紅蘭救出の日から、約一週間後。
この花やしきで起こった篭城事件は、
比較的小さな被害で幕を閉じた。
支部長、紅蘭の救出のために立ち上がった者達の大半が無事で、
負傷した者も特設テントにて保護されている。
負傷者五名。
死亡者七名。
花やしき支部が完全に陥落、凍結したにしては、
少ない数字である。
だが、花やしきが陥落したという事実は、
あまりにも重い"何か"を投げかけていた。
防犯施設配備の甘さ。
人間に対してあまりにも無防備だったという事実。
そして、帝国華撃団の敵は降魔だけではないという事。
「………」
それらを踏みしめ、
米田は沈黙した花やしき支部に来ていた。
ピシッとした軍服に帯刀。
その重々しい表情は、
今回の事件の惨劇を丁重に受けとめている証拠だった。
テント煉に囲まれた、
花やしきの入り口。
とても大きな長方形施設だった。
米田はその建物を見上げて、
人間の技術力を感じると共に、
機械に頼り、何かを忘れた"ヒトの傲慢"という奴を感じていた。
米田は重要人物である。
一緒に来ていた警備の者を、全てテント煉に残し、
米田はその入り口に入っていく。
戦いの後にのこのこやって来て、
厳重な警備体制引きつれて、どの面下げて歩けるか。
仕事熱心な警備員に、
米田はそう怒号していた。
今の厳粛たる表情の米田には、
その時の見る影も無い。
米田の軍隊靴が、花やしきの内部に響く。
中では敵に使用された防犯体制の復旧が行われていて、
外から見ているより騒がしかった。
「………」
通路の端に立つ米田。
窓ガラス越しに、
作業にあたる花やしき構成員の人々が見えた。
皆、それぞれの機器調整を行っている。
「お早いご到着で。
米田指令」
米田の背後から現れた彼女。
米田が振りかえると、
藤枝かえでは一礼した。
「……おう」
そう言って、
米田は帽子のツバを深く下げる。
二人とも、
この花やしき篭城の後始末に追われていた。
特に、藤枝かえでなどは、
帰国後すぐに担ぎ出された苦労人である。
姉の参拝もまた行えていない。
二人は、
下の階で作業している者達を見つめ、
立ち並んだ。
「……結局、月組を動かす事ぁできなかったよ」
感慨深く、つぶやく米田。
かえでは優しい笑顔でうつむいている。
「仕方ないですよ。
上層部は自分達の事で手一杯ですから」
少し、悲しい事をかえでは言う。
すると、米田は大きくため息をついて言った。
「陸軍との足並みがどうもそろわねぇと思ったら、これだぁ。
一体、俺達ぁどこに向かってるのかねェ」
「………」
米田の、冗談交じりのぼやきに、
かえでは黙った。
彼が心底絶望し、同時に怒りを抱いているのが、
手に取るように解った。
しばしの沈黙が流れ、
作業員達の整備の音が響く。
だが、その時かえでは、
実に優しい顔で口を開いた。
「……あなたには私達がいます」
失念の総指令に、そう言う部下。
「今の帝撃で、あなたが戦えと言って、
戦わない者はいないでしょう。
少なくとも大神君や加山君も同じ気持ちのはずです」
その時の言葉に、
米田がどれ程救われたか。
本当にかえでの言葉が胸に染みる。
恐らく、藤枝あやめも生きていたら、
同じように激励してくれただろう。
最後にかえでは、
紅蘭の居場所と今回の敵を保護している場所を米田に伝え、
その後にこう言った。
「私も活動を日本に戻します。
これ以上、帝国陸軍に好き勝手にはさせません」
意思強く、そう誓ったかえでに、
米田は敬礼して立ち去った。
──────────────────────…………………………
風が緩い。
日差しも緩い。
今日は何もかも人間に優しい天候だった。
『救護用特設テント』
そう書かれたテントの入り口を見上げ、
米田は立ち止まる。
重ね着した軍服が少し暑い。
米田は帯刀を同行していた警備の人間に手渡すと、
一人でそのテントの中に入っていった。
「………」
すると、テント内では誰かの声がけたたましく響いていた。
