プラハ
チェコ語と英語でプラハ

百塔の町、魔法の都、黄金の町


百塔の町、魔法の都、黄金の町、チェコ共和国の首都・プラハは、不思議で、魅力にあふれた町です。中世そのままの町並みには、悲しい歴史、深い文化、気高い精神がしみこみ、訪れる人を魅了します。


プラハ城近くからの百塔の町


プラハのヴルタヴァ河畔に集落ができたのは6世紀後半と言われています。その後、9世紀後半にプラハ城の前身となる城の建設が始まり、一帯が町として発展していきます。そして14世紀、カレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝・カール4世となると、プラハは神聖ローマ帝国の首都となり、その繁栄ぶりは黄金のプラハとうたわれます。15世紀には、ルターの宗教改革よりも約100年も早く、ヤン・フスによる宗教改革が起こりますが、そのフス戦争後、ハプスブルク家支配の時代となり、プラハはウィーンを中心とする同帝国の一部となってしまいます。





16世紀後半にはプラハに住んだハプスブルク家の王の庇護のもと芸術や科学が発展し、ヨーロッパの文化の中心として華やぎます。占星術、錬金術、不老長寿の秘薬などの研究も盛んに行われました。そして、カトリック対プロテスタントの30年戦争を経てカトリック化、ドイツ化/オーストリア化が進みますが、18世紀から19世紀にかけては民族再生運動が高揚していきます。国民学派の音楽が民族独立を促したのも、ちょうどこの頃のことです。





第1次世界大戦によるハプスブルク家の崩壊を機に、チェコスロバキア共和国が誕生しますが、やがてヒトラーによって解体されてしまいます。そして第2次世界大戦後、今度はソ連主導による共産圏のチェコスロバキア共和国となります。その後、プラハの春・改革運動が起きますが、ワルシャワ条約機構軍の侵攻によって押しつぶされていまいます。1991年にソ連は崩壊しますが、チェコスロバキアは1989年に始まったビロード革命を経て、1993年にチェコとスロバキアに平和裏に分離します。そして今日のチェコ共和国の首都プラハがあります。




プラハ城

プラハのシンボル、プラハ城は、9世紀半ばに城の建築が始まり、14世紀のカレル4世の時代に現在の偉容がほぼ整えられたと言われています。

巨大なプラハ城の中には、王宮や教会など、いくつもの建物がありますが、抜きん出て高く大きく、遠くからでも際だって目立つのは聖ヴィート大聖堂です。この聖ヴィート大聖堂は完成するのに600年近くもかかっています。高い天井の大聖堂内にはいくつもの見事なステンドグラスがありますが、その中の一つは、アールヌーヴォーの旗手、ムハ(ミュシャ)の作です。

また、かつては錬金術師が住んでいたことから名付けられた黄金の小道には、フランツ・カフカの仕事場だった家もあります。

旧市街越しにみるプラハ城
(残念なことに聖ヴィート大聖堂の
南塔は補修中)

建物の中を抜けると目の前に現れる聖ヴィート大聖堂。大きすぎて、ただただ見上げるばかり。(魚眼レンズで撮影しています)

左の写真の中央のバラ窓。円周分の下、右と左に設計者二人の姿があるのがわかるでしょうか。


ムハ(ミュシャ)の作の
ステンドグラス






長い歴史の間には様々な栄光があったことに違いはないでしょうが、チェコの歴史を簡単に紹介したものには他国からの抑圧、侵略、そして悲惨な事件が多く紹介されています。その一つ、このプラハ城では、非カトリック(チェコに多い)の一派がカトリック系(ハプスブルク家)の使者をプラハ城の窓から放り出す事件がありました。なんともすごいと思ってしまいますが、これが30年戦争の引き金となり、結果、この反乱の首謀者達は旧市街広場で処刑され、以後、チェコの民族性は失われていったそうです。この地に立つと、そういった歴史に思いが馳せます。


話題は変わって。。。。。

お上りさん状態で観光です。

衛兵さんは無抵抗?

