残された女
暗闇の花やしき施設。

制御室奪回に成功し、
全ての施設が正常に動き始めたのだが、
電源というものは一瞬にして満たされるものではない。

特に、花やしきのように縦らせん状のような作りの施設では、
放射状に通電する事は無い。

蟻の巣のような施設の数々は、
繋がれたケーブルパイプにのみ、エネルギー供給が託されていた。

つまり、
どこか一つの施設を拿捕してしまえば、
以降の通電はままならなくなる。

城田が向かった第二工場は、
まさに通電が遅れ、
電気の届かない暗い場所になっていた。

刺客達が完全占拠していた頃と同じく、
頼りは非常灯のみ。

その暗闇の中、
突然の銃声が聞こえたのは、
城田が第二工場を目前にした時だった。


パパァーーンッ!!!


耳をついざむような撃音。
弾は城田の脇を抜けて背後の通路に被弾した。

「……ッ!?」

あまりに突然だったので、城田は敵がいる事も忘れてたじろいだ。

そして、ゆっくりと立ち止まって大きく息を吸う。

『未確認の反応が第二工場にある』

頭に熱が入り過ぎて、
城田はなぜ自分が第二工場に向かったのかも忘れていた。

最後の敵は紅蘭と同じ場所にいる。

敵はまだいるのだ。

『……阿呆か、俺は』

平和慣れした城田には、
"敵"という言葉が実感できなくて、
少々間抜けだった。

何せ、負傷している彼女を見て、
城田は『手当てが必要か』などとも考えていた。

刺客である相手からすれば、
自殺行為以外のなんでもない。

「……くッ」

城田はすぐに気を取り直す。

目の前の見知らぬ女は、確実に敵だ。

それも、命をやりとりする刺客。

「………」

城田の視線は、敵の銃口に釘付けになっていた。

固まった相手を見つめ、
冷たい視線を送る梔子。

しっかりと伸ばした手には、
『神川弐式銃』が握られている。

彼女はその銃を自らの始末ではなく、
最後の戦いに使用する事を決断していた。

何せ、彼女は他の二人のように簡単には死を選べない。
もとより、そういう考えすら持てなかった。

だが、今は何よりも"死"を近くに感じる。

「………」

これが"死"を覚悟するという事かと、
梔子は体感していた。

見回りから帰らない水嵩。

紅蘭監視という任務をほっぽり出して、
持ち場に戻らない斎垣。

静か過ぎる携帯蒸気キマネトロン。

梔子は今度は、自分側が追い詰められている事を知っていた。

『あいつらは自決した』

そういう、誇り高い奴らなのだ。
斎垣と水嵩は。

「……待てよ…撃つなよ…」

不慣れな構えをしてみせる城田が言う。

梔子の思案は止まり、
己が敵に銃を突きつけている状況だという事を思い出した。

「………」

冷酷に、標準を相手に向ける。
その時、彼女は相手の顔を見て、ハッと気がついた。

脳裏に浮かぶ、第一会議室襲撃。

紅蘭に銃を向けた時、横から突然飛びかかられた。
そして、馬乗りに股を開いて四肢を抑えてくる男。

その時、梔子は男装していたから、
相手を男だと思って本気で取り押さえようとしていた。

その必死な顔が脳裏にこびりついていたらしい。

今、目の前にいるこいつは、
紅蘭を実際に助けようとした唯一の男だ。

「……ははッ!」

沈黙の中、梔子は小さく笑った。

あの時、紅蘭を助けようとした男が、
今、追い詰められた自分達の敵として目の前にいる。

多分、相当紅蘭を助けたいのだろう。

だから、防犯装置で要塞と化した花やしきに侵入したのだろう。
それも、そんな小さな鉄砲一つで。

作業員の服を身にまとい、
見え透いた銃の存在を隠している城田の姿は、
その時の梔子には滑稽に見えた。

だが、無様な滑稽である。
ここで悠長に笑ってなどいられない。

梔子は最後の通告の意味も含めて話した。

「ただの作業員と訓練された私とじゃ、どう考えても勝てないね。
 どうせ他の仲間も全員作業員なんだろ?」

「………」

城田は両足を震わしながらも、何も答えなかった。

彼女の言葉は図星。
だが、城田は認めなかった。

拳を強く握りながら、こっちを睨んでくる城田を見つめ、
梔子は実に険しい表情をして見せる。

苛立って、つぶやいた。

「……バレバレなんだよ…はったり野郎」

そして、彼女はその引き金を引いた。


パンッ!!


