その侵入者は小娘
太正十三年。

光武・改のお披露目会にも似た会議中、
花やしき支部に突然侵入した三人の刺客により、
花やしきは陥落。

支部長である李紅蘭が捕虜とされ、
恐らく大部分の技術データが採取されている模様。

その大きな原因は、
その巨大施設の割りに不具合な、小規模の防犯体制の数。

厳重な防犯施設だが、
その数はあまりにも少なかったのである。

だが、今はそれが彼らの最後の希望っぽくもあった。

花やしきの技術者は花やしきの全施設を知っている。

そこが、彼らの優位。

今、機械のエキスパート達の戦いは始まった。


………………


花やしきの出入り口は実は思った以上に少ない。

それゆえ、防犯体制もそのわずかな出入り口を取り締まる事で成立していたのだが、
今回、その侵入は付近に待機していた花やしき警備員達の力で安易に成功した。

何せ相手は三人。

侵入を防ぐほど、
人手は足りていない。

当たり前だ。

相手の目的は花やしき支部の防衛じゃない。

紅蘭の救出を防げばいいのだから、
紅蘭の周りに誰かいればいい。

そこを利用して、城田達は容易に花やしき支部に侵入した。

当然、防犯機器が作動している部分は避け、
わずかな隙間を駆け抜ける。

小人数だからこそ出来る攻略法。

ここで、黒川に手渡された資料が役立った。

そして、今の目的はその防犯機能自体を落とす事。
それを待つため、城田は花やしき施設の隅、
第五化学薬品室の天井ケーブルパイプの裏に横たわっていた。

ここ付近では、
ずっと待機していても大丈夫な場所はここしかない。

他の二人とは、別行動で、
城田貫吉はたった一人でそこにいた。

「………」

息を殺し、薄暗い中で合図を待つ。

素人ながら中々の潜伏能力だった。
さすがに今はタバコを吸っていない。

「大丈夫かよ、あいつ……」

呟きにも似た考え事。

脳裏に映るのは管野日真和。
今回、防犯体制を解くのはあいつの役目である。

出撃時、城田は最後まで反対していたが、
管野はやはり行動派だった。

『………』

思えば、それがあいつと紅蘭のわずかな違いだったと思う。

夕日が落ちる直前の出撃。

その時、本当は一人で行く予定だったけれど、
やはりというか、なんというか、
大久保に止められた。

城田も半ば投げやりに出撃しようとしていたし、
大久保の手助けは正直助かる。

だが、そのおまけに管野日真和が着いてくるとは思わなかった。

『私が二人の通信係りをやります。
 機器の位置を一番知ってるのはこの私です』

そう、彼女は自信満万に語っていた。

「………」

思いにふけり、
城田は存在を確かめるように
胸元の拳銃に手をかけた。

実は彼が警備隊の連中から借りた代物だった。

「………あと二分か…」

腕に巻きつけた時計の針を見つめ、
つぶやく城田。

その胸に隠した拳銃は人を殺すためではない。

とても寂しそうな表情だった管野を横目に、
この武器を警備の方々から借りる時、
城田は今と同じ事を言っていた。


──────────────────────────………………………


午後九時前。
正確にいうと午後八時三六分。

花やしきの防犯体制が厳重になる。

張り巡らされた紫外線は増え、
予定に無い未使用の工場は閉鎖される。

俗に言う、夜型の警備体制の変化だ。

その全ての管理を司る部所は、
防犯施設の第五制御室。

花やしきの地下三階、奥から四つ目である。

「………」

その時、管野日真和はわずかに呼吸を乱していた。

小さい背中を第五制御室の壁にピタリとくっつけ、
頭上のガラス窓から中の様子を探っていた。
廊下を挟む反対側の壁には開閉スイッチがある。

あの赤いレバーを降ろせば、
第五制御室は簡単に入れる。

しかし、彼女は動かない。
その結んだ黒髪の先が、彼女の視界にぼんやりと入った。

静かな空間。
当然、まともな電気などついていない。

あるのは非常灯の明かりだけだった。

周囲には誰もいない。

ここまで侵入している最中にも、
誰にも見つからなかったはず。

右手に抱えた書面通りにここに来ていた。

では、一体なぜ、彼女は第五制御室の扉を開かないのか。

「……一体、誰?」

管野はそうつぶやきながら、
開閉スイッチの隙間のわずか向こうに見える、
人影を探る。

『………』

静かな空間第五制御室の中に、
周囲をうかがいながら歩く、女性の姿があった。

この時、管野は知り得るはずもなかったが、
それは持ち場を離れた"彼女"、梔子だった。

黒髪の短髪、服装は第一作業班のものだが、
その長袖は肩部で切られている。

さすがの管野も、全ての作業員の顔を把握しているわけではない。

管野は無言のまま、
ガラス窓の下にしゃがみ込む。

しかし、その時、
その女性の姿はあまりにも不自然に見えた。

