三上敦子・白木冴子(辻邦生著「雲の宴」(朝日文庫))   



敦子「みんなだって、いろいろ不安や悩みを抱えているのだ。平和そうに見えるのは、それに耐えているからなのだ。弱気に負けちゃい けない。悩みや不安がなくなるのが幸福なのじゃなくて、それと戦って、それに負けないでいるのが幸福ということなのだ」

冴子「瓜生さんが誰だか、私、知らなくても平気です。だから、結婚なんかしないほうが、いいんです。ただ、愛にだけ、生きていたい んです」



「雲の宴」のあらすじ

ジャーナリストの三上敦子とカメラマンの水無瀬大吉は、アフリカへの取材旅行の準備としてパリに立ち寄り、アフリカ通の志摩医師に インタビューする。折しも、フランスの大統領選挙でミッテランが当選し、パリは熱狂に包まれていた。
パリで、敦子は偶然、アフリカのセレール共和国の大使館員と知り合うが、間もなく彼は殺される。しかも、その殺人事件には、敦子の 知り合いの日本人郡司薫が関わっているようだった。
敦子は、ジャーナリストをめざし始めた頃のことを大吉に話し始める。 それには、郡司薫と、敦子の先輩で親友となった白木冴子が深 く関わっていた。


敦子が白木冴子に出会ったのは大学二年のときで、冴子は新聞部の先輩で、大学院生であった。美しく都会的で、鋭敏な感性を持つ冴 子と、人の心を大切にしながら真剣に生きる敦子は、お互いに自分にないものを相手に見出してひかれあう。冴子は雑誌の編集部に就職 し、敦子も初めアルバイトをしながら、やがて同じ職場に就職するはずだったが、石油ショックの影響で会社の経営が苦しくなり、契約 を打ち切られる。敦子は商社に就職し、マスコミの勉強を続けながら冴子と一緒に仕事ができる機会を待つ。

ある日、敦子は、東京港に置き忘れられたニーチェの「ツァラトストラ」の本を拾い、持ち主の郡司薫に届ける。郡司は同じ会社の原 子力部門の社員だった。哲人めいたところのある郡司に、敦子はしだいにひきつけられていく。

一方、冴子は瓜生赤彦という評論家を知る。辛辣だが、時代の先を見つめ、生きることを奇蹟と捉える瓜生にひかれた冴子は、瓜生に 原稿を依頼する。瓜生はサングラスをかけ、住所も不明という謎に包まれた人物だった。冴子は瓜生を愛するようになり、彼の子供を妊 娠して喜びに包まれる。瓜生は冴子と結婚しようとするが、冴子は、二人の愛が世俗的な結婚という形に変化するのを好まない。

敦子は郡司と結婚することになり、商社を退社して冴子の編集部で働くことになる。しかし、突然、郡司とほかの女性との間に子供が できたため結婚話が破談になる。敦子と同じぐらいショックを受けた冴子は、さらに衝撃的な事実を知る。実は郡司と瓜生は同一人物で、 子供ができた女性というのは冴子自身のことだったのだ。さらに、冴子は、ふとした事故から子供を流産してしまい、絶望感と疲れから 死を選んでしまう。それでも、死の間際に敦子に宛てた手紙は、敦子への変わらない友情に満ちていた。


郡司薫は、セレール共和国のクーデターに関わっていた。セレールで日本人の同志を待つ高校教師が、敦子と大吉を同志と勘違いし、 二人は拘束される。二人を釈放させるために、日本人の中津川が奔走していると、郡司薫に会う。二人は従兄弟同志だった。郡司は話を 聞いて驚き、クーデタに加わった仲間の協力を得て敦子と大吉を救い出す。クーデタは失敗に終わり、郡司がセレールでウラン鉱床を探 す計画も頓挫してしまったが、郡司たちは無事にセレールから脱出することができた。

敦子と郡司は五年ぶりに会い、語り合う。郡司を憎んでいた敦子だったが、冴子がやはり死の間際に、瓜生(郡司)に宛てた手紙の中 で、彼に会えたことを喜び、敦子と幸福になることを願っていたことを知る。郡司自身も冴子の死を悔やみ、瓜生赤彦に復讐するかのよ うに生きていた。敦子と郡司は、新たに共に生きていくことを誓い合う。



敦子は幼いときに両親に死別し、伯父夫婦に実の娘同様に育てられました。そんな彼女は、家庭の温かさを知りつつもそれに溺れず、 人間的に非常にバランスのとれた人だと思います。敦子は大学の新聞部にいた頃から、現代の機械文明の中での生きる目的や、人間の心 の価値に深い関心をもっていて、ジャーナリストとして一本立ちしても、初心を忘れていません。

一方冴子は、家庭での愛に飢えていて、東京で独り立ちして生き、成功を収めることが大切な人生のテーマになっていると思います。 敦子に比べて、新しいものに敏感ですし(もちろん、批判精神はあるのですが)華やかでもあるようです。けれど、冴子にしても、人生 を目的をもって真摯に生き、同じように真摯に生きようとしている人たちへの共感をもっていることには変わりはありません。それでこ そ、敦子と冴子の間には、変わらない深い友情が築かれていたのでしょう。二人の間の信頼感は、読んでいて本当に心が温かくなるよう なものでした。偶然に同じ男性を愛してしまうという事件があっても、二人の友情は変わっていません。

けれど、孤独の中で自分を磨き上げてきたような冴子には、その孤独と人を愛する気持ちのギャップが深く、死を選んでしまったこと もそこに原因があるような気がします。瓜生(郡司)は、冴子の妊娠を知って結婚しようと言います。それは、子供の将来を思うためだ けではなく、冴子と暮らして行くことも望んでいたからでしょう。けれど、冴子には、愛する人であればこそ、愛の結果が結婚生活とな ることが納得できなかったのです。日本の結婚生活をみていると、この冴子の気持ちは半分ぐらいわかる気がする反面、愛する人となら 世俗的な生活とは別の次元の喜びも得られるのではないかと思います。真剣に生きるあまり、少し観念的に思いつめてしまったような冴 子がいたましく感じられます。敦子と同じ人を愛したあげく、子供が死んでしまったという不幸が重ならなければ、気持ちに変化もあっ たかも知れないのに・・・。

敦子が改めて郡司と結ばれることによって、この世にはいない冴子と、存在しない人になった瓜生もどこかで結ばれたと考えたいよう な気がします。冴子はいつまでも敦子の近くにいて、二人を守り続けることでしょう。


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