに、それが難しく辛かったとジンクレールは話す。エヴァ夫人は、ジンクレールも選ばれた、額 にしるしのある人間で、デミアンは少年のときからそれを知っていたと話す。ジンクレールはやがてエヴァ夫人を愛するようになる。

デミアンとエヴァ夫人の家には、さまざまな宗教や哲学を探求する人々が出入りしていた。ジンクレールも足繁くデミアンの家を訪れ る。

やがてロシアとの戦争が起こり、デミアンとジンクレールもそれぞれ入隊する。怪我を負って病院に運ばれたジンクレールの意識が戻 ると、隣のベッドにデミアンがいた。デミアンはジンクレールに、これからはジンクレールがデミアンを必要とする時があっても、簡単 には行かれない、そんなときには自分自身の心の声に耳を傾けろと言う。そして、エヴァ夫人から渡されてきたキスを渡すと言ってジン クレールに軽いキスをする。ジンクレールが再び目を覚ました時には、隣のベッドにはちがう男が寝ていた。



「デミアン」は私にとって昔から難解で、けれど心をひかれる小説でした。自分の心からほとばしる声に従って生きようと苦悩するジ ンクレールと、そんなジンクレールの「額のしるし」を少年時代から見出し、導くデミアンとの交流が描かれています。デミアンとジン クレールが一時憧れた少女「ベアトリーチェ」、エヴァ夫人、そしてジンクレール自身にも、性別や年齢を越えて共通する、特徴ある外 観があったようです。「額のしるし」が外観に現れたものだったのでしょう。

ジンクレールが大学に入る前まで、デミアンは完全にジンクレールの友人というより導き手のように見えます。ジンクレールが自分自 身の本当の願いを探して苦しんでいたのに対して、デミアンにはそのような葛藤の様子が全く見出せません。ジンクレールが子供から青 年に変わっていきますが、デミアンは初めからあまり変わらないようです。(おそらくエヴァ夫人もそうなのでしょう)

ジンクレールがデミアンを必要としていたことぱよくわかるのですが、デミアンにとってジンクレールはいつまでも「小さなジンクレ ール」だったのでしょうか。デミアンは早くこの世を去ることを自分で知っていて、ジンクレールに、古い価値観でできた世界を越えて 生きていく願いを託したのでしょうか。ジンクレールと病院で会ったあと、デミアンがどうなったかは書かれていませんが、私にはデミ アンが最後に意志の力を集中させて、ジンクレールに別れを告げるために隣のベッドに移って来たように思えます。

ジンクレールは最後には、完全に自分自身の中におりていけば、デミアンにそっくりそのままである自分自身の映像が見えるといって います。デミアンはもはや導き手ではなく、核心の部分でジンクレールと一体化したのでしょう。


デミアンについて最も心をひかれるのは、冒頭にあげたジンクレールへの言葉とともに、若いようでもあり年をとっているようでもあ り、男性的なようでもあり女性的なようでもあるという外観です。デミアンは性別や年齢を越え、民族や時代も越えて、どこかに生きて いるような気がします。


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