なんとも楽しげな雰囲気の会話で、
時折、笑みをこぼしながらの演説だった。
その声は聞き覚えのあるもので、
米田は安堵のため息をつく。
テントの中は怪我人がいるベッドが並べられていて、
その者は一番奥で、三人の部下に囲まれていた。
米田はにやけながらその合間を歩く。
「でな、ここはこうすんねん。
そうしたら伝達率が上がる。
他に何も機能低下は無しやろ?」
一番奥で、ベッドの上に座っているのは李紅蘭だった。
彼女は長い監禁生活で、
酷く体調を崩していて、
衰退も激しかった。
だから、今もこうしてベッドの上で毛布を被っているのだが、
どうやら仕事熱心なのは相変わらずらしい。
置きあがり、膝の上に『光武・会』の図面を広げて、
三人の作業員に何かを説明している。
あまりに楽しげな光景なので、米田も一瞬、
声をかけるのをためらっていた。
しかし、その軍服の男に気が着いたのは、
李紅蘭本人だった。
「あ、米田指令!
お久しぶりです!」
紅蘭がそう言って、帝撃式敬礼して見せると、
周囲の男達は焦って振り返った。
「よお、紅蘭。
大変みたいだったな」
米田はそう言ってにやけた。
彼らの背後にいたのは、
他の誰でもない。
帝国華撃団総司令、米田中将ではないか。
一応、花やしき構成員の彼らとて、
自分の組織で一番偉い人くらいは知っている。
彼らは恐縮して、一歩下がった。
「なんや、あんた達…」
必要以上の怯え方に、
紅蘭は思わず笑みをこぼした。
こんな反応に慣れている米田は構わない。
人質となった紅蘭と、
助けられなかった米田は対面する。
軍服を着た米田は言った。
「すまねぇな、紅蘭。
こんなに遅くなっちまったよ」
冗談交じりの米田。
まるで、総司令の自分が助けたかったかのような口ぶりだが、
実際、彼の心持はそうである。
一瞬、呆ける紅蘭だったが、
そこは米田の気持ちを察して苦笑った。
「え、ええですよ!
うちかて、助けられただけやもん…ッ」
少しうつむいて、紅蘭は言う。
「ほんまに辛かったのは、花やしきの全員や。
仕事場取られて何もできへんやったんです」
「……そうか」
紅蘭の気遣いが嬉しく、
米田は心底笑った。
気を取りなおして、
米田はにやける。
「それでよ。
体の調子はどうだい?
もう大丈夫なのか?」
すると、紅蘭は大きく笑顔を作ってにんまりと笑った。
そして、両手をぷらぷらとさせる。
「それなら、うちはもう平気や!
もうすぐ新しい光武も動かさなあかんしな」
「おう、頑張ってくれい。
そろそろ大神も戻って……」
健気に振舞う紅蘭を前に、
米田が底まで言った時だった。
突然、テントの扉幕が開いて、
誰かが担ぎこまれてきた。
数人の治療班が怪我人を乗せた滑車を押し込んでくる。
その場にいた誰しもが、
その騒々しい物音に振り返った。
紅蘭の横にいた一人の作業員が、
その治療班に歩きよる。
「今、米田指令が対面中だ。
もう少し静かにやってくれないか?」
すると、治療班の中の一人がその男を睨みつけて言う。
「この方は今ようやく手術が終わりまして、
すぐに安静にしてないといけないです……。
申し訳無いのですが、そちら様こそ道を空けてくれませんか」
実に弱気な看護婦だった。
だが、看護服などは来ていない。
各部所の手薄な人員を集めた特別編成の治療班だった。
致し方なしと、
男は道を空ける。
「……!?」
その時、滑車の上に横たわる人間を見て、
前に出てきていた男の顔が青ざめた。
米田の姿を見た時以上に固まって、
その道に立ち尽くす。
「……なんやの?」
その光景を見て、紅蘭は首を傾げた。
担ぎ込まれる滑車。
治療班の面々が押すそれは、紅蘭のいるベッドのすぐ手前で止まった。
その場にいた二人の作業員も、
気になり、ベッドの上の怪我人とやらを見る。
そして、前の彼と同じく、顔を青ざめた。
その内の一人が大きな声で言う。
「あ、あんた!気を遣えよ!