襲われている側であるはずの花やしき施設作業員が、
あれほど無用心に歩くはずも無い。

しかも、敵は三人の男だと聞いている。

考えるよりまず行動が心情の管野も、
さすがに警戒する。

しかし、時間は刻一刻と迫っていた。

防犯装置を切り換える約束の時間は、
九時丁度。

「……刺客より、強いって事はないでしょ…」

不安がる管野は、自分に信じ込ませるようにつぶやいた。

その手は胸元から取り出した煙幕拡散機器を握り締めている。

ピンをはずしてから、約五秒後に周囲を真っ白にしてしまう逃亡用品。
ちなみにこれは城田が石灰と『グレコシル』という西洋の火薬を混ぜて作った、
旧造りな代物である。

仕組みは蒸気振動による加熱によって、グレコシル成分が破裂。
同時に石灰拡散という子供地味た内容。

よもやこれに頼る事になろうとは。

管野はもう、わらにもすがりたい気持ちで"それ"を見つめていた。

「………」

息を殺す管野。

思えば、この周囲の暗闇も恐い。
子供の頃から暗い場所が恐かった。

だから元気に振舞った。

周囲には子供だと馬鹿にされた。
特に夜には。

そんな時、唯一子供扱いしなかったのが城田監督だった。

城田監督はいつもけだるくタバコを吸う人だけれど、
目を見て話す人だった。

だからついて行こうと思った。
好きな人がいる事を知っても、
変わる事はないと信じていた。

そして今、この暗い中で支えられているのは城田の作った代物。

正直、煙幕なんてどうでもいい。

管野日真和には『だから、だから』という考えが多かったが、
今までの人生を振り返れば城田を好きになってもおかしくない。

人は死に直面すると過去を振りかえる。
自分の価値を見出そうとする。

その結果、結局管野は城田を思い出したのだから、
彼女は城田を愛していたといえる。

「………」

管野日真和はその答えに納得した。
突入の意思を再度決め込む。

しかし──。

「はーい。もう、そこを動かないで」

それは突然、背後から聞こえた。

「……ッ!!」

管野はびくりと肩をすくめ、
目を見開いた。

口頭部につきつけられた銃口の感触というものを
生まれて始めて感じ、
彼女の体は硬直したのである。

管野日真和は捕らえられていた。
先ほどまで見ていたガラス窓は少し開いている。

そして、その隙間から細い腕が出ていて、
その先には拳銃が握られていた。

それも大型の口径。
発射時の反動は相当のものである。

ガラス越しに管野に銃を突きつけたのは梔子だった。

彼女はすでに気付いていたのだ。

何者かが廊下を歩くのを。
その足音がこの制御室で止まったことを。

そして、ここからは梔子の経験によるものだが、
足音とは常に目的地で消える。

梔子はとっさに、
この人間こそ紅蘭の言う『かわいそうな人間』なのだと理解した。

小刻みに肩を震わす少女、管野日真和に銃口を押しつけ、
梔子は目を細める。

疑問が生じていたのである。

なぜ、このか弱い作業員を、
李紅蘭が希望とするのか。

とある事情を抱えた梔子には興味津々だった。


───────────────────────……………………………


時間は刻々と過ぎ、
八時四九分。

約束の時間まで十一分。

管野は一人先に潜入して、
その防犯機器を操作するはずだった。

そしてそれは簡単なはずだった。

第五制御室の場所は花やしき全施設規模でも端。

敵の巡回があるとは思えない。
あるとしたら、防犯体制自体の中枢、第一制御室を歩き回ってるはずだった。

城田達もそう思っていたはずだから、
管野を一人で行かせた。

しかし、現実はやはり予想できないらしい。

「さて、まずは目的から言ってもらいましょうか」

第五制御室の中、銃を小娘に突きつける梔子。

その時、管野は捕らえられていた。
予想外にも、敵はこの第五制御室を保護していた。

恐らく、梔子に言わせれば『ただのカンよ』というのかもしれないが、
それは十分、城田達の計画に狂いを生じる引きがねとなる。

ロープが無いので、機械が何も無い隅の方に座らせられた管野は、
細々と口を開く。

「……支部長、李紅蘭の救出」

正直な返答だった。

もしかしたら、隠しても隠し通せないと判断したのかもしれないが、
その時の管野は潔かった。

今、管野は顔を上げ、
強い視線を梔子と名乗った女性に送っている。

こういう"こきみよい"女は、
梔子も嫌いではない。

だから、今の彼女には本気で引き金を引く事はないだろう。

だが、あくまでそれは今の彼女の話である。

何せ、あの日に彼女が放った弾丸は、
会場にいた何人かを撃ち抜いていた。

そして、それと同じ銃口が今、
管野日真和に向けられているのは事実。

花やしきは相変わらず物静かである。

二人の会話以外には、
空虚そのものだった。

「じゃ、次。
 あんたは何者?」

