息子
九時丁度。
第二工場。

紅蘭を捕らえている施設。
今は紅蘭の見張り役を斎垣が一人で行っていた。

本当なら梔子との二人で担当するはずだったが、
彼女は『外を見てくる』と言って出ていっている。

おしゃべりな彼女がいないので、
この工場は本当に静かだった。

しかし、その時、何かが起動する音が響いた。
防犯体制の昼夜変換が変わった影響だった。

「……?」

腕を組み、胡座をかいていた斎垣が天井を見上げる。

こんな現象が起こるなど、
別行動の水嵩からは聞かされていない。

しかも、梔子からの連絡を届けるはずの斎垣の小型キマネトロンは、
梔子が切り捨てた長袖部分に覆われていた。

音声が斎垣まで届かず、
彼は梔子の連絡を聞き逃す。

ブウゥンという低い音が響き、
天井の点灯が赤い光を灯した。

「………」

しかし、特に何も変化は無い。
不審に思う斎垣。

紅蘭は疲労から、また頭を垂れていた。

天井のランプは不気味な赤い光を持ったままだ。

「……梔子の奴、何をやらかした?」

つぶやいた斎垣は、
その時、重い腰を上げた。


─────────────────────…………………………


一方、別の場所。

斎垣が信頼を置く男、水嵩は第一制御室にいた。
突然機能した装置の数々に驚く。

「……何事だ?」

水嵩は制御室の中枢機器に両手をつけ、
小型投影機を食い入って見ていた。

ぼんやりと緑の発光をする投影機には、
花やしき支部全体の図面と防犯装置の機能状況を示す赤点が点灯している。

これが、先ほど丁度午後九時に変化した。

当然、水嵩は何もいじっていない。

敵の進入があるとするならば、最初にここを狙うはずだから、
ここに来ていただけである。

「………」

周囲には、先日、花やしきの侵入時に殺した人間達の死骸が転がっていて、
異様な臭気を放ち始めていた。

春先とはいえ、まだまだ熱い。
だからといって花やしきの全体電源を入れないと、
施設空調はままならない。

この死骸も仕方なく放置しているが、
この制御室と紅蘭のいる第二工場を行き来した梔子に言わせれば、
どうにも処理したい。

だが、それは任務中だからと、
水嵩が止めた。

「……昼と夜のランプ…今、点灯しているのは昼」

つぶやく水嵩は考え込む。

そしてそれが、
防犯機能全体の機能変化を示している時、
水嵩は大きく目を見開いた。

彼の頭脳は明朗だ。

勝手な機能変化が、
侵入者によるものだという事に気付くのに、
そう長くは必要としなかった。

「……さっきの梔子の通信はこの事か…ッ!」

そう、彼が口を開いた時だった。

背後から突然、何かが落ちた音が聞こえて、
水嵩は振り返った。

「……!?」

開き切った扉の向こうに映る、
銃を構える男の影。

こいつが侵入者だと理解する水嵩。

しかし、そいつは猛然と突き進んできて、
水嵩の右肩を蹴飛ばした。

完全に不意を突かれた形になる。

「……くッ!!」

大きく身を弾かれ、
倒れ込む水嵩。
すぐに受身を取って、立ちあがろうとした時だった。

「……ッ!!」

振り向くと、そこには髭の生えた中年の顔があった。

見覚えは一切無い。

そいつは銃口を水嵩の額に押し当てて
口を開いた。

「すぐに紅蘭支部長を開放しろ。
 死との二者択一だ」

"そいつ"は通信局長、大久保拓道だった。

彼は驚くべき事に、
刺客の一人が圧倒する身のこなしをして見せた。

腐っても元陸軍所属だとでもいうのか。

彼は一番困難だと思われた、
制御室奪回を城田に任されていた。

『俺は体術を覚えているから』と自信満万に言っていたが、
これは体術とかそういう類の動きではない。

まるで、刺客である彼らと同じ、
"殺す"ための動きをしていた。

ただの技術屋がこんな動きをするとは、
さすがの水嵩も目を見張った。

周囲に音は無くなり、
倒された男と上にまたがり、
銃口を向ける男は対峙する。

その内、額に汗した大久保は言った。

「答えろ!」

大きく声を荒げる。

すると、目を見張りつつも、
大きく息を吐く水嵩は冷静に口を開き始めた。

「その銃の構え方、軍隊の訓練を受けた人間の握り方だな」

彼にはまだ余裕があるらしい。

とっさに大久保が軍隊に在籍していた事を悟る。

確かに、大久保の銃の握り方は独特で、
肩も右肩だけ上がっていた。

だが、図星を突かれても大久保はたじろく事は無かった。

「そうだ」

そして彼は、決死の表情で続けた。

「大分腐っちまったようだな。お前らは。
 俺がいなくなった頃と、全く変わっていない」

彼は突然、不思議なことを口走った。

まるで、彼が昔、この刺客達と同じ組織にいたかのような口ぶりである。

