太正十三年。
春の終わりはとても暑くて、
そろそろ梅雨入りしそうだった。
戦闘能力がほぼ皆無の花やしき支部が陥落して、四日目。
花やしきは今日も静かで、
何もないように見える。
だが、人は動いていた。
攻める者と拒む者。
たった三人でこの花やしきを牛耳っていた"拒む者達"は、
すでに二人が戦闘不能。うち一人はすでに他界。
始めから、無理な作戦だったのかもしれない。
たった三人でこの巨大な施設を手にしようなどと言語道断だった。
もし、月組が攻め入っていれば、
瞬時に解決していた事件だったろう。
しかし、その援軍は来なかった。
"拒む者"側も同様。
……では、この戦いはなんの為の戦いだったのか。
物語は加速的に進み、
そろそろ終結へ。
様々な答えが出ようとしていた。
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「…はぁ…はぁ…」
その時、城田は息を切らして走っていた。
花やしきの通路を駆ける。
その手には拳銃が握られていた。
脳裏に映るのは、
先ほどの大久保からの連絡。
小型キマネトロンから聞こえてきた彼の声は、
とても細くて、酷く疲労している姿を想像させた。
『制御室で全ての防犯体制を正常に戻した。
お前は花やしき構成員の照明板を持っているからもう何も無いだろう』
ケーブルパイプの上で寝そべっていた城田。
連絡を聞いて起き上がっていた。
周囲はまだ暗くて、
大久保の言う言葉に実感は持てなかった。
とりあえず、作戦が成功したのだろう。
城田はそろそろ自分の番だと重い腰を上げる。
その通信が入ったのは、
まさにその時だった。
『敵のうち二人を倒した。
一人は捕らえて、一人は死んだ。
さっき管野が女と接触したと言っていたから敵は恐らくあと一人。気をつけて』
淡々と彼は語っていたが、
所々で傷が痛むのか、戸惑っていた。
「……はぁ…はぁ」
城田は息を切らして通路の角を曲がった。
あの時の大久保の言葉が鮮明に蘇る。
『城田…』
その時の大久保は城田の名前を、
友にすがるように呼んでいた。
その時の城田は胸元からタバコを取り出していたのだが、
思わず止まってしまった。
キマネトロンの電波が乱れ、
わずかに彼の声がぶれるが、やがてそれは正常に戻った。
戻った時、大久保は小さく鼻で笑っていた。
『息子に…逢えたよ。
止められなかった。
……すまない。協力してもらっておきながら』
彼の声は涙ぐんでいた。
恐らく、傷が痛むからではないと思う。
まるで、神様に懺悔してるみたいだった。
大久保の過去話は、紅蘭が奪回されて、
花やしき施設を脱出した直後に本人から聞いた。
そして、何が花やしき支部を陥落させたのかも、
その時聞いた。
テントで、出撃を決心しかねていた時、
大久保は『助けたい人が二人いる』と言っていた。
片方は紅蘭支部長で、もう片方は息子だと。
息子の名前は大久保正太郎だと言う。
城田はその時悟っていた。
大久保拓道は命を捨てて、息子を助ける覚悟だった。
そしてその結末が息子の死。
おそらく今頃は、生きている自分を最も呪っている頃だろう。
彼は必死で戦っていたのだ。
城田は、それを知りながらも茫然としていた自分自身が、どうにも嫌になった。
『誰かが戦っているのに、こんなケーブルパイプの上に寝ている自分』が、
どうにも許せなかった。
聞けば、管野日真和も敵に遭遇し、
死に物狂いで防犯体制を切り換えたのだという。
戦っていないのは城田だけ。
その事実が、今の城田を突き動かしていた。
『未確認の反応が第二工場に一つある。
恐らくそれが最後の敵だろう』
通信の最後に、
大久保はそう付け足した。
その通信の後、すぐに城田がその場から飛び降りたのは言うまでも無い。
そして、突っ走る今に至る。
「……まったくよォ…。
コイツは参るぜ…」
久々に険しい表情をしながら、
城田は走った。
言いようの無い疲労感があった。
日ごろ、タバコばっかり吸ってるから持久力が無くなってる。
じょじょに鉄板を蹴り付ける足音が聞こえなくなってきて、
代わりに自分の荒れた呼吸が聞こえてくる。
次の曲がり角を左に曲がり、
次の角を右に曲がる。
そして、最後の長道を走りる。
見えた。
奥から三番目の扉、すなわち第二工場の入り口が見えた。
その時だった。
城田は、道の真中に人が立っている事に気がついた。
「……?」
城田は握り締める拳銃を懐にしまう。
なんとなく、警戒心を煽ってしまう気がしたからだ。
まだまだ走る城田。
相手は立ち止まっていて、その距離は徐々に近づいてくる。
相手の髪型も見て取れるようになっていた。
短髪の黒髪。
頬には鉱物をすったような傷があり、
見慣れた作業服は土ホコリと血痕がにじんでいた。
負傷していることは一目でわかる。
「……ッ!!」
さらに何かに気付いた城田は目を見開く。
相手は拳銃を構えていた。
城田の気遣いはどうやら無駄だったらしい。
しまったはずの拳銃を、とっさに胸元から抜き出そうとする。
だが、それはびくりと止まった。
「………ッ」
そいつの冷たい視線は、
あまりにも城田には厳し過ぎるものだった。
第二工場前の通路に、
嫌な雰囲気が充満する。
城田は直感的に感じ取っていた。
"こいつは味方ではない"……と。
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