梔子は、淡々と質問を繰り返す。

すると、管野もまた淡々と返した。

「私は通信局所属、管野日真和」

彼女は眉一つ動かさずに言い返した。

この娘は返事がいい。

梔子が心地良くなった頃だった。

「………」

座り込んだ管野は懐の煙幕拡散機器に気を集中していた。

これで脱出してみせる。
本当の意味で、こんなものが最後の切り札になろうとは思わなかった。

その時である。

梔子は意外な言葉を口にした。

「あんた達、信頼し合ってるんだな。
 少し、ムカツクよ」

苦笑いでそうつぶやく。

その様子を見た時、
管野は少し、梔子という女に普通の笑顔を見た気がした。

しかし、今は戦場。

けして気を抜いたりはしない。

だが、見た目はすっかり気を抜いている梔子は続けた。

「安心しな。うちらはね。
 本当に誰を殺せとは命令されていないんだ。」

言葉とは裏腹に、突きつけられた銃口が不気味にきらめく。

「あんたはこの後、紅蘭と同じ場所で捕らえられてもらい、
 うちらの目的を果たした後に開放する。
 な。悪い話じゃないだろ?」

「………」

その言葉、管野には妙に新鮮だった。

どう聞いても、"殺さないから抵抗するな"という風にしか聞こえない。
それがこの花やしきを陥落させた者の言う言葉なのだろうか。

思わず目を見張る管野。

その胸元をかく仕草をした手が止まる。

『この梔子という女性なら、深く話せるのでは?』という考えがめぐる。

『紅蘭の所と同じ場所にいけるなら、それも得策ではないか』とも考えたが、
それは駄目だ。

防犯体制をどうにかしない限り、
この花やしき打破、しいては紅蘭救出はありえない。

グルグルと駆け回る脳内に、
管野は動揺した。

何よりも目の前の梔子の銃口が恐くて、
頭がどうにかなってしまいそうな恐怖もあった。

「おそらくこれが、あんた側の連中とうちらの初接触さね」

梔子がそうつぶやいた時だった。

「……ッ!」

梔子の視線が、どことなく下を向いた。
この好機を管野が見逃すはずがない。

管野は胸元からすぐに煙幕拡散機器を取り出すと、
前に突き出した。

ピンを抜こうというのだ。
決死の表情である。

だが、それを見逃さない梔子。

彼女は管野の動きを微妙に気付くと、
目をカッと開いて銃口を再度向けた。

刹那とはいえ油断していただけに、
その動きは速かった。

次の瞬間である。

梔子は引き金を引き、
銃は銃声を上げて発射する。

そして、その弾は主の油断もあってわずかに、
管野の心臓からずれた。
そのズレた弾はたまたま煙幕拡散機器を捕らえる。

高速の弾は煙幕拡散機器の信管を撃ち叩いたのだ。

瞬きをすれば、見逃してしまいそうになる光景。

信管を叩いた弾は弾道を反らして、
管野の頬を弾く。

そして信管を叩かれた煙幕拡散機器は一気に蒸気加熱し、
"グレコシル"の爆発力によって拡散した。

「……ッ!?」

驚いたのは梔子である。
なんだこれはといわんばかりに目を見開いた。

無造作に弾を乱発する。

管野の煙幕拡散機器から噴出した白煙は、
たちまち部屋の視界を遮り、
焦る梔子を取り囲む。

しかも、先ほどの突然過ぎる銃声で耳を少々やられたようだ。

自分で自分の耳を不能にしてしまうなど、
最悪の失態だ。

だが、彼女は冷静に自分の身体を判断する。

相手に逃げられたと判断した梔子は、
とっさに胸元から四角い機器を取り出す。

トランプに似た形状のその機器に、
梔子は口を添えて大きく叫んだ。

どうやらそれは、キマネトロンと同様の、
携帯用通信装置であるらしい。

「二人とも!侵入者だッ!
 作業員らしくて、黒髪の小娘!
 背丈は…ケホケホッ!!」

大きく叫んだため、
石灰が灰に混入した。

梔子はむせる。

焦るばかりに、その説明は不充分だった。
特に"小娘"という部分は不意を突かれた心が生み出した言葉だろう。

しかも、ばら撒かれた石灰が、
電波も大きく捻じ曲げていた。
恐らく、二人には彼女の言葉の断片しか届いていないだろう。

その時だった。

先ほどの乱発によって、
天井の機材が落ちてきた。

数個、梔子の頭や肩を直撃し、
殴打したような痛みと負傷が生じる。

予測外の失態。

完全に相手を逃していた。

煙と、機材の中に消えていく梔子。

煙が噴出した後、すぐに立ち上がった管野は走り、
この隙に第五制御室の制御プレートを開く。
上着の内ポケットから取り出した半導体をそこに差し込んだ。

そこには、例の防犯体制を夜昼変えるプログラムという奴が組み込まれている。

簡単な作業なはずだった。

「……ッ!!」

額に汗する管野は冷静にその作業を終えると、
一気に走り抜けた。

この第五制御室を。

銃とは本当に恐ろしい。
管野はその時、痛感していた。

今も大きく呼吸している。

そして、心も大きく動揺したままだった。