しかし、今はしがない通信局長。
こんな国家規模を敵に回しかねない行為をするようには見えない。

何せ、大久保はあのけだるい人間、
城田貫吉と分かり合える程の良い親父であるはずだ。

人に銃口を突きつけている、
今の光景が無かったら想像もできない。

「………」

水嵩は大久保の発言に目を見開いた。

そして、やがてそれは閉じて、
小さくニヤける。
納得した。

この男の身のこなし。

もし、俺達と同じ側の人間だというならば、
そういう訓練を軍隊にし込まれていたとしてもおかしくはない。

むしろ、必然的な強さだ。

そしてこの男は恐らく……。

水嵩はしばし沈黙する。

そして、彼はまた息を吐いた。

「腐ってるのはあなたも一緒。
 例え辞めたからといって過去が帳消しになるわけもないですよ」

彼は突然、敬語になった。

目を細める大久保。
中年親父の表情が実に厳しいものになった。

水嵩は真剣なまなざしで、
大久保を見上げる。

実は思い出したのだ。
昔、水嵩の所属する裏組織から抜け出し、
帝国華撃団という部隊に入る事でカタギの世界に戻った男の話。

彼は残酷な任務をそつ無く遂行する達人だった。

それが突然姿を消したものだから、
当時の組織は大荒れして処分しようとしたが、
彼はその追っ手を丁寧に全て送り返してきた。

五体バラバラの上に、各死体の一つ一つにメッセージを残して。

『俺にもう手をだすな』

そのメッセージが五、六回程続いて、
ようやく組織の上連中は彼の処分を保留とした。

惨殺された追っ手の中には、
水嵩の同僚もいて、彼は深く覚えていた。

水嵩は感慨深くつぶやく。

「人殺しが嫌で逃げ出して、引退して隠居して、
 それで今は隠居場所を守る正義の男ですか」

大久保はこの若者に目を見張る。
自分の事を知っているらしい。

大久保の予想では、
顔すら覚えていないだろうとふんでいた。

壮年の男はその時、
時の流れというヤツを肌で感じていた。

大久保拓道は偽名。
だが、確かに彼は人を殺した事のある『大久保』。

先人である男に、水嵩は言い切る。

「あなただって、結局は銃を握ってるじゃないですか!
 ましてや俺達の偉大な先輩であるあなたに、
 俺達を愚弄する権利は無いはずだッ!」

「………」

顔をしかめる大久保。

彼と水嵩の組織が巻き起こした運命が、
こんな所で紡がれようとしていた。

大久保は手馴れてしまった拳銃を強く握り、
口を開く。

「熱くなるなよ……若造」

「……ッ!!」

その時、水嵩は冷たい風にさらされた。
いや違う。

これは『大久保』の殺気だ。

饒舌だった水嵩は押し黙る。

これが殺気だといわんばかりに、
大久保は本性をむき出しにして威圧したのだ。

目の前にあるのは恐怖に耐えている若者の顔。
自分が握り締めているのは捨てたはずの拳銃。

これを撃てば、
あいつとの約束は消える。

彼は元陸軍所属にして、刺客。
『大久保』は通り名のようなもので、
彼を花やしき支部に向かい入れたのは先代の支部長だった。

彼もまた"良い親父"だったと思う。

ぼろ雑巾のような『大久保』を拾ってくれた親父と共に花やしきを守り立ててきた親父。

やがて二人の親父の片方が消え、
今はもう片方の親父が花やしきに残って頑張っている。

あいつの意思を継いで、花やしきに。

ただ、それだけだった。

こんな襲撃さえなければ、
大久保は再び『大久保』にならなくて済んだ。

それを思うと、
大久保はとても悲しくなり、
同時に普通の親父に戻っていた。

「……国村…」

実につらそうに、
大久保が先代支部長の名を呼んだ時だった。

「……ッ!!」

大久保がまどろみから目を覚ますと、
目の前の若者は頭部に自ら拳銃を突きつけていた。

一瞬の隙に、
水嵩は自らの外ポケットから銃を抜き取ったらしい。

それを大久保ではなく己の頭に突きつけたのは、
どうやら観念しての事だった。

握られた銃は『神川弐式銃』。
彼の所属する組織が、己の処理を自ら行う時に使用する銃だ。

彼は知っている。

『大久保』という名の男がどれ程、すばらしい銃の使い手で、
自分達の憧れだったかを。

驚く大久保の目の前で、
水嵩はニヤついた。

銃口を自らに突きつけた若者は言う。

「あなたがここまでに腑抜けるのならば、
 俺達にも未来は無い。
 あなたがここにいた以上、もう俺達はどうしようもない」

まさにそれは、
だらしない父親に絶望視する、
思春期の少年そのものだった。

大久保は目を細める。

今、息子が自殺しようとしていた。

「待て!
 まだお前には……」

大久保がそう言って止めようとしたまさにその時だった。


……パンッ!


