花やしき作業員達による、
花やしき奪回の動きは大きかった。
中にはひるんで立ちあがらない者もいたが、
恐らく、彼らには彼らなりの大切なものが他にあるのだろう。
立ち上がってくれた五十名近い花やしき構成員を誘導しながら、
憤慨する部下の質問に対して、
大久保はそう言っていた。
彼は、助けてくれた第三作業班の西谷に、
この立ち上がった者達の話を聞くなり、
すぐに誘導した。
いい判断だった。
全ての作業班を移動し終えた大久保は、
そのまま疲労で倒れてしまったと言う。
医療班にそのまま外へと運ばれた。
管野日真和は、
たった一人の作業を終え、
そのまま、この立ちあがった者達に保護された。
偉業を成した者として、褒め称えられた彼女だったが、
城田貫吉がまだ花やしき内に残っている事を知り、
作戦復帰を訴える。
だが、小さな女性をこれ以上戦わせられないと、
その場にいた警備隊長によって止められた。
そのまま、警備員に外へと案内される。
彼らの動きは、
城田達の後を追う形になった。
何せ、彼らを突き動かした最大の理由が、
無名の作業員が防犯体制を解除したという連絡だった。
あまりにも遅い。
敵の数も三人だとは正確に伝わっていなかったらしく、
中にはテロ組織のような敵を想像していた作業員もいたらしい。
テント煉の医療室。
実に恐ろしげに、敵を話すその者を見て、
大久保と管野は並んで大笑いをしていた。
そして、二人ともうつむく。
大久保から全てを話してもらった管野がつぶやいた。
「それなら、本当は誰も戦わなくても良かったって話ですか?」
肩に包帯を巻かれた大久保がそれに返す。
「……ああ。多分、あいつらの作戦には月組の囮か、紅蘭誘拐までしかなかったはずだ」
二人とも肩を落とす。
特に、管野は大きく。
今も、あそこで活躍する城田を思うと、
管野はたまらなくなった。
うつむいた顔を両手で覆って言う。
「……また…あの人は……。
辛くて誰にもわかってもらえないんですか…ッ!」
大久保が顔をしかめた。
「また?」
すると、管野は大きくうなずいて、
涙ながらに訴えた。
「前の大戦の時もそうだったんです!」
酷く訴える管野。
確かに以前もそうだった。
しかし、それ以上に、今回は危機感があった。
大久保は眉をまげて悔しんだ。
嫌な雰囲気が立ち込める。
──────────────────────────────……………………………
太正十三年。
暗かった第二工場付近にも、ようやく通電。
第五研究班と第三作業班が梔子を取り囲んだ時、
電気はたまたまついた。
だが、周囲はそんなものは関係がないとばかりに、
誰しもが沈黙した。
取り押さえないのは、城田貫吉という男が、
その扉を開いてしまったから。
この中の誰かが、梔子の身に触れようものなら、
恐らく梔子は扉の向こうにいた人質を撃っただろう。
そんな中、焦る梔子が口を開く。
「止まれや……」
それは苦し紛れの言葉だった。
銃口を城田の頭に突きつけ、言う。
だが、城田は目の前の光景に目を奪われ過ぎて、
それ所では無かった。
ひざまづき、前だけを見つめる城田はつぶやく。
「……紅蘭」
まさにそれは"再開"だった。
だだっ広い工場の一つの柱を、
開いた扉から指し込む光が照らす。
城田と梔子の二つの影が伸びて、
柱の手前で止まっていた。
柱に括り付けられた少女。
静かな空間にぽつりと、
置き去りにされたかのようにそこにいた。
機械ワイヤーの縛り跡が腕の何箇所にもあって、
彼女は疲労の表情をしていたが、
すぐに弱々しく微笑んだ。
「……なんやぁ…やっぱり生きとったんやなぁ…城田はん…。
銃声が何回もするから心配したやんか…」
弱々しかったが、
それは確かに紅蘭の笑顔だった。
「……ッ!!」
城田はまるで神でも見ているような表情をした。
紅蘭が生きているという現実は、
奇跡にも近い確率だったからだ。
今もこうして、笑顔を送っている様はまさに李紅蘭そのもの。
特に、それ程跡が残るほどの監禁状態の後に、
笑ってみせるなど、紅蘭以外に誰がいる。
城田貫吉は感極まって、
うつむき加減で少し笑った。
最高の対面ではないか。
思わず告白しそうになる。
それ程、嬉しい事で、
けだるい男が熱くなる対面だった。
これ程の"再会"を見せ付けられ、
苛立つ梔子。
思わず、銃を構え直す。
だが、その様を紅蘭は止めた。
機械ワイヤーに体を食い込ませながら、
大きく前に出ようとして叫ぶ。
「あかんッ!梔子はん!
ここで人を殺しても、陸軍は動かへんよッ!」
すると、梔子の動きは鈍った。
紅蘭の言葉が重くささったらしい。
何せ、梔子が自分の目的を唯一話したのが、
紅蘭だった。
紅蘭の人柄か、同じ女性だったからかは解らない。
だが、話した事は事実だ。
梔子はこの騒動で篭城し続け、陸軍に協力をしてもらうという目的を持っていた。
そしてそれは、あの二人を助ける事に繋がる。
梔子達が所属していたのは、
帝撃構想に反対する、陸軍側の組織だった。
すでにその事を知っている城田も、
その紅蘭の言葉で、ようやく梔子の目的を知った。
「う、五月蝿いよ!李紅蘭!」
焦る梔子。
そこに紅蘭が続けざまに叫ぶ。
「もうええやんか!