短い銃声。
火花が散って、弾は城田の目元を通って背後に行った。

「……ッ!!」

大きく目を見開く城田は硬直するが、
自分の指先が動く事を知る。

大丈夫。
まだ生きている。

そう、必死に頭に言い聞かせて、
ようやく城田は立っていた。

その様子を見て驚いたのは梔子だ。

当てなかったのはわざとだ。
銃に関しては三人の中で一番上手な梔子が、
この至近距離ではずすわけが無い。

目元を狙ったのも、相手が飛び来る弾丸を見てたじろかせる為。

大体のはったり野郎が、
これで本性を現す。

それなのに──。

『……どうして、一歩も動かない』

括目する梔子は思う。

脳裏には、もうそれしかなかった。

拳銃を突きつけられて、尚も立ち向かわんと構えてくる男。

弾は痛い。

そんなのは一般人でも知ってるし、
花やしきの作業員とあらば、
最も近くで"命を絶つための機械"を見ているはずだ。

そんな恐さよりも、
紅蘭を助ける気持ちが大きいなどとでも云うのか。

対峙する二人。

梔子の持つ拳銃から白煙が立ち昇っていて、
城田の胸元には今も安全金がはずされた拳銃が収められている。

時を惜しんで、
沈黙の中、城田は口を開く。

額には汗がにじんでいた。

「……もう無理だろう。
 初めから、三人で花やしきを占拠し続けるなんて無理な話だったんだ」

「五月蝿い」

梔子はすぐに言い返す。

もちろん、銃を下ろす事も無い。

城田は続ける。

「なんでだ……。
 情報データならもうとっくに取り終えただろう?
 邪魔な人質を残して、逃げればよかったじゃないか」

「五月蝿い」

またも、同じ返答。

しかも、同じ速さ。

梔子はこういった類の尋問を幾度か体験している。

説得には応じない。
それだけの意思の強さと、確固たるものがある。

梔子は切り返すように言った。

「もとより、うちらに帰る場所なんて無いんだ。
 あんた達を全員殺して中央突破だよ」

冷たい口調。

切ない内容だった。

「………」

危機的表情の城田は沈黙する。

疲労は限界にまで達していたが、
どうにも動ける様子もない。

しかも、敵はゆうずうの効かない刺客。

致し方なしと、
胸元の拳銃に手をかけた、その時だった。

「伏せろッ!城田ッ!!」

誰かの声が、後ろ、それも遠くの方から聞こえた。

振り返る城田と、
目を開く梔子。

「ああ……ッ!?」

なんだか解らないが、驚く城田は言われるままにしゃがみ込んだ。

突然にしては中々、いい判断だったと思う。

次の瞬間。


シュパンッ!!


空を裂く撃音が辺りに響いて、
山なりの弾道がうつぶせる城田の背中の上を飛び越えていった。

「……ッ!?」

目を見張る梔子。

だが、いくら彼女とて、
弾を見てからよけられるはずがない。

大きく左によける。

しかし、反動で開いた右腕に被弾した。

「うあッ!?」

驚き混じりの声をあげ、激痛に耐える梔子。

かすむ視界の中、彼女の右腕は真っ赤な血を弾き飛ばし、
拳銃を落とす。

暗視遠距離射撃。

戦い慣れした梔子は、
一瞬で判断した。

「……なに!?」

目の前で、初めて人が撃たれる様を見た城田は、
目を見開いて括目する。

城田の背後から来る数人の者達。

『第三作業員』と書かれた帽子を深々と被るその者達は、
城田の背後に立った。

中には、今しがた撃ったのであろう馬鹿でかい銃器を携える者もいた。

男や女、中には若い者もいたが、
全員、第三作業班の構成員らしい。

ようやく銃口の恐怖から開放された城田。
地面に伏したまま相手を見る。

まだ、倒したわけではない。

こんな援護など、頭のどこかで予想していた。

『花やしきの作業員は、どうしても立ち上がる阿呆さんばかりや』

そう、あやしい関西弁で話す女を城田は信頼している。

「………」

食い込む弾の激痛と、
右腕の喪失感にさいなまれる梔子。

彼女は地面に落ちた拳銃を拾い上げると、
獣が睨みを効かすような視線を向けて逃げた。

体制を立て直す。

敵に援軍が来た時の判断としては正解。
彼女はまだ右腕を撃たれて尚、冷静さを欠いてはいなかった。

相手のいない、反対側の通路に走ったのである。

「……ッ!!」

だが、それも駄目だった。

すでに銃を構えた連中が、
梔子を睨んでいる。

各々の手には拳銃を握り締めていた。

それも、一人を殺すにはもったいない、
連射式の銃機『マシンガン』だ。

「ちくしょう…ッ!!」

一瞬、全員殺すかとも判断した梔子だが、
何せ右腕の出血量が厳しい。

激しく動けば、それだけ血を失う。

そう判断している間にも、
『第五研究班』と書かれた帽子を被る相手達は、
梔子ににじり寄り、追い詰めていく。

文字通り、梔子は追い込まれていた。

「………ッ!!」

周囲を見渡す梔子。

横は壁、前は敵。後ろも敵。

たった一人の中央突破はできないようで、
言いようの無い焦りがこみ上げてくる。


──はめられた。


敵の狙いは、"敵を、この包囲しやすい長通路に留まらせる事"。
そしてこの男は囮──。

新しい負傷の右手を抑え、
周囲を睨みつける梔子。

だが、彼女のその時の判断だけは、
間違いだった。

城田は援軍の事も知らなければ、
留まらせようなんて事も考えていなかった。

考えていたのは、
どう敵を取り押さえるか。

そして、その判断ミスは梔子の愚かさというやつを現していたのかもしれない。

もし、そんな殺伐とした考えばかりが浮かばなければ、
少しは報われたのかもしれない。

そう解っていても、
今さら辞めるに辞められない梔子は舌打ちした。

その時だった。

「……紅蘭ッ!」

梔子の足元で声がした。

城田だ。

彼は焦るままに立ちあがり、
第二工場の扉に手をかける。

「……ッ!?」

あまりの執着心に目を見張る梔子。

だが、すぐに、そうはさせないと立ちはだかる。

「おい!あんた!!
 止まれよ!!」

少々、かすれ気味な声を出しながら、
左手で城田の肩を掴む梔子。

だが、城田はそれをつっぱねると、
目の前の扉の起動ボタンを押した。