城門の左右にたっている衛兵さんは、視線を動かすこともなく、きっちり前を向いてりりしく直立しています。微動だにしません。ふざけた観光客が肩を組んでも、とにかく必死に直立です。テレビの某旅番組で見たのですが、どこかの国の衛兵さんは、記念写真を撮ろうと横に並んだだけで観光客を突き飛ばしていました。それとは大違い。でもここまでかたくなに直立不動と言うのも並大抵ではありません。1時間で交代のようですが、それにしても大変なお仕事です。


衛兵交代式

毎正時、衛兵の交代式があります。12時以外は簡単な交代式ですが、12時には音楽隊のファンファーレを伴った大々的なものとなります。下の写真が12時の時の交代式ですが、見学者がものすごく多いです。音楽隊のファンファーレが高々しく立派だったのを記憶しています。
毎正時、交代に向かう衛兵さん

交代に向かう衛兵さん(12時以外の時)。後ろの2人がそれぞれ門の左右にたちます。
12時の衛兵交代式
12時の衛兵交代式
12時の衛兵交代式の音楽隊
上の写真、門の上をよく見ると、戦う巨人の像があります。向かって左は、剣で刺そうとしているところ、向かって右は、こん棒で殴ろうとしているところです。何ともすごい!




カレル橋

ヴルタヴァ川最古の石橋のカレル橋は、1357年に着工し1402年に完成したそうです。(ということは、このページを作っている2002年は、完成から600年。何かイベントでもあるのかしら?) 何度かの補修工事はあったものの、600年も健在なのですから、すごいです。橋の左右の欄干に30の聖人の像が立っています。日本へキリスト教を伝来したことで歴史の時間にならったこともあるフランシスコ・ザビエルの像もあります。

カレル橋とプラハ城を映し出しているライブカメラがあります。プラハをもっともよく代表する風景を映し出しています。次のURLをクリックすると新しいウィンドウで開きます。
http://www.hejda.cz/Camery/praha1.htm
時差は日本に比べてサマータイムの時で7時間の遅れ、それ以外は8時間の遅れです。(上記URLは、大洪水以降、ライブカメラのオフライン状態が続いているようで、ブラウザがハングアップしたようになってしまう場合があるようです。その時は、こちら(http://www.hejda.cz/Top/top.htm)から辿ると、以前の映像(ライブではありません)ですが、スムースに表示されます。勿論、カメラがオンラインの時はライブです。)
カレル橋の上
カレル橋の上。もうすぐプラハ城のある側と言うところ。朝は空いているものの、夏の昼は沢山の観光客で大混雑します。露天やパフォーマンスをする人も沢山います。


旧市街広場

プラハ城と並んで、もう一つの観光の中心が旧市街広場です。広場には宗教改革の先駆者、ヤン・フスの像があり、まわりを囲む建物はどれも印象的です。天文時計のある旧市庁舎、ティーン教会、ゴルツ・キンスキー宮殿、聖ミクラーシュ教会などがあります。チェコの指導者達が処刑されたり、独立を要求するデモがあったりと、数々の歴史的大事件の舞台となったところです。事前に学習していくと、その歴史の深さに感慨深いものがあります。

広場にはカフェや、おみやげ物屋も多く、いろいろと楽しめます。

旧市街広場を映し出しているライブカメラがあります。
次のURLをクリックすると新しいウィンドウで開きます。
Staromestske namesti Praha
http://www.praha-mesto.cz/magistrat/kamera.asp


旧市庁舎の時計台から旧市街広場を見る。時計台からは360度の展望が楽しめます。
旧市街広場の夜景
夜になり、夜景を撮影しようと、旧市街広場に出かけました。最初、天文時計の辺りを撮影していると、突然、ティーン教会が白くライトアップされ、闇に浮かび上がりました。これには感動です。

