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眼鏡っ娘テキスト
◆警告!コンタクトは危ない!◆
■コンタクトは百害あって一利なし■
 元より危ないとされてきたコンタクトレンズ(以下コンタクトと省略)が原因での失明や病気になるなどの事故が最近急増している。その中でも特にアカントアメーバによる白濁失明が問題になっている。
 コンタクトがメジャーに使われるようになって15年余。現在ではソフトコンタクトが手頃な価格で手に入るせいか、ますます流行っているが、流行は潜んでいる危険性を隠してしまうだけのようだ。ちょうど長期間使用した例が出てきているのが今の時期ということでトラブルが多発していると考えられる。
 ハードコンタクトよりソフトコンタクトのほうが洗浄時のトラブルが少ないこと、手入れが簡単なことから流行っているが大変危険である。2週間で変えないといけないレンズを例にとると、それ以上使っている人がほとんどなのが現実だ。洗浄により細菌が減ることもないので友人同士での使いまわしなど持ってのほかである。ソフトコンタクトはハードコンタクトに比べ酸素不足になりやすく、角膜内皮細胞を死滅する働きが強い。ソフトコンタクトだから安全なんてことは全くないのだ。この細胞は二度と増えることはなく、長期的に使用すると確実に減少し、20代でも80代並の数になる。細胞が死滅し続けるといずれ確実に失明してしまう。増えることはないので目のことを心配するなら常時眼鏡にするべきである。
 カラーコンタクトはさらにトラブルが多い。普通のソフトコンタクトより酸素透過性が少なく、失明しやすい。使っている人は目が痛くなることが多いと思う。あくまでコンタクトは医療用具であり、決してアクセサリーではないことを認識してもらいたい。ハードコンタクトはもちろんのこと、不良品は確実にあり、本人が気づくのも難しいので、コンタクトを着用する時は失明を覚悟して欲しい。どうしても必要な時以外は眼鏡を着用するしか失明を防ぐ手段はない。健康な目でいたいなら絶対にコンタクトはやめよう。

 眼科医がコンタクトでなく眼鏡専門であることもこのような危険性があるからだ。

以上フジテレビのニュース特集からの情報。【フジテレビによる詳細

 女優・松雪泰子が眼鏡のオリジナルブランドを発表し、眼鏡は魅力を倍増させるファッションアクセサリーとして普及に努めている。眼鏡が似合う女性はかけた時の魅力は計り知れないものである。人間の顔で最も印象的なのが目で、その目を彩るアイテムであるからこそだ。実際眼鏡をかけている姿がイヤで外すことで逆に悪くなっているケースが多々あり、気づいている眼鏡利用者も少なくない。世の中の固定観念より己が似合うか似合わないか…眼鏡フレームにも色々種類があり似合うものかどうかを見極めて欲しい。きっと似合う眼鏡があるはずである。
 目を健康にそして美しく。それが眼鏡なのだ。ちなみに大きめの丸眼鏡はみんな似合うとの報告を受けている。女の子の場合円に近ければ近いほどチャーミングになるようだ。
2000.2.2

■眼鏡をマイナスにしているのは誰??■
 視点を変えて考えてみました。

 眼鏡をかけることが外見上マイナスであるという偏見は昔からあり、かなりの高年齢層にまで定着しています。
 それは黎明期にありがちな、機能性重視によるデザインのダサさとバリエーションの少なさ、レンズが未発達だったこと(目の大きさが極端に変わるなど)によるものが大きく、そんなイメージからくる周囲の視線から性格が内向的になるなど様々な理由がありました。いつしかそれが伝統かのように継がれてしまったのが現状です。

 しかし、最近かけていない人より、かけている人のほうが偏見に満ちていることがわかってきました。
 外せば良くなると思い込むというのは、メディアや周囲がいけないんですが、かけている本人が眼鏡偏見の急先鋒になってしまっていることが一番の問題ではないかと思う事例がいくつもありました。

かけている人ほど偏見に対して頑固です。(特にモテたい願望が強い人ほど(笑))

 特に幼い時からかけている人ほど、強く思うところがあるようです。

 かけている人から抜本的な意識改革をしていかないといけません。
眼鏡を美しくかけている人や、かけたほうが良くなっている例に焦点を変えていけばいいわけですが、これもなかなか難しい問題です。見る者のレンズが歪んでいれば見える物も歪んで見えますから。
「取れば良くなる」という思い込みを実践して、良い思いをした人はほとんどいないという現実があることを認めていかないといけません。本人だけは良くなっているつもりなんでしょうけど、「違うよー」と言うと怒って認めないんだよね(笑)