ここには紅蘭支部長がいるんだぞ!!」
すると、先ほどと同じ女性看護婦が、
頭を下げて口を開いた。
「申し訳無ありません!
もうここしかベッドが空いてなくて……」
その言葉に、更に首を傾げる紅蘭。
何の事だかさっぱりわからない。
その内、女性看護婦が口をもらした。
「でも…敵の方とはいえ、
傷の具合が酷くて、特に右腕の損傷がとても……」
彼女はそう言って、
口元を抑える。
だが、周囲の男達は、
口々に"紅蘭支部長の気持ち"とやらを訴えている。
騒々しい連中だ。
「……だから、一体なんやねんな」
やはり、首を傾げる紅蘭。
なぜ、こうも自分の気持ちを考えてもらいまくらなきゃいけないのか。
不思議がる紅蘭。
その時、その男は紅蘭に背を向けた。
彼もまた、その"敵の方"と呼ばれる怪我人を一目見ようというのだ。
「………」
帝国華撃団総指令、米田一基。
いわば、その"敵"とやらは米田に歯向かった人間だと言える。
米田一基が男達の間を割って、
怪我人が倒れるベッドに顔を覗かせた時、
その場にいた全ての作業員が硬直した。
彼らだけじゃない。
他のベッドで横になっている者達も、
米田の行動に活目した。
"帝国華撃団、鬼の総司令米田"は、
花やしきを陥落させた罪深い人間を前にどうするのか。
騒然とするテント内。
その静けさの中、
紅蘭はようやく気付いた。
担ぎ込まれた怪我人とは、
梔子である事を。
「…………」
彼女のベッドの横に立った米田は、
その怪我人を活目した。
黒い短髪に、幼さを残す顔。
年齢は二十代中盤といったところか。
必要な箇所だけ、的確に鍛えられた筋肉は、
やはり陸軍の訓練によるもの。
右手は大きな添え木と、
包帯が巻かれ、
小さな擦り傷の跡が見て取れた。
そして、肝心の彼女は、
顔を横に背けている。
実に恥ずかしそうに、
この屈辱的状況に耐えているらしい。
「………ッ」
梔子は、もう観念していた。
こうして敵の治療を受ける事にも慣れていた。
だが、やはり米田との対面は耐えがたいものがある。
「……」
米田は、特にその右腕とその梔子の顔を見ながら、
神妙な面持ちをした。
そして、大きく頭を下げる。
「………ッ!!?」
その場にいた、誰しもが驚きを隠せなかった。
あの米田が、頭を下げている。
彼らの小さな会話など、雑音は一瞬にして消えた。
それほど、米田の一礼は深いものだった。
頭を下げたままの米田は、
頭を向ける"敵"梔子に対して言う。
「……すまねぇ。
君達のような未来ある者達に、
もう二度とこんな事ぁさせねぇ」
深い言葉。
それは米田の懺悔だった。
「………」
顔を背け、辱めに耐えていた梔子の震えが、
その時の言葉を聞いて止まる。
今まで、散々上の連中には騙され続けてきたけど、
それはたった今、報われたような気がした。
そして同時に、
死んだ水嵩も報われたような気がした。
偉大なる米田の行動、
そして、この花やしき篭城劇がたった今、
真の終焉を迎えた。
静まりかえる周囲。
その中には、
わき腹を包帯で巻かれた斎垣の姿もあった。
「………」
米田に頭を下げられ、梔子がようやく報われて、
彼もまた切なそうに納得する。
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