陸軍も帝撃も関係あらへん!」
「関係なくとも、うちらの組織とあんた達は争うッ!
帝撃のもう一つの敵は人間なんだッ!!終戦はないんだッ!!
気付いてるだろ!?」
嘆く梔子。
恐らく、これほどの精神的負担を陸軍訓練生時代から受け続けてきたのだろう。
彼女だけじゃない。
斎垣という巨躯の男も、水嵩という明朗な男も。
今の梔子には、
彼女の所属する陸軍全てが表現されているように感じた。
辛くて、悲鳴を上げている。
紅蘭は心底悲しそうな表情で、
梔子を見つめた。
苦しそうな梔子に、
彼女はありったけの知識を持ってして、伝えた。
「気付いてるけど……笑おうとするのが人間やん……」
紅蘭の身体はとても疲労していて、
その声はとても小さかった。
だが、それは今までのどんな事よりも、
梔子に大きく突き刺さる。
その瞬間、まるで、走馬灯のように今までの陸軍時代が思い出された気がした。
それも楽しい記憶ばかりが。
「………ッ!!」
凍てつかせていたはずの、
梔子の心が溶ける。
二十年以上も陸軍にいて、命を費やす任務を命じられて、
こんな所で少女監禁をしたあげく、
ようやく気付いたのは、
普通の幸せから目を背けていた自分達だった。
多分、斎垣も水嵩も、
この場にいたら、同じ気持ちになれたと思う。
陸軍の目的の為だからと、
切り捨てられる事を選んだ三人には、
紅蘭の環境がまばゆくも見えた。
そして判断するだろう。
己はこの長い人生のどこかで、
道を踏み違えてしまったのだろう。
「…………あかんッ!!」
その時、紅蘭が今までにない大きな声をあげた。
城田が目を見張る。
そして、周囲の作業員達も、
その者の行動に目を見張った。
自らの頭に銃口を突きつけて、
脱力した梔子は言う。
「……陸軍万歳、かね」
それは、まさに『神川弐式銃』の本来の使用法、
"自決"であった。
紅蘭が『あかんよ』と大きく叫ぶ。
周囲はどよめく。
城田は目を見開いて、
梔子を見上げていた。
次の瞬間。
パァンッ!!
銃声は響いた。
飛び散る血。
唖然とする周囲。
「……なんて事や…」
愕然と紅蘭はつぶやいた。
目の前の光景は、ある意味、最も最悪の光景だった。
「…………」
立ち昇る煙。
「………」
強く瞳を閉じていた梔子。
だが、自分の耳が周囲のざわめきを聞いて、
自分が生きている事を悟る。
だが、確かに銃声は聞こえて、引き金は引いた。
ゆっくりと目を開いた梔子は、
目の前の光景に驚愕する。
立ち昇る煙が臭かったが、
今は関係無い。
梔子はその阿呆を見つめていた。
もう、どうしようもない。
たち尽くすほか、今の梔子にはできなかった。
城田は、梔子の拳銃の銃身を両手で握り締めていた。
静かになった第二工場に、
そいつのけだるい声が響く。
「仕事の為に死ぬ奴なんざ、
この花やしきの作業員にはいねぇんだよ……ッ!!」
痛みをこらえた男の咆哮。
「………ッ!!」
人間として強い者、作業員として強い者、
二人から諭され、愕然とする梔子。
梔子の頭部とは違う場所を向いた銃口からは、
今も煙が立ち込めている。
城田の右手は、銃口にわずかながら被さっていたらしく、
中指を中心に火薬によって吹き飛ばされていた。
切り飛ばないまでも、重傷になった彼の右手。
それは作業員として、仕事道具を失う事と一緒だった。
それが、梔子という名前も知らない、女刺客の自殺を食い止めた代償。
もし、それなりに心得のある者が、
銃を握って同じ事をしていたならば、
なんの問題無く銃身をそらしていただろう。
だが、城田は作業員。
銃の扱いに慣れているはずも無い。
だから傷を負った。
だが、その心得のある者とやらが、
果たして梔子の自殺を止めようとしたかのか、否か。
ともかく、城田は彼女を助けて、
負傷した。
「………あかんよ、それは…」
右手の負傷を見て、
つぶやく紅蘭。
痛みに耐える城田は拳銃を遠くに投げ捨て、
紅蘭の元へ歩いた。
支部長を助けようというのだ。
ゆっくりと、疲労した足をひきずりながら、
機械ワイヤーに縛られた紅蘭に歩み寄る城田。
その場にいた作業員達は、
誰も動こうとしない。
いや、動けないのだ。
その場にいた誰しもが思っていた。
"今、紅蘭を助け出す大役ができるのはあの男しかいない"……と。
だから、彼らはこの大人数で、
倒れる城田と紅蘭、そして梔子を運び出す役目に終わる。
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