 「眼鏡っ娘、眼鏡取ればただの人

 という言葉を最近よく聞きます。
 かわいく綺麗な人は上を見たら限りがないほどいますし、なかなか印象に残るのは難しいことです。
しかし、眼鏡をかけてさらに綺麗でかわいくいられたら、眼鏡というアイテムがインパクトとなり、印象に残る可能性は高くなるでしょう。これは当然男にも言えることです。いかにして美しくかけるか、目が悪い人の特権として、無数にあるデザインの中から自分に合う眼鏡を探し出してもらいたい。なんでも似合わないものを身につけたらマイナスになるだけですからね。

 ゲームやCGの世界にも言えることで、登場キャラ中かわいい女の子の比率は現実世界の比にならないほどいます。極端な話、かわいい女の子しかいない世界であることも少なくありません。
 同じ女の子で眼鏡をかけている時、かけていない時の一人二役を演じているといえば、古くは「同級生2」の加藤みのりがいるが、これはシナリオ上は眼鏡を外した鈴木ひろ子の時が逆に変装になる。
 さて、考えてみて欲しい。どちらが印象的だったかといえば、断然加藤みのりで、鈴木ひろ子の顔を覚えている人はほとんどいない有様だ。鈴木ひろ子はオーソドックスな女の子だったからだ。加藤みのりは、牛乳瓶の底のような今では見かけないグリグリ眼鏡でどんな顔かもわからんいほどだったが、それでも表情がうまく描かれていたこともあり、鈴木ひろ子より人気があった。

 最近発売された麻雀ゲーム「対局麻雀ネットでロン!」では、主人公桜木のぞみが眼鏡をかけ、睦月香になることで、明るく元気な看板娘となる。ただのかわいい女の子から、よりかわいく人気のある女の子へと外面内面ともに変身を遂げています。
 ゲームの世界ではかわいい女の子は氾濫しているので、何かインパクトがあり、かつレベルを維持もしくは上げていないと、目に止まることもないのだ。

 氾濫しているからこそ求められているのは「プラスα」であり、そのαの担い手の一つが眼鏡であることは言うまでもない。


 ネットでロン!の眼鏡っ娘、妙にかわいいと思ったら、終末小池定路さんのデザインでした(笑) 通りで眼鏡っ娘のほうがかわいいはずですよ(爆)
2002.1.11

◆眼鏡っ娘とコンタクト◆
こいこい  眼鏡をかけていれば誰でもいいわけではない。眼鏡をかけないほうがいい場合もある。
かけてる状態が素顔……つまり「眼鏡は顔の一部です」状態になってることが重要だ。せっかく眼鏡っ娘の素質があるのにコンタクトレンズはいただけない。
 東京メガネなど素晴らしいCMがある一方、眼鏡を外すと美人という設定のCMも多い。まるで70年代のような設定で古くさいが、このようなCMが眼鏡っ娘をコンタクトに走らせてる原因の1つになってることは間違いない。しかもコンタクトのCMでなく、エステのCMである。これでは助長しているといわざるを得ない。
 コンタクトは60年代に発明され、普及したのは80年中期以降と思われる。少なくとも1980年前後まではほとんど普及していなかった。それなら眼鏡っ娘の楽園だったか?というと違う。眼鏡の普及率……つまり目が悪い人の比率も今ほどではなかったのだ。
 昔ほど「眼鏡=ガリ勉(死語か?)」という図式もあり、目が悪いのは勉強好きと漫画好きぐらいだろうか。TVも今のように深夜にはやってなく、TVゲームなどももちろん存在せず、目の悪くなる機会が少なかったのである。なかなかうまくいかないものだ。今の潜在的眼鏡っ娘比率を当時に持っていけば、天国であることは間違いないというのに。
 そのコンタクト発明者が最近死んだ。しかしコンタクトは生き残り、発展はし続けるだろう。とんでもない置きみやげで無念極まりない(笑) まだ危険だが既に手術で視力を回復させる手段もある。これが将来一般的になれば、ゆゆしき事態だ。

 なぜ眼鏡っ娘リストに本物の人間がいないのか?疑問に思う人がいるだろう。それは有名で目の悪い女性はみんなコンタクトにしてしまうからで、載せたくても載せられないのだ。例えば菅野美穂。デビュー前まで眼鏡っ娘だった。どう見てもそのほうがかわいい(笑) そろそろ眼鏡を売りにするアイドルがいてもいい頃だろう。あえて売りにすることで偏見を一掃してもらいたい。もちろんそれは疑似眼鏡でも一時眼鏡でもなく、「眼鏡が顔の一部」の女の子でなくてはならない。
 この傾向は皇室にも見られる。
今上天皇の末っ子の紀宮親王は元々眼鏡っ娘だったのは有名だが今はかけていない。失礼かもしれないが、眼鏡の時のほうがかわいかった(笑)国民のアイドルとしてはやはりかけてて欲しい(笑)ちなみに親王は同人誌を作っていたこともあり、かなりのアニメマニアのようだ。