まるで、皮袋が破裂したかのような音がして、
水嵩の頭が大きく揺れた。

弾かれた血しぶきが、
床一面に扇状に広がる。

「………ッ!!!」

絶望の表情をして見せる大久保。
思わず、手から銃が落ちる。

そして、それと同時に、
水嵩の頭からトクトクと血が流れた。

「………ッ!!!」

言い表せぬ感情が、
大久保の脳を震撼させる。

目の前で死んだのは、
黒い時代に捨てたはずの子供。

そして、その子供は大久保が黒い時代から脱出する理由だった。

それなのに。

「う…うぅお……」

大の大人が涙をこぼす。

大久保は、任務を果たせない者の末路というヤツに、
自分の息子が足を踏み入れてしまった事に対して、
絶望を隠せなかった。

この陥落した花やしきに足を踏み入れたのも、
息子を助けたいという思いもあった。

黒い組織。

息子を危険から遠ざけるために辞めたのに、
よもや、その息子が組織に入るとは思ってもみなかった。

十年来の再開で、
一目で息子だと解ったあの時から、
大久保の心情は息子救出と決まっていたのに。

反して命を投げ出す息子。

最後まで、駄目な父親だったと思う他無いのか。

それとも、自分の心に嘘をついて、
息子が父親を生かすために死んだと思い込めとでもいうのか。

そんな無意味な息子がどこにいる。

「う…うぁあ……」

目の前が真っ暗になり、
息子の骸に手をかざす大久保。

このまま、自分も死ぬ気でいたのかもしれない。

「……水嵩!?」

その時、背後から、男の深い声が聞こえた。

どうやら、息子は水嵩と呼ばれているらしく、
仲間が来たらしい。

こんな光景を見られれば、
すぐに銃で撃たれる。

そんな事は解っていた。

しかし、どうにも体に力が入らない。

息子が死んだ。
この世のどこかで生きていると信じていた息子が死んだ。

まるで、自分の体の半分が死んだような感覚だ。

半死の人間に、
その時、どうして動けるというのか。

「おのれッ!侵入者か!
 よくも水嵩をッ!!」

仲間の死を目の前に、
感情高ぶらせる男。

彼は銃を、血だらけの水嵩に乗る男に向けて構える。

「………」

もう、大久保の手に銃は握られていなかった。

放っておけば、
多分、その時大久保は死んだだろう。

しかし──。

"それ"は大久保の頭上にあった、ガラス窓を割って入ってきた。


パァァァンッ!!


大きく間延びした銃声。

それは遠くからこの部屋に撃ち込まれた証拠だ。

そして、山なりに飛び込んできた弾丸は、
瞬時に斎垣の右手から拳銃を吹き飛ばす。

「……うがぁ!?」

痛みと弾の反動で、大きく身をのけぞる斎垣。

彼の手から拳銃は飛び弾け、
大きく倒れた。

続く二発目の弾丸が、
斎垣のわき腹に大きく食い込む。

「……ぐッ!!」

苦悶の表情をする斎垣。
次の瞬間、彼は大きく倒れ込んだ。

「………」

銃声と男の倒れる音によって、
背後で何が起こったか、大体把握している大久保。

深い悲しみの中、
頭を上げて、ガラス窓から向こうを見る。

「……ッ!!」

涙がにじみ、
くしゃくしゃになった顔の目から、
窓の向こうの施設にいる男が見えた。

花やしき施設の中心にある空洞の、
反対側の部屋で大型の銃を構える男。

『第参作業班』と書かれた帽子を深々と被る男は、
大久保の顔を見るなり親指を立てた。

満面の笑みである。

どうやら、大久保は彼に命を救われたらしい。

「……"第三作"の西谷…あいつか…」

目の前の光景に、
大久保は感動を隠せなかった。

どうやら、紅蘭救出のために立ち上がったのは、
たった三人だけではないらしい。

西谷の銃好きは花やしきでも有名だ。

彼は趣味で銃器を訓練している。
拳銃の持つ冷酷なデザインが好きなんだそうだ。

大久保はそのまま立ちあがり、
近くの椅子にどかりと座った。

そして無理に笑って、
遠くに見える西谷に手を振る。

見た目には生を喜ぶ親父。

だが、その失ったものは大きかった。

親子ニ世代で、
黒い組織の犠牲となる。

こんな結果になるとは思っても見なかった。

本当なら、紅蘭救出の為に立ち上がってくれた者の出現に喜ぶはずが、
大久保は笑うに笑い切れなかった。

込み上がる感動と、
喪失感がせめぎ合う。

彼が制御室のキーボードを操作し、
防犯体制と機器電源を正確に入れたのは、
これから五分後の事だった。