天文時計とティーン教会

聖ミクラーシュ教会

旧市庁舎

天文時計

天文時計。ちょうど12時、からくり時計が動き、花嫁さんも出演中。
旧市庁舎にある天文時計は、天動説を反映していて、上の時計、プラネタリウムは地球を中心にした天体の動きを、下のカレンダリウムは黄道十二宮の獣と四季の農作業の様子が描かれています。毎正時にはからくり時計が動きます。まず骸骨が動き出し、上部にある窓が開き、そこに12使徒が次々に登場します。12使徒が一巡すると、最後に鶏が鳴きます。と、ガイドブックに書いてありましたので、その鳴き声を聞いてやろうと思い、気を付けていましたが、さっぱりわかりません。鶏の鳴き声はどうなったんだ?? 別の正時にも、注意して聞きましたがわかりません。3度目でやっとわかりました。車のクラクションだとばかり思っていたのが、実は鶏の鳴き声だったのです。「ブォー」。


どの建物も絵になる建物ばかりです。


国民学派の音楽

高校の時だったか、音楽の授業で、国民学派というのが出てきます。その時は気にもとめませんでしたが、18世紀から19世紀にかけて高揚していた民族再生運動に深く関係していたのでした。当時、チェコ語は禁止で、チェコ語の復権とチェコ文化の再生にチェコの知識人は情熱を傾けました。音楽を通じてチェコの民族的独立に力を注いだのが、国民学派の音楽家でした。今回の旅で、その歴史的背景を知り、更に感慨深い物となりました。プラハでスメタナやドボルザークのCDを求めるのもいいかもしれません。

ヴルタヴァ川の岸に立つ国民劇場は、19世紀後半に出来たものですが、「チェコ語によるチェコ人のための舞台を」というスローガンのもとに作られたチェコ人の熱意と誇りの表れです。
レギー橋(チェコ軍団橋)と国民劇場(左手の大きな建物)


プラハの春

プラハの春には、音楽祭と民主化運動があります。
プラハの春音楽祭は、第2次世界大戦が集結した翌年の1946年から始まっています。毎年スメタナの命日の5月12日に開幕します。そのオープニング・コンサートの演目は、当然のごとく、チェコ音楽の象徴ともいえるスメタナの「わが祖国」です。もう、それを聞いただけで感動的です。その会場となるスメタナ・ホールは、市民会館にあります。市民会館は、第1次世界大戦によるハプスブルク家の崩壊を機に1918年にチェコスロバキア共和国の独立宣言が行われた場所でもあります。
もう一つのプラハの春は、1968年に始まった民主化運動です。1918年に独立したチェコスロバキア共和国は、その後、ヒトラーにより解体しますが、第2次世界大戦後、社会主義の国となります。1960年代に入り、共産党一党支配の政治経済体制への批判が高まり、自由な社会を目指す改革運動がおきます。しかし、この運動は、旧ソ連がヴァーツラフ広場に戦車を乗り入れ、押しつぶしてしまいます。

市民会館
正面には「プラハより敬意を込めて」というモザイク画が飾られています。


ヴァーツラフ広場

ヴァーツラフ広場は大通りと言ったところで、プラハ随一の繁華街です。プラハの春で戦車が乗り入れ、学生が死をもって抗議したこの場所は、その後、ビロード革命の舞台ともなります。この無血革命により共産党が崩壊し、今日の自由があります。

北西方向を望む
どの建物も、屋根の上の塔を競っているようです。

南東方向を望む
ヴァーツラフ広場越しに、国立博物館が見えます。その前に、聖ヴァーツラフの騎馬像があります。


トラム(路面電車)



トラムは沢山の路線があり、町の中を細かく走っています。


芸術と創造があふれる街

プラハは芸術と創造にあふれています。「ヨーロッパの音楽学院」とも言われるプラハは、スメタナやドボルザークだけではなく、モーツアルトにとってもゆかりのある土地です。「ドン・ジョンバンニ」は、プラハで初演されましたし、交響曲38番は「プラハ」です。一方、技術の面に目を向けると、かつては錬金術といったものもありましたが、今風な物ではロボットという言葉がチェコで生まれています。コンタクト・レンズや電子レンジの発明などもあります。この美しい町並みが、人々の想像と創造をかきたてるのでしょうか。

「ドン・ジョバンニ」の公演をPRする御一行


話は付きませんが、この辺で列車に乗って次の目的地、チェスキー・クルムロフに行くことに。







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