 2D(平面、いわゆる架空)キャラを愛することを軽蔑する近視眼の輩もいる。現実世界ではもはや存在しえない理想をキャラに置き換え、インサイド(物語の世界に入り込み、主人公になりきる)することで、その間だけでも現実に近い感覚を味わうことと考えている。
それは漫画やゲームだけに限ることではないはずだ。もしどうせ作り話だからと割り切って読んでいたら面白い物語も面白くないはずだ。眼鏡を他の言葉に置き換えて考えてみれば合点がいくだろう。
2Dの世界の話を現実に持ち込んだり、現実を否定して2Dの世界だけを全てと思っているわけではない。
1998.1.1

◆オマケ駄文 "萌える"とは?◆
 「もえる」と読む。ネットや最近では雑誌でもよく見かける言葉だが、わからないからといって辞典を見てはいけない。これは本来の意味と違う使われ方をしているからで、見るならいわゆる「オタク用語事典」を見たほうがいい。
 簡単に解説すれば「好き」「愛する」の類のものだが、本来同じ発音の「燃える」から来た言葉であるので、心が燃える要素も入った言葉である。つまり「好き」とか「愛する」といった言葉では補いきれないものがあるのだ。例えるなら「星飛雄馬」が目がメラメラと燃やしているアレだ!無論好きでも愛してもいなければ「萌えている」とは言い難い。愛するのも何も人に限ったことではなく、物や自然や街、果ては音楽など物理的な形を持たないものにまで及ぶ。実在しないものに感じるのも自由である。何が現実で何か非現実なのかというのも曖昧なのだ。実際これを読んでるあなたの足下にはダニがいて、顔の周りにも無数の微生物がいるのだ。
 アニメやゲームのキャラに対して使われることが多いのであるが、かつて同様と思われる存在としてアイドル(歌手)がいた。アイドル…直訳すると偶像である。つまり実在しているかもしれないが、それを超えた存在として認知されていたのである。残念ながらここ10年ほどであろうか?たしかにアイドルという言葉を使われているタレントはいるが、かつてのアイドルのような存在とは明らかに違う。これは懐古主義でもなんでもない。70〜80年代半ばのアイドルは時代背景が作り上げたホンモノの偶像だったのかもしれない。そして90年前後に登場したのが完全に架空の存在であるアイドルだったのだ。
 例えば小説を読みながら「これはどうせ作り話」と意識しながら読むものだろうか?歴史小説でハラハラするのは現実の世界にいる事を忘れて、戦場にいる気分にさせてくれる事だが、これはアニメやゲームでも同じではないだろうか。ゲームでは自分自身が主人公になれることが多い。なりきることで世界観を堪能しているのだ。それを冷ややかな気持ちで読んだり、プレイしていたらとても楽しめるものではなく、現実から非現実に入るのはむしろ必然である。逆に非現実を現実に持ち込むのはケースによっては当然まずいこともあるが、かつて非現実だった「宇宙に行きたい」という夢を現実にするような進歩は無視できない。話が逸れたが、架空の存在を愛することは悪いことでもなんでもなく、恥じることも決してないのだ。対象が女の子であるから白い目で見られるだけである(笑)
 特に用途が制約されているわけでもないので、広がっていってるものと思われるが、これが新語として採用されるかはわからない。ただ1つ言えることは現時点で否定すべき理由はなにもないということだ。

 用例)「●●に萌える」「●●萌え〜」

 ●●には好きな人(キャラ)や物を入れるなど自由だが、あまり軽々しく連発するものではないらしい。そりゃそうである。好きでもあり愛してもおり燃えてもいるものが頻発するようでは節操がないというものだ。オタクっぽい言葉として嫌う人も見かけるが、言葉とは常に変化してきているもの。事実、平安時代の日本人と今の日本人ではとても会話なぞできるものではない。全世代で理解・認知されている言葉となると古来より伝わる言葉かつ生きている言葉でないといけなくなる。老人しか知らない言葉もあれば、若者しか知らない言葉もある。いわゆる「俗語」を入れたらキリがなく、それは世代に関係なく存在している。特に最近言葉が荒れてきたというが、本当に世間に通じる言葉であれば残っていき、そうでないものは自然淘汰される。それでいいのではないだろうか?保守的になりたいのであれば広辞苑にある言葉だけ使っていればいいのである。その広辞苑も時代と共に変わってるので、戦前の広辞苑でも探して使うといいだろう。改定ごとに広辞苑から消されていく言葉が多いことも忘れずに。
1998.1.1

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